IGF旗揚げ後
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「イノキ・ゲノム・フェデレーション」の記事における「IGF旗揚げ後」の解説
6月29日、両国国技館にて旗揚げ興行「闘今 BOM-BA-YE」を8,426人の観衆を集めて開催。大方の予想を覆して大成功を収めた。観客数は実数で発表していると公表したが後に旗揚げの観客数は手違いで少なめに発表してしまったとサイモンが告白。メインイベントでは新日本プロレスで3代目IWGPヘビー級王座を獲得して王座剥奪後も新日本にチャンピオンベルトを返却しなかったブロック・レスナーがカート・アングルと非公式な3代目IWGPヘビー級王座戦で対戦し、アングルがアンクル・ロックで勝利してベルトを獲得した。その他、ジョシュ・バーネットや小川直也らが勝利を収めた。 ちなみに、大会名を「闘魂」ではなく「闘今」としたのは、この時点で「闘魂」という商標が新日本プロレスのものになっていたからである。 ただし、その内側では当初協力を申し出ていた藤波辰爾及び藤波が代表を務める無我ワールド・プロレスリング(現:ドラディション)の参戦は実現せず直前になってハッスル等の他団体へ選手の貸し出しを要請したり、早々にメインとして決定したレスナーvsアングル戦を一旦白紙に戻した上でカード発表を開催当日に行うといったドタバタ劇が繰り広げられた。猪木は「予定通りでは面白くない。非常識の批判はあるが、その方が面白い。見たくない奴は来るな」とコメントした。 9月8日、日本ガイシホールにて第2回大会「GENOME」を開催。メインではジョシュとドン・フライのUFC王者同士の対戦が実現し小川とプレデターのド迫力ファイト等、好試合を展開。試合内容に賛否はあるものの、小原道由、タカ・クノウ等の我武者羅ファイトは概ね好評であった。 12月20日、有明コロシアムにて第3回大会「GENOME 2」の開催。アングルが再度参戦し、当初はブッカー・Tと対戦予定であったが、「書類上の不備」で来日せず、代わりにIGF初参戦のケンドー・カシンと対戦した。メインイベントは、三つ巴戦で既にレネ・ローゼを破っていた安田忠夫対小川直也であったが、小川がSTOで安田をKOすると猪木が突然リングイン。小川と乱闘を繰り広げ、大混乱のまま大会が終了。 2008年2月16日、「GENOME 3」が有明コロシアムで開催され、小川とジョシュが初めてシングルで激突。ジョシュが小川から勝利を奪うも小川の抗議により再試合。2試合目は小川の勝利で1勝1敗となる。また、ブッカー・Tが初参戦してTAJIRIにフォール勝ちした。当時新日に参戦していたトラヴィス・トムコがIGF電撃参戦というハプニングもあった。 9月13日、U.W.F.スネークピットジャパンとの業務提携を発表。宮戸優光がゼネラルマネージャー、ビル・ロビンソンがスーパーバイザーに就任。 2010年5月9日に開催された「GENOME 12」にて、キックボクサーの角谷正義のデビュー戦を組んだ。以後は角谷を中心に、1大会に1試合程度のペースでキックボクシングルールマッチを組んでいる。 9月25日に開催された「GENOME 13」にて、総合格闘家ティム・シルビアが参戦し、初のプロレスルールマッチでジョシュ・バーネットとの元UFC世界ヘビー級王者同士の対決が行われた。 11月29日、新日本プロレスを退団してフリーとなった猪木の愛弟子である蝶野正洋のエグゼクティブプロデューサーに就任。 12月3日に「INOKI BOM-BA-YE 2010」を開催。 当初は所属選手ゼロで興行を打っていたが、2009年頃から猪木がスカウトした選手を抱えるようになった。
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