1970〜1982年:『シャルリー・エブド』第一期
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「シャルリー・エブド」の記事における「1970〜1982年:『シャルリー・エブド』第一期」の解説
1970年11月9日にコロンベ=レ=デュー=エグリーズでフランス第18代大統領シャルル・ド・ゴールが死去した。これを受けて『レブド・アラキリ』は11月16日号の見出しを「コロンベで悲劇のダンスパーティ ― 犠牲者1人 (Bal tragique à Colombey - un mort)」とした。これはショロンのアイディアで、11月1日にサン=ローラン=デュ=ポン(イゼール県)のディスコテークで起こった放火事件(死亡者146人)に関する新聞の見出しのパロディーであった。これにより『レブド・アラキリ』はレイモン・マルスラン(フランス語版)内相から発禁処分を受けることになった。『レブド・アラキリ』のメンバーらは新聞の発行を続けるために週刊新聞『シャルリー・エブド』を創刊した。これは『アラキリ』の延長線上にあるものではなく、既に刊行されていた『月刊シャルリー(フランス語版)』(編集長ジョルジュ・ウォランスキ) の内容を受け継ぐものであった。月刊紙『シャルリー』は、当初イタリアの月刊紙『ライナス』の仏語版であった。チャーリーもライナスも、『ピーナッツ』の登場人物である。メンバーらは「シャルリー(チャーリー)」という名前の「お人好しっぽくて、ちょっとずれていて、ほんのちょっと時代遅れな (débonnaire, légèrement décalé et un tout petit peu désuet)」感じが気に入ったとし、併せて(先に発禁処分を受けた経緯から)シャルル・ド・ゴールへの言及を含むものだと説明した。 『シャルリー・エブド』第1号は1970年11月23日に発行。『アラキリ』同様、ショロンが発行責任者、フランソワ・カヴァナが編集長であった。『アラキリ』の風刺の精神を受け継ぎながら、ポリティカル・エコロジー(フランスにおけるこの分野の先駆者であるピエール・フルニエ (ジャーナリスト)(フランス語版)が担当)、反人種差別、反軍国主義、そしてフェミニズムを支持する内容であった。1971年、『シャルリー・エブド』はビュジェ原子力発電所に抗議する訴えを掲載し、ビュジェでのデモを呼びかけた。これに応えて12,000〜15,000人がデモに参加し、フランス(および欧州)における反核運動の発端となった。『シャルリー・エブド』は動物愛護運動でも同様に先駆的な役割を果たすことになった。同じ頃、『シャルリー・エブド』は「一人はみんなのために、みんなは一人のために」をもじった「一人はみんなのために、みんな腐ってる (Un pour tous, tous pourris !)」というスローガンを使うようになり、後にコリューシュに受け継がれた。コリューシュはコメディアンだが特に心のレストラン(フランス語版)(貧しい人に食事を無料で配給する団体)を立ち上げたことで知られる。1972年、ピエール・フルニエがポリティカル・エコロジー運動の一環として『ラ・グル・ウヴェルト(フランス語版)』(「大口開けて / 黙っていられない」)を創刊。『シャルリー・エブド』のカヴァナ、ウォランスキ、レゼール、カビュらが参加した。1979年から1980年にかけてコリューシュが『シャルリー・エブド』に「貧乏人はばか」、「ばかと物わかりの悪いやつらの新聞」と題するフォト漫画を掲載。1981年、コリューシュが大統領選出馬を表明したとき、『シャルリー・エブド』はこれを支持する公式新聞となった。ショロンの影響力が強まるにつれて『シャルリー・エブド』の編集方針が変わり、みだらでスカトロジー的なユーモアを弄するようになった。こうした傾向とは一線を画していたカヴァナは、次第に『シャルリー・エブド』を離れ、作家活動に専念するようになった。 『シャルリー・エブド』は広告を一切掲載しない方針であり、広告収入はゼロ、販売収入(キオスクでの販売と定期購読)のみで経営を維持しているため、購読者が減少すれば直接経営に影響する。ショロンのずさんな経営により債務が重なり、新たな方向性も見いだせなくなっていた。1981年5月の大統領選挙および6月の総選挙で社会党が第一党になり、1973年に『シャルリー・エブド』と同様に左派の新聞として創刊された『リベラシオン』が時代の空気を伝えることができたのに対して、『シャルリー・エブド』は時代遅れの感があった。窮地を脱するため唐突にも1981年3月16日から18日まで『シャルリー・マタン (Charlie Matin)』という日刊紙を発行したが、1981年末には破産申立を行い、12月23日、最終号を発行した。
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