IGF参戦・GLORY参戦
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「ジェロム・レ・バンナ」の記事における「IGF参戦・GLORY参戦」の解説
4月28日、IGFの東日本大震災復興チャリティー大会として開催されたGENOME15に電撃参戦し、IGFチャンピオンシップ・トーナメント一回戦にて異種格闘技戦で鈴川真一と対戦し、6度のダウンを奪ってKO勝ち。 2011年6月11日、スイスのジュネーヴで行われたISKAフリースタイル世界スーパーヘビー級タイトルマッチでステファン・レコと再戦し判定勝ちして王座を獲得。この試合はレコの引退試合であり、試合後バンナは土下座でレコへの敬意を表した(しかし、その後にレコは引退を撤回)。 2011年7月10日、東日本大震災復興チャリティー大会GENOME16でのIGFトーナメント準決勝で、エリック・ハマーと異種格闘技戦で対戦し、5度のダウンを奪ってKO勝ち。 2011年8月22日、8月27日のIGFトーナメント決勝戦の対戦相手であるジョシュ・バーネットの欠場が決まったため、バンナの不戦勝扱いとして初代IGF王者に認定された。8月24日、IGF王座のチャンピオンベルトが授与された。同日に放送されたSアリーナに生出演した際には、「今日は友人であるアンディ・フグの命日だから、このベルトを手に入れたことでアンディに良い報告が出来ると思う」と語り、「皆さんは僕の人生の一部です」と日本語でコメントして日本のファンへの感謝を現した。 2011年8月27日、INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜でのIGF王座初防衛戦で藤田和之と対戦し、KO勝ちで初防衛に成功した。 2011年9月3日、GENOME17にてノンタイトル戦でモンターニャ・シウバにKO勝ち。 2011年12月2日、INOKI BOM-BA-YE 2011でのIGF王座防衛戦で、トーナメント決勝戦で対戦するはずだったジョシュ・バーネットと対戦し、KO勝ちで2度目の防衛に成功した。 2011年12月4日、震災被災地である福島県いわき市のいわき明星大学で開催された「闘魂祭り in いわき」にて、チャリティー・エキシビションマッチで角谷正義と対戦し、3度のダウンを奪って1RKO勝ち。 2011年12月30日、タイのパタヤにてアンドレイ・キルサノフと対戦。2度ダウンを奪って3RKO勝ちを収め、初代World Pro Leagueムエタイ世界スーパーヘビー級王座を獲得した。この興行はバンナがタイでトレーニングする際に拠点としているフェアテックスジム・パタヤへの恩返しと、タイ洪水の被災者へのチャリティーマッチとして行われた。試合後、リング上でのマイク・パフォーマンスで交際中の恋人にプロポーズした。 2012年2月17日、GENOME18でのIGF王座防衛戦でピーター・アーツと対戦し、腕ひしぎ十字固めでアーツをタップアウトさせて勝利し、3度目の防衛に成功した。試合前には、2月14日に死去した盟友マイク・ベルナルドへの追悼10カウントゴングがバンナの提案によって行われ、試合後のリング上でもバンナは「マイク、見守ってくれてありがとう。天国の君にこの試合を捧げる。君のことは絶対忘れない。君のために戦った。安らかに眠ってくれ」とベルナルドに追悼メッセージを送った。 2012年2月25日、ポーランドの総合格闘技団体KSWの大会KSW 18のメインイベントで地元出身のマーティン・ロザルスキーと対戦予定だったが、試合直前に膝の半月板を負傷し、欠場した。 2012年5月26日、GENOME20でのIGF王座防衛戦でアレキサンダー・コズロフにKO勝ちで4度目の防衛成功。レフェリーストップに納得がいかないコズロフと試合後にも乱闘を繰り広げた。 2012年7月10日、IGF初の上海興行でコズロフと再戦し、パンチでダウンを奪ってフォール勝ちで5度目の防衛成功。なお、この試合で古傷の左腕を負傷するというアングルが組まれた。4日後の7月14日、GENOME21で藤田和之と再戦し、フォール負けでIGF王座6度目の防衛に失敗。 