1970年 - 1976年
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「ロキシー・ミュージック」の記事における「1970年 - 1976年」の解説
第1期 ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース ロジャー・バン (Roger Bunn) - ギター デクスター・ロイド (Dexter Lloyd) - ドラム 第2期 1971年 ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース ロジャー・バン (Roger Bunn) - ギター ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム 第3期 1971年 - 1972年:デビュー ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース デヴィッド・オリスト (David O'List) - ギター ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム 第4期 1972年 ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ グラハム・シンプソン (Graham Simpson) -ベース ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム アルバム『ロキシー・ミュージック』録音。 第5期 1972年 - 1973年 ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム + リック・ケントン (Rik Kenton) - ベース ジョン・ポーター (John Porter) - ベース (2nd) サル・メイダ (Sal Maida) - ベース アルバム『フォー・ユア・プレジャー』録音。 第6期 1973年 - 1976年 ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ エディ・ジョブソン (Eddie Jobson) - シンセサイザー、ヴァイオリン ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム + サル・メイダ (Sal Maida) - ベース ジョン・ガスタフソン (John Gustafson) - ベース (3rd、4th、5th) ジョン・ウェットン (John Wetton) - ベース リック・ウィルス (Rick Wills) - ベース アルバム『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』録音。ライブ・アルバム『VIVA!ロキシー・ミュージック』録音。
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1970年 - 1976年
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「ダイヤモンド類似石」の記事における「1970年 - 1976年」の解説
1970年ごろから、チタン酸ストロンチウムは合成ガーネットとでもいうべき新しい部類のダイヤモンド類似石に置き換えられてゆく。これらはほんとうの意味でガーネットとは言えない。というのも、天然ガーネットはそのどれもがケイ酸塩鉱物であるが、これらは組成にケイ素を含まないのでむしろ酸化物だからである。だが天然ガーネットと同じ結晶構造(等軸晶系)を有し、一般的な化学構造式はA3B2C3O12で表される。天然ガーネットではCは常にケイ素であり、A、Bには地表にありふれた金属元素数種が入る。でも合成ガーネットではそのいずれにも、あるいは一方にあまり馴染みのない希土類元素が入る。これらはラインストーンをのぞき、天然に相当する鉱物が見当たらない唯一のダイヤモンド類似石である。宝石学的には、これらは合成宝石というより人工宝石と呼ぶ方がふさわしい。なぜなら、合成という単語には、自然界にもあるものを人手で組上げる、という意味を含ませてあるからである。 人工ガーネットは何種類も人工合成されたが、実際にダイヤモンド類似石として流通したのは2種だけ。1種は1960年代終わり頃に登場したイットリウム・アルミニウム・ガーネット(Y3Al5O12、ヤグ (YAG))である。これらは溶融から結晶生長までチョクラルスキー法、別名結晶引き上げ法により製造され、現在も同法で製造されている。不活性ガスで満たされた空間にイリジウム製のるつぼを置き、中には酸化イットリウムと酸化アルミニウムを入れ約1,980℃を保つよう注意深く温度を制御し、溶かして混ぜ合わせる。竿(ロッド)の先に小さな種結晶が取り付けられ、るつぼ内の溶融液表面に種結晶が接触するまで下げられる。そうすると種結晶の下に溶融液物がつくわけで、このとき液表面の温度は融点ぴったりから下になるよう温度管理をしっかりせねばならない。ロッドはその間ずっと回転させながら慎重に引き上げられ、るつぼ内の溶融液は徐々に円柱状のブール結晶へと析出し、同時に成長してゆくわけである。結晶の純度はかなり高く、一度に5cm高、径20cmの結晶9,000カラット (1.75kg) をつくれる。 YAGのモース硬度は8.25と高く、脆くないのもチタン酸ストロンチウムから大きく改善された点だといえる。一方で屈折率は1.83、分散値は0.028とかなり低いが、ブリリアントカットを施してもはっきりしたファイアが確認でき、輝き具合もよかった。繰り返すが、屈折率と分散値はダイヤモンドのそれよりかなり低いにもかかわらず、である。不純物の添加により得られる色の数はそれこそ無数で、黄や赤、それに模造エメラルドにできるレベルの鮮やかな緑があった。主な製造元にはミシガン州のICT、ライトンシステムズ、アライドケミカル、レイセオン、ユニオンカーバイド社などがあった。ピーク時である1972年の年間生産量は40,000,000カラット (8,000kg) もあったが、その後は急落。流通名はそれこそ無数にあるが、代表的なものは「ダイヤモニア」「ダイヤモネア」(Diamonair)「ダイヤモニーク」(Diamonique)「ジェモネア」(Gemonair)「レプリーク」(Replique)「トリアモンド」(Triamond) である。 YAG生産量の急落は、一つには市場が飽和したのがその理由だが、その一方ですぐに新たなもう1種のダイヤモンド類似石として重要な人工ガーネット、ガドリニウム・ガリウム・ガーネット(Gd3Ga5O12、スリージー (GGG))が登場したこともある。製造法はYAGと同じ(ただしGGGの融点は1,750℃である)で、屈折率 (1.97) はダイヤモンドにより近くなり、分散値 (0.045) もダイヤモンドにほぼ一致する。GGGはまた主な宝石と比べても十分に強靭(モース硬度は7)だったが、原料費がYAGよりかなり高くつき、太陽光もしくは紫外光の曝露により色が次第に黒ずんでくることもまたその普及を阻んだ。これは、もともとGGGが技術分野で新材料として開発されながらも結局は役立たずに終わり、宝石向けに転用された事実を意味している。また比重 (7.02) はダイヤモンド類似石、いやすべての宝石の中で最大であり、対象の大きさから、それが本物のダイヤモンドであった場合推測できる重さと、実際のそれを比較すれば簡単に見分けがつくことを意味した。相当量が製造されたYAGと異なり、GGGの製造量は1970年代を通して増えも減りもしなかった。流通名は「ダイヤモニーク2」(Diamonique II)「ガリアント」(Galliant) などである。
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