1970年 - 1979年
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「エインズレー・ダンバー」の記事における「1970年 - 1979年」の解説
1970年2月、フランク・ザッパの誘いでアメリカ西海岸に活動拠点を移動する。 ザッパはその当時既にデビュー時から率いていたマザーズ・オブ・インヴェンションを解散し、自由にミュージシャンを選べる立場にあった。ザッパ自身に浅くはないドラムの演奏経験があり、またリズムを偏重するその音楽性ゆえにドラマーに対する要求はたいへん厳しく、ザッパ・バンドのドラマーは歴代大変なテクニシャン揃いだったが、エインズレーがその第一号である。 当時のエインズレーは数多くのザッパ作品に携わりつつ、デヴィッド・ボウイ、ルー・リード、ミック・ロンソンのアルバムに参加している。 ザッパの元を離れ次に加入したのがジャーニーである。初期の作品の重厚な雰囲気はエインズレーのドラムによるものが大きい。しかしバンドは大きな成功は得られず、4枚目の『インフィニティ』でボーカリスト、スティーヴ・ペリーを迎えたジャーニーは路線を大きく変更するが、ポップな方向への路線変更を良しとしなかったエインズレーはジャーニーを脱退してしまう。 ジャーニー脱退後はドラムのジョン・バーベイタが自動車事故で活動できなくなったジェファーソン・スターシップに同バンドのベーシスト、ピート・シアーズの紹介で加入する。1979年の初参加作「Freedom at Point Zero」ではエインズレーのヘビーなドラムが大きく前面にフィーチャーされている。
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1970年-1979年
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「リンカーン・タウンカー」の記事における「1970年-1979年」の解説
1970年、タウンカーの名称がトリムパッケージのオプションとして復活し、レザーシートやより深いカットパイルカーペットなどが用意された。1971年にはリンカーン創業50周年を記念した1,500台のコンチネンタル・ゴールデン・アニバーサリー・タウンカーが限定生産された。 1972年にはリンカーン・コンチネンタルの派生モデルとしてタウンカーが登場した。標準ではルーフのリア半分がビニール(英語版)で覆われる仕様であったが、オプションで全体をビニールで覆うフルレングス仕様も用意されていた。ルーフ上の盛り上がったモールディングのBピラーにコーチランプを組み込んだ。1973年には2ドアモデルのタウンクーペが登場した。タウンカーと同様にビニールルーフが標準装備された。 1975年のリンカーンのルーフラインの改良の一環として、タウンカーにマークIVクーペの楕円形のオペラウィンドウを採用、タウンクーペには大きな長方形のオペラウィンドウが与えられた。 コンチネンタル・タウンカーは同部門の成功を証明し、マークIVやマークVが社内的にはリンカーンとしてのブランド名ではなかったため、1970年代で最も人気のあるリンカーン車となった。 (リンカーン) コンチネンタル・タウンカー: 1970年-1979年 1976年 リンカーン・タウンクーペ (2ドア版) 1978年 リンカーン・コンチネンタル・タウンカー 1979年 リンカーン・コンチネンタル・タウンカー 1977年型リンカーン・コンチネンタル・タウンカーのリアルーフラインのクローズアップ画像
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