その後はアメリカでヴァンダレイ・シウバのジムやマーク・ムニョスのジムなどで石井慧らと共に練習を重ねていたが、負傷によって9月15日のKSW 20、9月29日のGENOME22を欠場した。 2012年12月31日、K-1に代わる世界最大のキックボクシング団体となったGLORYの初の日本大会DREAM.18 & GLORY 4のGLORY Grand Slamヘビー級トーナメントに参戦予定だったが、怪我が治りきっていないため、トーナメントは回避し、2分3ラウンドのワンマッチでKOICHIと対戦。来日のための機内で病気を移されたため前日会見を欠席し、試合当日の朝になっても発熱し嘔吐を繰り返すほどの体調不良でありながら強行出場だったが、左ミドルキックを効かせて最後は右フック一発でKO勝ち。試合後も休むことなく、直後に行われたチームメイトのブリース・ギドンのセコンドに就いた。 2013年5月3日、GLORY 8 TOKYOでKOICHIと再戦。2Rにダウン寸前まで追い詰めるなど終始圧倒しフルマークの判定勝ち。 6月16日、ロマン・クレイブルと対戦し、2Rに左ミドルキックでクレイブルの腕を骨折させてKO勝ち。 8月4日、13連勝中だったヴィタリ・オフラメンコと10年ぶりに再戦し、前回同様に2RKO勝ちでWKNオリエンタル・キックボクシング世界スーパーヘビー級王座の防衛に成功。試合後、俳優のシルヴェスター・スタローンから祝福され、チャンピオンベルトを腰に巻かれた。 12月21日、GLORY 13 TOKYOにてセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、1Rはやや優勢だったが2R以降にダウンを奪われ判定負け。 12月30日、フジテレビのテレビ番組ジャイアントキリング 3にて各スポーツの世界トップアスリート32名による腕相撲トーナメントに参戦し、マーク・ハント、大相撲の遠藤聖大、ハンドボールの宮﨑大輔に勝利しベスト4入りした。 2014年5月30日、ル・アーヴルでの故郷凱旋試合でルシアン・ダニレンクと対戦。2ラウンドに右ボディフックで3度目のダウンを奪ってKO勝ち。 2014年7月20日~22日にかけて行われたIGFの東日本大震災復興支援チャリティー大会『元気祭り2014』に参戦し、福島県のいわき明星大学、スポーツアリーナそうま、宮城県の岩沼市総合体育館でチャリティー・プロレスマッチを戦った。 8月23日、INOKI GENOME FIGHT 2にて小川直也とのタッグで藤田和之・クラッシャー川口組と対戦。プロレスルールに順応したバンナが連携ブレーンバスターを繰り出すなど好連携を発揮して勝利。試合後、小川からタッグ継続を希望された。 8月30日~31日、IGF初の北朝鮮での大会『インターナショナル・プロレスリング・フェスティバルin平壌』に参戦。 2014年10月26日、フランスのメディアに対して2015年にキックボクシングを引退することを表明。また、IGFでのプロレスに関しては「俺は日本を心底愛してるからオファーがある限りは続ける」とコメントした。 2015年、『JLBグッバイツアー』と題し4月25日エヴルー、6月12日リヨン、8月4日サントロペの3試合でキックボクシングを引退することを発表した。 2015年4月25日、エヴルーでの引退ツアー第1戦にてISKA K-1世界スーパーヘビー級王座決定戦でクラウディオ・イストラーテと対戦。バンナはこの試合を3週間前に控えたスパーリング中に左の中足骨を骨折してしまう。しかし、3月26日に心臓発作で急死したフランスの格闘技雑誌カラテ・ブシドー・マガジンの名物記者パスカル・イギリキのためと、完売したチケットを購入して遠方から観戦に来るファンのために、強行出場を決意。試合では骨折した左足を一切庇わず、躊躇なく左ミドルキックを連打する気迫の全力ファイトでKO勝ちして同王座を獲得した。しかし、試合終了直後に足を引きずっており、この強行出場が祟って全治8週間と診断され、6月12日の第2戦を欠場することとなった。 8月4日、サントロペでのFight Night Saint-Tropez IIIにてフランス国内引退試合となるWKNオリエンタルキックボクシング世界スーパーヘビー級王座防衛戦を行った。