奨励会入りまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:56 UTC 版)
加藤の父は、加藤と同じく安恵照剛八段門下で奨励会に在籍、のち大学に進学して教員免許を取得し、静岡県の藤枝明誠高校教諭を務め、かつ同校将棋部顧問として実績を挙げた加藤康次。 加藤の母は、高柳敏夫名誉九段が開いていた将棋教室に通っていたアマ有段者で、「女流アマ名人戦」出場経験を有し、1990年頃には、プロ棋士や奨励会員も参加する「パソコン通信による将棋サークル」のメンバーであり、ある意味で、夫の加藤康次以上にプロ棋界とのつながりがあった。 将棋一家に生まれた加藤は、5歳で将棋を覚え、小学1年生で大会に出るようになった。静岡から、母の実家(東京)に行く折には、安恵照剛をはじめとする高柳一門のプロ棋士の指導を受けるようになった。 加藤が強くなると、必然的にプロ入り(女流棋士、あるいは奨励会)の話が出てきた。高柳一門には、多くのプロ棋士・奨励会員のほかに清水市代(高柳敏夫名誉九段門下)という女流棋士の大成功者がいる。女流棋士への道を勧める声もあったが、加藤とその両親の選択は「奨励会入り」であった。加藤は、2006年9月18日に、11歳で関東奨励会に入会(6級)。その直前に参加した第1回白瀧あゆみ杯争奪戦ではアマチュアの立場ながら貞升南を破っている。
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