漢服 漢服の概要

漢服

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/14 14:48 UTC 版)

衛懿公中国語版
北宋初期の供養人像(紀元983年)

役人の他に漢族の平民は明の服を着させられた。しかし晚清まで大勢の漢人は自ら志願して満州の服を着た。清朝の子供や僧侶道士や婦女も明の服を着させた。剃髪易服を実行するのが難しいから、清の間にも大勢の人は明の服を着たことがある、康熙年間も江南の人明の服を着たことがたくさんある、そして辛亥の間ある区域明の服を保存した。[1][2][3]

漢服の特徴

約5000年前の中国の新石器時代仰韶文化の頃に農業と紡績業が始まった。で衣服が作られるようになった。その後、を飼い絹糸を取ることを知るようになり、人々の衣冠服飾も日々整っていった。現代の漢服の主な特徴は、襟があり、襟に続くおくみ(衽)、ボタンを使わず、帯で締めることにある。見るものに、ゆったりとして飄逸な感じを与える。これらの特徴は、他の民族の服装とは明らかに異なる。漢服には礼服と普段着の別がある。形の上から見ると、主に上衣下裳(上は襟のある上着、下は裳というスカート状の下衣、衣裳はここから出来た言葉)、深衣(着丈の長い、裾の広がったゆったりした衣服)、襦裙(短い上着と裳)などの形があった。このうち上衣下裳に冠を被るスタイルは、帝王や百官の厳粛で正式な時に着る礼服で、袍服(深衣)は百官、知識人達の普段着、襦裙は女性が好んで着た。一般の下層の人々は上は短い上着、下は長いズボンだった。

直裾袍 
曲裾袍 
襦裙 

朝廷公事の漢服

黄帝の時代に冕冠(冠)が現れ、服飾制度が次第に形成されていた。夏朝商朝以降、冠服制度が確立され、周朝の時に完成された。周朝後期、政治、経済、思想、文化は急激に変化し、特に百家争鳴で服飾について論議が尽くされ、その影響は諸国の衣冠服飾や風俗習慣にも及んだ。「顔淵、邦を為の事を問う。子曰く:「行夏之時、乘殷之輅、服周之冕。(夏の時を行ない、殷の輅に乗り、周の冕を服す)」それは『輿服志』の事です。孔子曰く:「非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。(礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、 礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ)」漢服とは、さまざまな『吉礼・凶礼・軍礼・賓礼・嘉礼』のなかで規定されている服装や道具などの総称。[4]孔子が、伝説の聖王・に衣服を悪しくして美を黻冕について褒め称えている部分である。

すなわち『儀礼』士冠礼・喪服など、また『周礼』天宮司裳・神宮司服など、さらに『礼記』冠儀・昏儀などの各篇に、周朝の服装に関する制度である。『周礼』とは、儒家が重視する経書『十三経』の一つで、『儀礼』『礼記』と共に三礼の一つ。孔子日く: 「興於詩、立於禮、成於樂。(詩に興り、礼に立ち、楽に成る)」

周礼 分類 男子装束 女子装束
吉礼 天地鬼神の祭祀(邦国の鬼神につかえる) 冕服、弁服、朱子深衣 翟衣、襢衣、褖衣
賓礼 外交(邦国に親しむ) 冕服、弁服 細釵礼衣、榐衣
軍礼 出陣・凱旋(邦国を同じくする) 韋弁服、皮弁服、冠弁服、短衣大袴、袴褶、裲襠、円領衫 襢衣、褖衣
凶礼 葬儀・災害救済(邦国の憂いを哀れむ) 弁服、白幘白帢、褖衣 白帢、褖衣
嘉礼 冠婚・饗宴・祝賀(萬民に親しむ) 冕服、弁服、絳公服、朱子深衣 翟衣、鞠衣、襢衣、褖衣、大袖連裳、青蓮裳

礼服

冠服制度は『礼制』に取り入れられ、「儀礼」の表現形式として中国の衣冠制度はさらに複雑になっていった。衛宏『漢旧儀』や応劭『漢官儀』をはじめとして、『白虎通義』衣裳篇、『釈名』釈衣服、『独断』巻下、『孔子家語』冠頌、『続漢書』輿服志などの中に、漢朝の衣服一般に関する制度が記録されているが、それらはもっぱら公卿百官の車駕や冠冕を中心としたそれである。

