羽生世代に近い世代の棋士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:02 UTC 版)
「羽生世代」の記事における「羽生世代に近い世代の棋士」の解説
羽生(1970年度生まれ)と13歳差以内の順位戦A級経験者・タイトル獲得者・タイトル挑戦者・全棋士参加棋戦優勝者を生年度別に一覧にすると以下のようになる。 1957年度 田中寅彦 1958年度 なし 1959年度 福崎文吾 1960年度 高橋道雄 1961年度 なし 1962年度 谷川浩司、中村修、島朗 1963年度 南芳一、井上慶太 1964年度 中田宏樹、塚田泰明、櫛田陽一 1965年度 なし 1966年度 森下卓 1967年度 阿部隆 1968年度 なし 1969年度 村山聖、佐藤康光 1970年度 先崎学、丸山忠久、羽生善治、藤井猛、森内俊之、郷田真隆 1971年度 屋敷伸之、深浦康市 1972年度 真田圭一 1973年度 木村一基、行方尚史、三浦弘行 1974年度 鈴木大介、堀口一史座 1975年度 久保利明 1976年度 なし 1977年度 なし 1978年度 なし 1979年度 なし 1980年度 山崎隆之 1981年度 なし 1982年度 阿久津主税、橋本崇載 1983年度 なし(プロ入りした棋士自体が存在しない) このうち、高橋道雄、谷川浩司、島朗ら羽生世代のすぐ上の世代にあたる強豪棋士たちは、プロ入り年度が昭和55年に集中しており、55年組と呼ばれる(なお、谷川浩司のプロ入りは昭和55年ではないが、55年組の棋士らと同世代である)。 一方、木村一基、三浦弘行、久保利明など羽生世代より3~5歳下の世代については、ポスト羽生世代と呼ばれる。もっとも、ポスト羽生世代については、羽生世代と同様、明確な定義があるわけではない。特に1971年度生まれ(羽生より1学年下)の屋敷と深浦については一般的には羽生世代とされるが、過去にはポスト羽生世代として紹介されることもあった。なお、深浦は「自分を羽生世代とは認識していない」と述べているが、一回り年下の渡辺明は深浦を羽生世代の一人としている。 羽生世代、ポスト羽生世代は棋士の層が厚いため、その世代のプロ入りは困難なものとなった。たとえば、奨励会退会後の初のプロ編入棋士となった瀬川晶司は羽生世代、プロ編入試験が制度化されてから初のプロ編入棋士となった今泉健司はポスト羽生世代である。第18回三段リーグでは、堀口一史座が抜けた後の最後の四段昇段枠を最終戦で4人が争うことになった。年齢制限ぎりぎりであった羽生世代の中座真は最終戦に勝てば自力での四段昇段が決まるところを今泉健司に負けて万事休すとなったが、続くライバル3人がそろって最終戦に敗れたことで何とか26歳でのプロ入りを果たす。一方、同学年の瀬川晶司はこのとき負け越して年齢制限での奨励会退会となったが、10年後に編入試験に合格して35歳でプロ入りする。 ポスト羽生世代の久保利明より下の世代(1976年 - 1980年生まれ、42歳~46歳)の棋士からは、現在のところA級棋士・タイトル挑戦者・全棋士参加棋戦優勝者が現れていない。この世代の伸び悩みがしばしば指摘されるが、そのひとつの要因として、羽生世代・ポスト羽生世代の層の厚さを挙げられることがある。 以降も1984年度生まれの渡辺明までタイトル獲得経験者が出ず、谷間世代として知られる。1982年度生まれの橋本崇載は自身に加えて、同世代の山崎隆之・阿久津主税・松尾歩の4人を、期待されながらタイトルなどの結果に手が届かない「残念四天王」と評した。橋本が一身上の都合で引退したのち、2022年の第5回ABEMAトーナメントにリーダーとして出場した山崎は、阿久津、松尾の2人をドラフト指名してチームを結成し、前厄の阿久津、本厄の山崎、後厄の松尾という「厄年」の「残念」な3人による「チーム厄払い」と命名して笑いをとった。
※この「羽生世代に近い世代の棋士」の解説は、「羽生世代」の解説の一部です。
「羽生世代に近い世代の棋士」を含む「羽生世代」の記事については、「羽生世代」の概要を参照ください。
- 羽生世代に近い世代の棋士のページへのリンク