恩賜上野動物園
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歴史
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- 1882年3月20日 - 農商務省博物局付属の動物園として開園。当初は1ヘクタールの広さであった[2]。
- 1883-1901年 - アジアゾウ、トラ、ヒョウ、シフゾウ、ハリモグラ、ニホンオオカミ、アホウドリ、ウシウマ、トキ、シマフクロウなどが来園。
- 1895年7月 - 黒川義太郎、最初の動物園獣医として採用[10]。
- 1895年 - 日清戦争で旅順を陥落させた山地元治第1師団長からフタコブラクダ2頭が皇太子に献上され飼育された[2]。
- 1902年 - ドイツ帝国ハンブルクのハーゲンベック動物園からライオン(バーバリーライオン)[2]、ダチョウ、ホッキョクグマなどが来園。
- 1903-1935年 - キリン、カバ[11]、チンパンジー、ゴールデンライオンタマリン、テングザル、メガネザル、レッサーパンダ、ナマケモノ、センザンコウ、タイマイ、クロツラヘラサギ、モリバトなどが来園。
- 1907年 - キリンが2頭来園(ファンジとグレー)。当初ラクダ小舎の天井を除き、柱を継ぎ足した仮設キリン舎で飼育された。この年入場者数が初めて100万人を超えた[2]。
- 1924年2月1日 - 管理者が東京市となる(皇太子御成婚記念による特旨)。
- 1935年 - タイの少年団から親善のためゾウ(ワンリー)が寄贈され来園。
- 1936年7月25日 - クロヒョウ脱走事件、12時間後に無事捕獲。
- 1937年 - 日本で初めてキリンが繁殖する(ただし、この時点で繁殖賞は存在しない)。爬虫類室が完成[2]。
- 1938年 - 日本で初めてカバが繁殖する。
- 1943年8-9月 - 東京都長官・大達茂雄の命により、ゾウ(ワンリーとトンキー)、ヒグマ、ツキノワグマ、ライオン(アリとカテリーナ)[注 1]、ヒョウ、クロクマ、トラ、チーター、ホッキョクグマ、ガラガラヘビ、ニシキヘビ、マレーグマ、アメリカバイソンなど14種27頭が戦時猛獣処分される。1944-1945年には餌不足により一部動物が処分される[12]。
- 1949年 - ゾウ「インディラ」と「はな子」来園。
- 1950年 - 国内で初めてノドジロオマキザルの繁殖に成功する(これ以降、繁殖賞を受賞)。
- 1951年 - 捕鯨団が持ち帰ったヒゲペンギンが来園[2]。
- 1952年 - 開園70周年を記念して、ディック・クレメンスによるライオンショーが行われた[2]。3月20日、海水水族館完成。
- 1957年12月17日 - 園内に上野動物園モノレールが開業。
- 1959年 - アフリカ生態園完成(1979年まで)。
- 1960年 - 2年前に来園したトラのワンとシュフが繁殖に成功、11年間で12回43頭を出産した[2]。
- 1961年 - 国内で初めてオランウータン、カリフォルニアアシカの繁殖に成功する。
- 1962年 - 国内で初めてジャガー、コビトカバの繁殖に成功する。
- 1967年3月14日 - アジアゾウのインディラが運動場から脱走。休職中のベテラン飼育員が駆けつけてなだめ、無事収容された[13]。
- 1972年
- ジャイアントパンダの「カンカン」と「ランラン」来園。パンダブームが起こる[14](以下、特筆の無い“パンダ”はジャイアントパンダを指す)。
- 世界で初めてニシアフリカコビトワニの繁殖に成功する。
- 1977年 - 国内で初めてマナヅルの人工授精に成功する。
- 1979年 - 昭和天皇の行幸[15]。
- 1985年
- 国内で初めてチンパンジーの人工授精に成功する。
- 国内で初めてジャイアントパンダの人工授精に成功するが出産2日後に母親の下敷きになり死亡。
- 1986年 - パンダ「トントン」が誕生。
- 1989年 - ズーストック計画実施。
- 1990年 - 国内で初めてアムールヤマネコ、ベルツノガエルの繁殖に成功する。
- 1996年春 - ゴリラ・トラのすむ森完成。
- 1997年 - 世界最高齢のゴリラの雄「ブルブル」(推定44歳)が死亡。
- 1999年7月20日 - 両生爬虫類館完成。
- 2001年 - アイアイ、オカピ来園。
- 2002年 - 国内で初めてアカガシラカラスバト、ハダカデバネズミなどの繁殖に成功する。
- 2003年 - 国内で初めてアイアイ、タテガミオオカミの繁殖に成功する。
- 2004年 - ゾウのすむ森完成。国内で初めてオグロヅルの繁殖に成功する。
- 2006年4月28日 - クマたちの丘完成。
- 2008年4月30日 - パンダ「リンリン」慢性心不全により死亡(22歳)、最大5頭飼育されていたパンダがいなくなる。
