IGF参戦・GLORY参戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > IGF参戦・GLORY参戦の意味・解説 

IGF参戦・GLORY参戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:43 UTC 版)

ジェロム・レ・バンナ」の記事における「IGF参戦・GLORY参戦」の解説

4月28日IGF東日本大震災復興チャリティー大会として開催されたGENOME15に電撃参戦しIGFチャンピオンシップ・トーナメント一回戦にて異種格闘技戦鈴川真一対戦し6度ダウン奪ってKO勝ち。 2011年6月11日スイスジュネーヴ行われたISKAフリースタイル世界スーパーヘビー級タイトルマッチステファン・レコ再戦判定勝ちして王座獲得。この試合レコ引退試合であり、試合バンナ土下座レコへの敬意表した(しかし、その後レコ引退撤回)。 2011年7月10日東日本大震災復興チャリティー大会GENOME16でのIGFトーナメント準決勝で、エリック・ハマーと異種格闘技戦対戦し5度ダウン奪ってKO勝ち。 2011年8月22日8月27日IGFトーナメント決勝戦対戦相手であるジョシュ・バーネット欠場決まったため、バンナ不戦勝扱いとして初代IGF王者認定された。8月24日IGF王座チャンピオンベルト授与された。同日放送されSアリーナ生出演した際には、「今日友人であるアンディ・フグ命日だから、このベルト手に入れたことでアンディ良い報告出来ると思う」と語り、「皆さんは僕の人生一部です」と日本語コメントして日本ファンへの感謝現した。 2011年8月27日INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜でのIGF王座初防衛戦藤田和之対戦しKO勝ちで初防衛成功した2011年9月3日、GENOME17にてノンタイトル戦でモンターニャ・シウバKO勝ち。 2011年12月2日INOKI BOM-BA-YE 2011でのIGF王座防衛戦で、トーナメント決勝戦対戦するはずだったジョシュ・バーネット対戦しKO勝ちで2度目の防衛成功した2011年12月4日震災被災地である福島県いわき市いわき明星大学開催された「闘魂祭り in いわき」にて、チャリティー・エキシビションマッチで角谷正義対戦し3度ダウン奪って1RKO勝ち。 2011年12月30日タイパタヤにてアンドレイ・キルサノフと対戦2度ダウン奪って3RKO勝ちを収め初代World Pro Leagueムエタイ世界スーパーヘビー級王座獲得した。この興行バンナタイトレーニングする際に拠点としているフェアテックスジム・パタヤへの恩返しと、タイ洪水被災者へのチャリティーマッチとして行われた試合後、リング上でマイク・パフォーマンス交際中の恋人プロポーズした2012年2月17日、GENOME18でのIGF王座防衛戦ピーター・アーツ対戦し腕ひしぎ十字固めアーツタップアウトさせて勝利し3度目の防衛成功した試合前には、2月14日死去した盟友マイク・ベルナルドへの追悼10カウントゴングがバンナ提案によって行われ試合後のリング上でバンナは「マイク見守ってくれてありがとう。天国君にこの試合捧げる君のこと絶対忘れない。君のために戦った安らかに眠ってくれ」とベルナルド追悼メッセージ送った2012年2月25日ポーランド総合格闘技団体KSW大会KSW 18メインイベント地元出身マーティン・ロザルスキー対戦予定だったが、試合直前に膝の半月板負傷し欠場した2012年5月26日、GENOME20でのIGF王座防衛戦アレキサンダー・コズロフKO勝ちで4度目の防衛成功レフェリーストップ納得がいかないコズロフ試合後にも乱闘繰り広げた2012年7月10日IGFの上海興行でコズロフ再戦し、パンチダウン奪ってフォール勝ちで5度目の防衛成功。なお、この試合古傷左腕負傷するというアングル組まれた。