高額な好条件を用意して元K-1世界王者をはじめとする様々な強豪選手にオファーをしたものの、ことごとく対戦を断られてしまい、直前まで対戦相手が決まらず、最終的に直前でカール・ロバーソンとの対戦が決定した。K-1デビュー以前から愛用するニックネーム「ジェロニモ」の衣装を着け、フランスの人気ヒップホップグループシュープレムNTMのジョーイ・スターがバンナの入場曲の生歌を披露するなか、大歓声で迎えられてリングイン。試合は1ラウンドからローキックを的確にヒットさせていくが2ラウンドにダウンを奪われる。4ラウンドにバンナが右ミドルキックをロバーソンの腹部にヒットさせるが、ロバーソンはローブローをアピールしながら倒れ込み、ロバーソンが試合再開の指示に応じずに休もうとしたためレフェリーはダウンを宣告した。これで優勢になったバンナが逆転の判定勝ちで王座防衛に成功した。 8月8日、日本の格闘技サイトBoutreviewのインタビューに応じたバンナは最後に日本のファンへのメッセージに求められ、「勝っている時も、負けたり怪我している時も、ずっと応援し続けてくれている日本のファンの皆には感謝してもしきれないくらいだ。本当に嬉しいし、俺は心の底から日本を愛している。俺は『JLB Goodbye Tour』と題した現役引退ツアーで3試合を戦うはずだった。しかし、6月に予定していた第2戦を、対戦相手との交渉が難航したのと、3月に骨折した俺の左足が治りきっていないのもあって出場できなかったことで、ファンの皆に俺の戦いを見せる機会が1試合減ってしまったことが申し訳ないと思ってるし、俺を成長させて応援してくれた愛する日本のファンの前で試合が出来ないまま終わってしまうのが心残りなんだ。だから俺としては、あくまで日本のプロモーターが望めばだが・・・、あと1試合だけ日本で戦いたいと思っている。現時点では何も決まっていないし、このまま今回の試合が現役最後になるかもしれない。だが、俺は愛する日本のファンに恩返しがしたい。それに 『決着をつけたい奴』もいるから、出来ればそいつと対戦したいと思っている。俺がフランスではなく日本を最後の引退試合に選んで戦うことによって大会への注目が集まってくれれば、同じ大会に出る若手選手たちにもスポットが当たるようになれば日本のキックボクシング界の未来にも繋がると思う。日本のファンに最後のKO勝ちを捧げたいと思ってるから待っていてくれ!」と、因縁の相手との現役最後の引退試合を母国フランスではなく日本で行うことを熱望した。 12月31日にさいたまスーパーアリーナで開催する、榊原信行主宰の総合格闘技団体RIZIN FIGHTING FEDERATIONの興行イベント「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS」にて、元大関把瑠都(バルト)と総合格闘技ルールで対戦する事が決定していたが、バンナの共同マネージャーのオリヴィエ・ミュラーがフランスのメディアに対して「当初はエメリヤーエンコ・ヒョードルとエキシビションマッチをする予定だったのがバルト戦に変更されたこと、日本でのチャリティー活動を拒否されたことから不信感を抱いたことに加えて12月22日の練習中に左膝を怪我したので出場しない。現在は日本の他団体と2016年にチャリティーマッチをする交渉をしている」とコメントした。 12月30日の会見にてRIZIN榊原代表は「フランスの一部報道にあった、バルトとの試合はエキシビションというのはありえない。バンナにはヒョードル戦の可能性も聞いたのですから、ヒョードル戦がエキシビションになるわけがない」とコメントした。 12月31日、IGFのINOKI BOM-BA-YE 2015のメインイベントIGF WORLD GP 2015決勝の特別立会人として来場。大会後の会見にて、RIZINのバルト戦欠場についてバンナの共同マネジャーを務めるメリッサ夫人が「理由は2つあります。1つは契約内容がコロコロ変わったこと。ただ、最終的には契約していないし、(バルト戦は)決定ではなかった。新団体ということで契約がうまくいかなかった」「12月22日のトレーニング中に左ヒザを痛めた。試合ができない状態だった。