1970年 - 1974年とは? わかりやすく解説

1970年 - 1974年

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平城・相楽ニュータウン」の記事における「1970年 - 1974年」の解説

1970年昭和45年3月 - 木津町日本住宅公団開発に伴う覚書交換4月 - 公団第36条協議に基づき施工規定事業計画定めるため奈良県側の知事・市長への意見聴取が行われ、回答を得る。 4月28日 - 都市計画変更6月2日 - 地元住民反対としていた奈良市計画する清掃工場について話し合い付き7月起工式運びとなる。 奈良県教育委員会内に平城団地第8号遺跡調査委員会設置される7月20日-8月31日 - 平城団地第8号遺跡調査委員会奈良山53号窯を調査し瓦窯3基を発掘9月 - 日本住宅公団奈良県および奈良市から強い要望のあった古都風致景観保全について団地周辺を緑と2本で埋め計画発表9月25日 - 奈良市自然流下式水道建設事業完成木津川水源復活承認によって給水できるめどがつき、同県との調整完了したことから事業計画建設省提出奈良市給水規制緩和10月13日 - 奈良国際文化観光都市建設事業平城土地区画整理事業事業施行規定及び事業計画認可12月 - 平城地区市街化区域決定1971年昭和46年1月14日 - 平城地区審議会当選人決定公告1月 - 平城土地区画整理審議会発足3月 - 都市計画街路外環状線の「那羅」「山陵跨線橋」が完成5月27日 - 平城地区起工式が行われる。 5月30日 - 2府県をまたぐニュータウンでの行政格差問題となることから、協識会を設け検討に入る。 10月 - 一般国道24奈良バイパスの6.5km区間木津町-奈良市三条通り)が開通10月1日 - 平城地区仮換地指定および使用収益開始11月7日 - 360tの処理能力がある清掃工場完成総工費は5億8000万円余り当初旧式焼却炉操業していたため、騒音排煙悪臭から地元住民からの苦情絶えなかった。 11月 - 平城第一団地平城第二団地建設着工12月 - 清掃工場完成式が挙行される。 12月28日 - 相楽地区市街化区域決定し暫定的に相楽地区全域第1種住居専用地域となる。 1972年昭和47年1月19日 - 平城地区建設工事中に作業員生き埋めになり、死亡1月20日 - 前日死亡事故現場付近で再び作業員事故死奈良労働基準監督署が安全検査実施近鉄京都線平城駅から2.6km、山田川から1.6kmの地点新駅計画される7月 - 近鉄京都線新駅着工7月 - 平城第二団地の3K883戸、3DK612戸を入居募集7月3日-9月28日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が押熊瓦窯跡1,110m2を調査し、6基を発掘7月 - 平城地区通称町名が「神功」「右京「朱雀」左京」に決定7月31日-9月28日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が歌姫西瓦窯跡を調査し須恵器窯3基と瓦窯6基を発掘須恵器窯の発掘により、平城宮造営以前から窯が活動していたことが明らかになる8月12日 - 平城ニュータウン入居者消費活動および娘楽文化活動などに応えるため官公庁銀行医療機関サービス業を含む平城センター会社設立構想発表される9月25日-9月29日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が奈良山第15号地点古墳60m2を調査9月25日-10月5日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が奈良山第13号地点古墳125m2を調査10月3日-10月21日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が大仙廃寺跡545m2を調査10月6日-10月11日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が歌姫西瓦窯跡を調査し須恵器窯1基を発掘10月 - 日本住宅公団南部哲也総裁蜷川虎三京都府知事とのトップ会談で、京都府相楽地区開発協力する意思表明平城西配水池完成大阪ガス地域開発幹線導管神功線」を敷設11月22日 - 平城地区入居開始合わせるため、近鉄京都線高の原駅が仮開業11月24日 - かぎ渡し式。 11月25日 - 平城地区への入居平城第二団地第1次入居より始まり平城第二団地1,510戸のうち500戸程が入居入居率低さを受け、のちに平均月収家賃の4倍以上という入居資格条件廃止されて自由応募制になり、またPR電光掲示板横幕掲げられた。 11月 - 商業施設平城第2ショッピングセンター」が開業11月 - 平城第2ショッピングセンター平城派出所開設当初1人署員が週6日間午前9時から午後5時まで駐在していたが、自治会からの要望などを受けて団地内を巡回していたため、昼間でも無人であった平城派出所署員少なさ受けて奈良市防犯協議会直属機関として右京防犯委員会結成され25人の委員が数半に分かれて4-5午前8時半から午後11時までちょうちんを持ちながら団地付近道路巡回11月 - 平城地区一部給水開始11月 - 平城処理場併用開始都市計画街路外環状線併用開始11月 - 電電公社平城収容局完成し、0742-71が誕生12月1日 - 平城第二団地入居する15人の児童のための小学校として奈良市立右京小学校開校12月1日 - 平城地区最初中学校奈良市立平城西中学校開校当初生徒1人で、教師は5人。 12月1日 - 平城地区入居開始合わせ平城第2ショッピングセンター奈良市北部出張所開所12月 - 平城第2ショッピングセンター大阪ガス出張所開所12月 - 平城第2ショッピングセンター右京郵便局開局奈良市内では初め休日自動預入支払機による「ホリデーサービス」を実施12月 - 都市計画街路外環状線の6.8km区間奈良阪町-押熊町)が開通12月25日 - 近商ストア平城店が平城第2ショッピングセンター開店1973年昭和48年1月22日 - 相楽地区開発滞っている問題解決のため、日本住宅公団南部哲也総裁が、蜷川虎三京都府知事とのトップ会談を行う。 3月 - 第1次第2次宅債宅地引き渡し3月 - 医療法人新生平城診療所開所4月1日 - 平城地区最初幼稚園奈良市右京幼稚園」が開園4月 - 渋谷川改修工事着手5月1日 - 奈良市右京保育園開園5月16日 - 近鉄高の原駅完成し、本開業5月 - 都市計画街路外環状線北部地区開通が行われる。 7月 - 平城第一団地入居開始当初1972年12月入居募集予定であったが、平城第二団地入居率低さから日本住宅公団大阪支所では初めての募集延期となった7月28日 - 近商ストア平城店から西に1km平城第一団地近く平城2号店開店店舗面積は57.5m2で、日常生活上、最小限度かかせない必需品生鮮食品を主に取り扱ったまた、隣接して酒屋薬局があった。 7月28日 - 奈良市神功への入居開始合わせ奈良交通バスが、近鉄高の原駅から奈良市神功4丁目までの平城団地線運行開始平城団地線当初運行時間不便さから一日およそ700人の乗客しかなく、奈良県内団地を走るバス路線で最も大きな赤字出したが、日本住宅公団所要費用負担し、また開設後2年間は「新住宅地バス路線開設運行補助制度」による補助を受け、運行された。 8月 - 消費物質対策部・医療保健対策部・文化体育部・少年少女部広報部環境対策部・交通対策部などから成る平城第二団地自治会発足10月30日-11月4日 - 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部が音如ヶ谷瓦窯跡東側平坦部969m2を予備調査し、灰原掘立柱穴や瓦・土器2号窯の一部検出12月25日 - 相楽地区用途地域決定1974年昭和49年1月 - 日本住宅公団精華町確認書取り交わす1月 - 平城ニュータウン用地土地区画整理事業区域決定3月 - 奈良県新年度予算平城センター会社予算計上される奈良県新年度予算平城第二団地自治会から要望があった青空市場助成金計上4月 - 平城第一団地自治会発足4月 - 関西電力平城変電所完成6月 - 3度渡り精華町域の地元権利者対象説明会開催7月 - 精華町域の地区権利者対象説明会開催7月 - 清掃工場粗大ごみ処理施設完成日本住宅公団平城第一団地平城第二団地内の数か所に、「団地内での露天商禁止します。」と書かれた看板立てる。これに対して主婦らから「物価高世の中で少しでも安くて新鮮なものをめるのは当然のことなのに、露天商禁止するとそれが買えなくなる」「第一第二団地2,100世帯の内3分の1共働き家庭で、その9割以上が大阪京都への県外通勤であるにもかかわらず近商ストア19時で閉店するために勤め帰り買い物できない」として抗議起こった9月 - 平城第一団地自治会平城第二団地自治会平城ニュータウン自治連合会結成10月4日 - 相楽土地計画土地区画整理事業成立し相楽地区施行区域決定日本住宅公団民間コンサルタント依頼し高野前国土庁調査官藤野近畿地方整備局本部調査官大学専門家からなる調査委員によって府や町と調整しながら「平城ニュータウン基本計画」(相楽地区マスタープラン)の再検討実施し道路計画施設計画土地利用計画全て見直される12月20日 - 平城ニュータウンセンター開発設立総会開かれる奈良県・奈良市日本住宅公団金融機関鉄道ガス電力会社などが共同出資し、資本金は2億円。

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1970年 - 1974年

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ダグラス・トランブル」の記事における「1970年 - 1974年」の解説

1971年『サイレント・ランニング』監督『2001年宇宙の旅』では使えなかった数々特殊撮影技術役立てた『サイレント・ランニング』高い評価得たものの、宣伝不足で、興行的に惨敗だった。この時期には、他にもいくつかの映画プロジェクト動かしたが、支援を得ることはできなかった。特撮スタッフとして『アンドロメダ…』1971年)に参加1973年カナダCTVテレビシリーズ『スターロスト宇宙船アーク英語版)』を製作総指揮

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