4日後の7月14日、GENOME21で藤田和之再戦し、フォール負けIGF王座6度目の防衛失敗その後アメリカでヴァンダレイ・シウバジムマーク・ムニョスジムなどで石井慧と共に練習重ねていたが、負傷によって9月15日KSW 209月29日のGENOME22を欠場した2012年12月31日、K-1に代わる世界最大キックボクシング団体となったGLORYの初の日本大会DREAM.18 & GLORY 4GLORY Grand Slamヘビー級トーナメント参戦予定だったが、怪我治りきっていないため、トーナメント回避し、2分3ラウンドワンマッチでKOICHIと対戦来日のための機内病気移されたため前日会見欠席し試合当日の朝になって発熱し嘔吐繰り返すほどの体調不良ありながら強行出場だったが、左ミドルキックを効かせて最後は右フック一発KO勝ち。試合後も休むことなく直後行われたチームメイトブリース・ギドンセコンド就いた2013年5月3日GLORY 8 TOKYOでKOICHIと再戦2Rダウン寸前まで追い詰めるなど終始圧倒しフルマークの判定勝ち。 6月16日ロマン・クレイブル対戦し2R左ミドルキックでクレイブルの腕を骨折させてKO勝ち。 8月4日13連勝中だったヴィタリ・オフラメンコ10年ぶりに再戦し、前回同様に2RKO勝ちでWKNオリエンタル・キックボクシング世界スーパーヘビー級王座防衛成功試合後、俳優シルヴェスター・スタローンから祝福されチャンピオンベルトを腰に巻かれた。 12月21日GLORY 13 TOKYOにてセルゲイ・ハリトーノフ対戦し、1Rはやや優勢だった2R以降ダウン奪われ判定負け12月30日フジテレビテレビ番組ジャイアントキリング 3にて各スポーツ世界トップアスリート32名による腕相撲トーナメント参戦しマーク・ハント大相撲遠藤聖大ハンドボール宮﨑大輔勝利しベスト4入りした。 2014年5月30日ル・アーヴルでの故郷凱旋試合でルシアン・ダニレンクと対戦。2ラウンドに右ボディフックで3度目ダウン奪ってKO勝ち。 2014年7月20日22日にかけて行われたIGF東日本大震災復興支援チャリティー大会『元気祭り2014』に参戦し福島県いわき明星大学、スポーツアリーナそうま、宮城県岩沼市総合体育館でチャリティー・プロレスマッチを戦った8月23日、INOKI GENOME FIGHT 2にて小川直也とのタッグ藤田和之クラッシャー川口組と対戦。プロレスルールに順応したバンナ連携ブレーンバスター繰り出すなど好連携発揮して勝利試合後、小川からタッグ継続希望された。 8月30日31日IGF初の北朝鮮での大会『インターナショナル・プロレスリング・フェスティバルin平壌』に参戦2014年10月26日フランスのメディアに対して2015年キックボクシング引退することを表明また、IGFでのプロレスに関しては「俺は日本心底愛してるからオファーある限り続ける」とコメントした2015年、『JLBグッバイツアー』と題し4月25日エヴルー6月12日リヨン8月4日サントロペの3試合キックボクシング引退することを発表した2015年4月25日エヴルーでの引退ツアー第1戦にてISKA K-1世界スーパーヘビー級王座決定戦でクラウディオ・イストラーテと対戦バンナはこの試合を3週間前に控えたスパーリング中に左の中足骨骨折してしまう。しかし、3月26日心臓発作急死したフランス格闘技雑誌カラテ・ブシドー・マガジンの名物記者パスカル・イギリキのためと、完売したチケット購入して遠方から観戦に来るファンのために、強行出場決意試合では骨折した左足一切庇わず、躊躇なく左ミドルキック連打する気迫全力ファイトKO勝ちして同王座獲得した。しかし、試合終了直後に足を引きずっており、この強行出場祟って全治8週間診断され6月12日の第2戦を欠場することとなった8月4日サントロペでのFight Night Saint-Tropez IIIにてフランス国引退試合となるWKNオリエンタルキックボクシング世界スーパーヘビー級王座防衛戦行った高額な好条件用意して元K-1世界王者はじめとする様々な強豪選手オファーしたものの、ことごとく対戦断られてしまい、直前まで対戦相手が決まらず、最終的に直前でカール・ロバーソンとの対戦決定した。K-1デビュー以前から愛用するニックネームジェロニモ」の衣装着けフランス人気ヒップホップグループシュープレムNTMのジョーイ・スターがバンナ入場曲生歌披露するなか、大歓声迎えられてリングイン。