来年1月にも手術する」「もともとのオファーもバルトとの総合格闘技戦での契約で、一部で報じられたヒョードルとのエキシビションマッチのオファーはなかった」とコメント。ヒョードルとのエキシビションマッチの有無について同じ共同マネージャーであるオリヴィエ・ミュラーの発言と矛盾しており、この点ではメリッサ夫人は榊原の主張と一致していた。 2016年12月29日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUNDでミルコ・クロコップと対戦予定だったヴァンダレイ・シウバが負傷欠場になると、バンナは動画を掲載して、「昨年の大晦日のRIZINでの試合を欠場した事について改めてファンの皆様、RIZIN主催者、私と対戦予定だったバルト選手、私の代役を務めてくれたピーター・アーツ選手、この件で迷惑をかけた全ての方々に謝罪したいと思います。」と謝罪、問題の原因だったオリヴィエ・ミュラーを解雇して以前に契約していたマネージャーを再雇用したことを明かし、怪我について「怪我をした証拠となるMRI診断書もRIZIN主催者に送っています。仮に今回の契約問題がなかったとしても、怪我によって試合が出来なかったことに変わりはなく、それは私の責任です。言い訳はしません。」と語り、「RIZINから提示された契約内容を確認し、全ての契約条件に同意する事を決めました。契約書にサインする準備は出来ています。」「もし試合前に怪我をしたとしても今回は絶対に欠場しません。必ず戦う事を約束します!」として代役出場をアピールした。さらにバンナは12月31日のRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUNDに来日して、リング上で前年大晦日のバルト戦を欠場したことをファンに直接謝罪し、「来年、ぜひRIZINの大舞台に戻って来たいです」と参戦の希望を表明した。大会後に榊原RIZIN実行委員長は「昨年のドタキャンでこちらは訴える準備を進めていましたが、バンナから直筆でレターが届いてお詫びをしたいと言ってきました。ヴァンダレイ・シウバの負傷欠場を受けて、ぜひグランプリに出たいと言ってきてくれましたが、渡航費も宿泊費もこちらは払わないから自分のお金で日本に来てお詫びをするのが筋だろうと言ったところ、ちゃんとけじめを付けてくれました」、とバンナが欠場のけじめを付けるために自費で来日した経緯を説明して、バンナの謝罪を受け入れたことを明かした。 2017年からはパリの総合格闘技の名門MMAファクトリーにMMAの練習拠点を移した。 2017年10月15日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 1st ROUND -秋の陣-にて2年ぶりの復帰戦、7年ぶりの総合格闘技ルールの復帰戦でDEEPメガトン級王者ロッキー・マルティネスと対戦し、打撃でプレッシャーをかけるが寝技に持ち込まれ、袈裟固めで一本負け。 2018年10月27日、スイスのジュネーヴでヴォイチェフ・ブリンスキと対戦。試合は自分より体格の大きいブリンスキにカウンターの右フックで1度目のダウンを奪うと、左ストレートで2度目のダウン、最後は左ミドルキックで1ラウンドKO勝ちを収め、WAKO-PRO認定FIGHT LEGEND世界ヘビー級王座を獲得した。 2019年3月2日、HEATに参戦。キックルールで楠ジャイロにローキックでKO勝ち。 7月28日、HEAT 45でキックルールでイム・ジュンスと対戦し、パンチの連打で2ラウンドKO勝ち。試合後のマイクパフォーマンスで「大和魂!ありがとう!私は日本人ではありません。でも私の心は日本人です!」と全て日本語でコメントした。後日、試合前に岐阜県揖斐川町に滞在した際に、町民の人々や日本の伝統文化と触れ合うルポルタージュ映像がメリッサ夫人のYouTubeで公開された。 2020年1月19日、HEAT 46で2年ぶりの総合格闘技ルールの試合でキム・チャンヒと対戦し、1R50秒、パンチの連打を浴びせてTKO勝ち。
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