- 2009年5月23日 - アイアイのすむ森オープン。
- 2010年 - 東京都が、上野動物園で2011年にもパンダを復活させると公表。
- 2011年
- 2月21日 - 中国からの借り受けにより、パンダの雄「比力(ビーリー)、5歳5か月」と雌「仙女(シィエンニュ)、5歳7か月」が来日。来日にあたっては、中国当局に対するレンタル料および研究資金として、諸外国の同種施設と比べて約10倍の金銭の投資(日本8千万円、アメリカ4千万円、イギリス9百万円、東南アジア諸国5百万円ほど)をしたことが奏功し、およそ3年振りにパンダが復活することになった。
- 3月9日 - 東京都が、パンダの日本名と一般公開日を発表。雄は「リーリー(力力)」、雌は「シンシン(真真)」に、公開日は3月22日の13時。
- 3月11日 - 東日本大震災発生。目立った被害は無し[16]。
- 3月17日 - 東日本大震災の影響で「節電への協力や余震が続く中で来園者の安全確保が困難」である事を理由に、この日より当分の間休園。これにより、22日のパンダ一般公開も無期限延期となった。
- 4月1日 - 動物園が再開(節電のため開園時間は当分の間通常より1時間半短縮)。延期していたパンダ2匹の一般公開開始。
- 4月16日 - 東日本大震災が遠因の怪我や内臓機能障害により、カバの「サツキ」が死亡[17]。
- 2012年
- 2016年
- 2017年
- 2019年
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- 2020年
- 2月29日 - 6月22日 - 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止のため、その他の都立動物園・水族園とともに臨時休園[24]。
- 9月8日、西園に「パンダのもり」がオープン。ジャイアントパンダとその生息地でみられる動物の飼育施設である[25]。
- 12月10日 - 新型コロナウイルス感染症の影響のため、ジャイアントパンダの返還期限が「シャンシャン」は2021年5月末、「リーリー」と「シンシン」は2026年2月末まで延長となった[26]。
- 12月26日 - 新型コロナウイルス感染症の影響ため臨時休園[27]。
- 2021年
- 3月26日 - 新型コロナウイルス感染症の影響のため、ジャイアントパンダ「シャンシャン」の返還期限が同年12月末まで延長となった[28]。
- 6月4日 - 動物園などへの休業要請緩和を受け、5か月ぶりに運営再開。当面の間は、ピーク時の10分の1にあたる1日2,000人の入園制限となる[29]。
- 6月23日 - パンダ・リーリーの妻シンシンが第3子(午前1時3分)、第4子(午前2時32分)を出産(オスとメス。どちらが先に生まれたかは不明)[30]。
- 10月8日 - 前述のパンダの名前が「シャオシャオ(暁暁)」(オス)と「レイレイ(蕾蕾)」(メス)に決まる。
- 12月7日 - ジャイアントパンダ「シャンシャン」の返還期限が2022年6月末まで延長となった[31]。
- 2023年
- 2月21日 - ジャイアントパンダ「シャンシャン」、中国へ帰国。
- 7月8日 - トト (オカピ)が16歳で死亡。上野動物園で飼育しているオカピはトトを最後に全員逝去した。
注釈
- ^ 2016年、戦時猛獣処分された雄ライオンのアリと雌ライオンのカテリーナを撮影した映像フィルムが東京都内で発見され、NHK『ニュース7』にて特集された。 →「かわいそうなライオン」NHK NEWS WEB、2016年7月29日
出典
- ^ a b “東京都恩賜上野動物園 (動物園)”. TOKYOおでかけガイド. 2019年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 週刊ポスト2012年5月25日号 21-25頁
- ^ 公益財団法人 東京動物園協会 平成22年 事業報告書 6頁
- ^ a b 『恩賜上野動物園モノレール休止のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)建設局/交通局、2019年1月23日。 オリジナルの2019年1月23日時点におけるアーカイブ 。2021年2月8日閲覧。
- ^ “パンダいない上野動物園、入園300万人割れ 08年度”. 朝日新聞. (2009年4月2日)
- ^ <文化環境研究所 News> 第41号(2011年9月17日時点のアーカイブ)
- ^ 上野動物園(1982年)、本編。
- ^ https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=ueno&link_num=26349
- ^ “上野動物園の双子パンダ、来年1月にお目見え”. 産経ニュース (2021年12月10日). 2021年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e 石田戢, 2000.上野動物園, 東京公園文庫16, 東京都公園協会
- ^ 日本初「河馬初めて来る」明治44年5月18日東京日日新聞『日本全国諸会社役員録. 第回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ “Starving the Elephants: The Slaughter of Animals in Wartime Tokyo's Ueno Zoo”. The Asia-Pacific Journal: Japan Focus. 2019年6月16日閲覧。
- ^ 2017年3月14日 午後0:11 、2019年6月16日閲覧。
- ^ “パンダブーム”. NHK名作選(動画他). NHK. 2019年6月16日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、148頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “上野動物園、地震による被害無し-福島からカワウソの受け入れも予定”. 上野経済新聞. 2012年1月5日閲覧。
- ^ “上野動物園のカバの「サツキ」“被災死””. スポーツニッポン. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月23日閲覧。
- ^ “ジャイアントパンダの赤ちゃん誕生!”. 上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」. 2019年6月16日閲覧。
- ^ “シンシンの子が死亡しました”. 上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」. 2019年6月16日閲覧。
- ^ “東京上野と台湾新竹、日台“最古の動物園”が人材育成などで連携へ”. フォーカス台湾 (中央通訊社). (2016年10月22日)
- ^ “上野動物園のシャンシャン きょう報道公開”. NHK NEWS WEB(動画あり). (2017年12月18日) 2017年12月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “恩賜上野動物園シャンシャンの返還時期”. 2019年8月24日閲覧。
- ^ インドライオンのオス「モハン」が死亡しました
- ^ 臨時休園のお知らせ
- ^ “新ジャイアントパンダ舎「パンダのもり」、2020年9月8日オープン”. 東京ズーネット TOKYO ZOO NET. 2020年10月24日閲覧。
- ^ “シャンシャン返還、来年5月に 両親も5年延長―東京・上野動物園”. 時事ドットコム. (2020年12月10日) 2021年6月4日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年12月21日). “上野動物園、年末年始の休園期間延長”. 産経ニュース. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “上野動物園のパンダ シャンシャン 中国返還さらに延期12月末に”. NHK NEWS WEB. (2021年3月26日) 2021年6月4日閲覧。
- ^ 「上野動物園 約5か月ぶりの再開 1日2000人に入園制限」『NHK NEWS WEB』日本放送協会、2021年6月4日。2021年6月4日閲覧。
- ^ "上野動物園のパンダ、シンシンが2頭出産 性別は確認中". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 23 June 2021. 2021年6月23日閲覧。
- ^ “シャンシャン返還、半年延長 コロナ影響、来年6月まで―東京・上野動物園:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年12月8日閲覧。
- ^ 川口幸男「[1]」(PDF)『鯉淵研報』第26号、2010年、44-48頁。
- ^ “人生のセイムスケール”. 玉川和正. 2015年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月5日閲覧。
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