試合1ラウンドからローキック的確にヒットさせていくが2ラウンドダウン奪われる。4ラウンドバンナが右ミドルキックをロバーソンの腹部ヒットさせるが、ロバーソンはローブローアピールしながら倒れ込み、ロバーソンが試合再開指示応じずに休もうしたためレフェリーダウン宣告した。これで優勢になったバンナ逆転判定勝ちで王座防衛成功した8月8日日本格闘技サイトBoutreviewのインタビュー応じたバンナ最後に日本ファンへのメッセージ求められ、「勝っている時も、負けたり怪我している時も、ずっと応援し続けてくれている日本ファンの皆には感謝してもしきれないくらいだ。本当に嬉しいし、俺は心の底から日本愛している。俺は『JLB Goodbye Tour』と題した現役引退ツアーで3試合を戦うはずだった。しかし、6月予定していた第2戦を、対戦相手との交渉難航したのと、3月骨折した俺の左足治りきっていないのもあって出場できなかったことで、ファンの皆に俺の戦い見せ機会1試合減ってしまったことが申し訳ない思ってるし、俺を成長させて応援してくれた愛す日本ファンの前で試合出来ないまま終わってしまうのが心残りなんだ。だから俺としては、あくまで日本プロモーター望めばだが・・・、あと1試合だけ日本戦いたい思っている。現時点では何も決まっていないし、このまま今回試合現役最後になるかもしれない。だが、俺は愛す日本ファン恩返しがしたい。それに 『決着つけたい奴』もいるから出来ればそいつと対戦したい思っている。俺がフランスではなく日本最後引退試合選んで戦うことによって大会への注目集まってくれれば、同じ大会に出る若手選手たちにもスポットが当たるようになれば日本のキックボクシング界の未来にも繋がると思う。日本ファン最後KO勝ちを捧げたい思ってるから待っていてくれ!」と、因縁の相手との現役最後引退試合母国フランスではなく日本で行うことを熱望した12月31日さいたまスーパーアリーナ開催する榊原信行主宰総合格闘技団体RIZIN FIGHTING FEDERATION興行イベントRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS」にて、元大関把瑠都バルト)と総合格闘技ルール対戦する事が決定していたが、バンナ共同マネージャーのオリヴィエ・ミュラーがフランスのメディアに対して当初エメリヤーエンコ・ヒョードルエキシビションマッチをする予定だったのがバルト戦に変更されたこと、日本でのチャリティー活動拒否されたことから不信感抱いたことに加えて12月22日練習中に左膝を怪我したので出場しない。現在は日本の他団体2016年チャリティーマッチをする交渉をしている」とコメントした12月30日会見にてRIZIN榊原代表は「フランス一部報道にあったバルトとの試合エキシビションというのはありえないバンナにはヒョードル戦可能性聞いたのですから、ヒョードル戦エキシビションになるわけがない」とコメントした12月31日IGFINOKI BOM-BA-YE 2015メインイベントIGF WORLD GP 2015決勝の特別立会人として来場大会後会見にて、RIZINバルト欠場についてバンナ共同マネジャー務めメリッサ夫人が「理由2つあります1つ契約内容コロコロ変わったこと。ただ、最終的に契約していないし、(バルト戦は)決定ではなかった。新団体ということ契約うまくいかなかった」「12月22日トレーニング中にヒザ痛めた試合できない状態だった。来年1月にも手術する」「もともとのオファーバルトとの総合格闘技戦での契約で、一部報じられヒョードルとのエキシビションマッチオファーはなかった」とコメントヒョードルとのエキシビションマッチ有無について同じ共同マネージャーであるオリヴィエ・ミュラーの発言矛盾しており、この点ではメリッサ夫人榊原主張一致していた。 2016年12月29日RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUNDミルコ・クロコップ対戦予定だったヴァンダレイ・シウバ負傷欠場になると、バンナ動画掲載して、「昨年大晦日RIZINでの試合欠場した事について改めファン皆様RIZIN主催者、私と対戦予定だったバルト選手、私の代役務めてくれたピーター・アーツ選手、この件で迷惑をかけた全ての方々謝罪したい思います。」