易経』に、黄帝··衣裳を垂れて天下治まるは、蓋し諸を乾坤に取る。乾は天、坤は地で、乾坤は天地の間、人の住む所の意がある。『周易』坤卦に「天は玄にして地は黄」とある。天の色は赤黒(玄)く、地の色は黄色く。よって、冕服(袞衣)の衣は玄にして裳は黄である。

尚書』にの衣服のぬいとりにした紋様を言う。「"日、月、星辰、山、龍、華蟲、宗彜、藻、火、粉末、黼、黻"の"十二紋章"」である。冕服は祭祀や即位や朝賀の儀などに、十二旒冕冠とともに用いられた。中国の冕冠は、古代から明朝まで基本的な形状はほとんど変わらない。明の万暦帝が着用した冕冠が定陵から出土しているが、前漢から隋朝の歴代皇帝を描いた閻立本『歴代帝王図巻』に描かれている冕冠とほぼ同じ形状である。翟衣は祭祀や朝賀の儀などに、花釵十二梳とともに用いられた。

始皇帝の冕服 
漢武帝の冕服 
天子御礼服(孫権) 
十二旒冕冠(北周武帝) 
隋文帝の冕服 
隋煬帝の玄端 
宋花釵十二梳 
孝恪太后の翟衣 
孝端顕皇后の闕翟 
孝懿荘皇后の大衫 
孝純太后の鞠衣 
皇帝天子、天皇』六服 皇后、天后」六服
裘冕 褘衣
袞冕 揄翟
鷩冕 闕翟
毳冕 鞠衣
絺冕 襢衣
袨冕 褖衣

平服

明成祖の黄袍 
明英宗の黄袍 
唐高祖の円領衫 
唐太宗の円領衫 
宋太祖の円領袍 
宋真宗の円領袍 
宋真宗の公服 
 
朝服 
唐太宗の円領衫 
 

平服文章

十二章 
麒麟白沢紋 
錦鶏 
虎豹紋 
孔雀紋 
孔雀紋 
白鷴紋 
六品公服 
双孔雀紋 



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  1. ^ a b 魏千志《明清史概論》,中國社會科學出版社,1998年,第358-360頁
  2. ^ Edward J. M. Rhoads (2000). Manchus and Han: Ethnic Relations and Political Power in Late Qing and Early Republican China, 1861–1928. University of Washington Press. pp. 60–. ISBN 978-0-295-98040-9. https://books.google.com/books?id=QiM2pF5PDR8C&pg=PA60#v=onepage&q&f=false. ""However, the dress code was required only of the scholar-official elite and not of the entire male population. Therefore, the great majority of Han men were free to continue to dress as they had during the Ming."" 
  3. ^ Twitchett, Denis; Fairbank, John K. (2008) Cambridge History of China Volume 9 Part 1 The Ch'ing Empire to 1800, p87-88: "History The term "hanfu" means "dress of the Han people."... '(during Qing dynasty) Han resistance was so severe that the policies were modified. Men, government officials, Confucian scholars, and prostitutes wore the Manchu style; women, errand boys, children, monks, and Taoists were free to wear Han styles. '"
  4. ^ 周礼』<大宗伯篇』
  5. ^ 魏晋南北朝の服飾”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  6. ^ Twitchett, Denis; Fairbank, John K. (2008) Cambridge History of China Volume 9 Part 1 The Ch'ing Empire to 1800, p87-88: "History The term "hanfu" means "dress of the Han people."... '(during Qing dynasty) Han resistance was so severe that the policies were modified. Men, government officials, Confucian scholars, and prostitutes wore the Manchu style; women, errand boys, children, monks, and Taoists were free to wear Han styles. '"
  7. ^ Edward J. M. Rhoads (2000). Manchus and Han: Ethnic Relations and Political Power in Late Qing and Early Republican China, 1861–1928. University of Washington Press. pp. 60–. ISBN 978-0-295-98040-9. https://books.google.com/books?id=QiM2pF5PDR8C&pg=PA60#v=onepage&q&f=false. ""However, the dress code was required only of the scholar-official elite and not of the entire male population. Therefore, the great majority of Han men were free to continue to dress as they had during the Ming."" 


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