と謝罪問題の原因だったオリヴィエ・ミュラーを解雇して以前契約していたマネージャー再雇用したことを明かし怪我について「怪我をした証拠となるMRI診断書RIZIN主催者送ってます。仮に今回契約問題がなかったとしても、怪我によって試合出来なかったことに変わりはなく、それは私の責任です。言い訳はしません。」と語り、「RIZINから提示され契約内容確認し全ての契約条件同意する事を決めました契約書サインする準備出来てます。」「もし試合前に怪我をしたとしても今回絶対に欠場しません。必ず戦う事を約束します!」として代役出場アピールした。さらにバンナ12月31日RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUND来日してリング上で前年大晦日バルト戦を欠場したことをファン直接謝罪し、「来年、ぜひRIZIN大舞台戻って来たいです」と参戦希望表明した大会後榊原RIZIN実行委員長は「昨年ドタキャンでこちらは訴え準備進めていましたが、バンナから直筆レター届いてお詫びをしたいと言ってきましたヴァンダレイ・シウバ負傷欠場受けて、ぜひグランプリ出たいと言ってきてくれましたが、渡航費宿泊費もこちらは払わないから自分お金日本来てお詫びをするのが筋だろうと言ったところ、ちゃんとけじめを付けてくれました」、とバンナ欠場けじめを付けるために自費来日した経緯説明してバンナ謝罪受け入れたことを明かした2017年からパリ総合格闘技名門MMAファクトリーMMA練習拠点移した2017年10月15日RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 1st ROUND -秋の陣-にて2年ぶりの復帰戦、7年ぶりの総合格闘技ルール復帰戦でDEEPメガトン王者ロッキー・マルティネスと対戦し打撃プレッシャーをかけるが寝技持ち込まれ袈裟固め一本負け2018年10月27日スイスジュネーヴでヴォイチェフ・ブリンスキと対戦試合自分より体格大きいブリンスキにカウンターの右フック1度目ダウンを奪うと、左ストレート2度目ダウン最後左ミドルキック1ラウンドKO勝ちを収め、WAKO-PRO認定FIGHT LEGEND世界ヘビー級王座獲得した2019年3月2日HEAT参戦。キックルールでジャイロローキックKO勝ち。 7月28日HEAT 45でキックルールでイム・ジュンス対戦しパンチ連打で2ラウンドKO勝ち。試合後のマイクパフォーマンスで「大和魂ありがとう!私は日本人ではありません。でも私の心は日本人です!」と全て日本語コメントした後日試合前に岐阜県揖斐川町滞在した際に、町民人々日本の伝統文化触れ合うルポルタージュ映像メリッサ夫人YouTube公開された。 2020年1月19日HEAT 462年ぶりの総合格闘技ルール試合でキム・チャンヒと対戦し、1R50秒、パンチ連打浴びせてTKO勝ち。

※この「IGF参戦・GLORY参戦」の解説は、「ジェロム・レ・バンナ」の解説の一部です。
「IGF参戦・GLORY参戦」を含む「ジェロム・レ・バンナ」の記事については、「ジェロム・レ・バンナ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「IGF参戦・GLORY参戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「IGF参戦・GLORY参戦」の関連用語

IGF参戦・GLORY参戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



IGF参戦・GLORY参戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジェロム・レ・バンナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS