随想・自伝・エッセイ・日誌・紀行
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「三島由紀夫」の記事における「随想・自伝・エッセイ・日誌・紀行」の解説
狸の信者(輔仁会雑誌 1938年7月)★ - 連作「鈴鹿鈔(すずかしょう)」の一作。 惟神之道(かんながらのみち)(1941年9月)★ 芝居日記(1942年1月-1947年11月)★ - 原題「平岡公威劇評集」。1989年10月-1990年2月『マリ・クレール』初掲載。 東文彦 弔詞(1943年10月) - 1998年12月『新潮』掲載。 東徤兄を哭(こく)す(輔仁会雑誌 1943年12月)★ 柳桜雑見録(やなぎざくらざっけんろく)(文藝文化 1943年12月)★ 平岡公威伝(1944年2月)★ 扮装狂(1944年8月)★ - 2000年11月『新潮』初掲載。 廃墟の朝(1944年夏)★ 詩論その他(1945年5月-6月) - 2000年11月『新潮』に初抜粋掲載。 別れ(輔仁会報 1945年7月) 昭和廿年八月の記念に(1945年8月) - 1979年3月『新潮』初掲載。 戦後語録(1945年9月) 川端康成印象記(1946年1月) わが世代の革命(午前 1946年7月) 招かれざる客(書評 1947年9月) 重症者の兇器(人間 1948年3月) 師弟(青年 1948年4月) ツタンカーメンの結婚(財政 1948年5月) 反時代的な芸術家(玄想 1948年9月) 悲劇の在処(ありか)(東京日日新聞 1949年6月28日) 戯曲を書きたがる小説書きのノート(日本演劇 1949年10月) 大阪の連込宿――「愛の渇き」の調査旅行の一夜(文藝春秋 1950年6月) 虚栄について(美しい暮しの手帖 1950年10月) 声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性(スタイル 1950年12月) アポロの杯(各誌 1952年4月-8月、朝日新聞社 10月) 遠視眼の旅人(週刊朝日 1952年6月8日) 最高の偽善者として――皇太子殿下への手紙(婦人公論 1952年12月) 私の好きな作中人物――希臘から現代までの中に(別冊文藝春秋 1952年12月) 愉しき御航海を――皇太子殿下へ(1953年3月) - 発表誌未詳。 蔵相(ぞうしょう)就任の想ひ出――ボクは大蔵大臣(明窓 1953年4月・5月) 堂々めぐりの放浪(毎日新聞 1953年8月22日) 芝居と私(文學界 1954年1月) 女ぎらひの弁(新潮 1954年8月) 好きな女性(知性 1954年8月) 私の小説の方法(河出書房 1954年9月) - 『文章講座4』収録。 空白の役割(新潮 1955年6月) 終末感からの出発――昭和二十年の自画像(新潮 1955年8月) 八月十五日前後(毎日新聞 1955年8月14日) 戯曲の誘惑(東京新聞 1955年9月6日-7日) 小説家の休暇(書き下ろし/講談社 1955年11月) 新恋愛講座(明星 1955年12月-1956年12月) 歴史の外に自分をたづねて――三十代の処生(中央公論 1956年2月) ラディゲに憑かれて――私の読書遍歴(日本読書新聞 1956年2月20日) わが漫画(漫画読売 1956年3月5日) わが魅せられたるもの(新女苑 1956年4月) 自己改造の試み――重い文体と鴎外への傾倒(文學界 1956年8月) ボディ・ビル哲学(漫画読売 1956年9月20日) 或る寓話(群像 1956年10月) 文学とスポーツ(新体育 1956年10月) ボクシングと小説(毎日新聞 1956年10月7日) 陶酔について(新潮 1956年11月) わが思春期(明星 1957年1月-9月) 旅の絵本(各誌 1957年12月-1958年4月)■ 裸体と衣裳――日記(新潮 1958年4月-1959年9月) 外遊日記(新潮 1958年7月、9月、11月) 不道徳教育講座(週刊明星 1958年7月27日-1959年11月29日)◎◇ 私の見合結婚(主婦の友 1958年7月) 作家と結婚(婦人公論 1958年7月) 母を語る――私の最上の読者(婦人生活 1958年10月) 同人雑記(聲 1958年10月-1960年10月) 十八歳と三十四歳の肖像画(群像 1959年5月) ぼくはオブジェになりたい(週刊公論 1959年12月1日) 夢の原料(輔仁会雑誌 1960年12月) ピラミッドと麻薬(毎日新聞 1961年1月28日) 美に逆らふもの(新潮 1961年4月) - タイガーバームガーデン紀行。 汽車への郷愁(弘済 1961年5月) 法律と文学(東大緑会大会プログラム 1961年12月) 第一の性(女性明星 1962年12月-1964年12月) 私の遍歴時代(東京新聞 1963年1月10日-5月23日) 私の中の“男らしさ”の告白(婦人公論 1963年4月) 小説家の息子(教育月報 1963年7月) 一S・Fファンのわがままな希望(宇宙塵 1963年9月) わが創作方法(文學 1963年11月) 写真集「薔薇刑」のモデルをつとめて――ぷらす・まいなす'63(読売新聞 1963年12月28日) 夢と人生(岩波書店 1964年5月) - 『日本古典文学大系77 篁物語・平中物語・浜松中納言物語』月報 私の小説作法(毎日新聞 1964年5月10日) 天狗道(文學界 1964年7月) 熊野路――新日本名所案内(週刊朝日 1964年8月28日) 秋冬随筆(こうさい 1964年10月-1965年3月) 実感的スポーツ論(読売新聞 1964年10月5日-6日、9日-10日、12日) 東洋と西洋を結び火――開会式(毎日新聞 1964年10月11日) 「別れもたのし」の祭典――閉会式(報知新聞 1964年10月25日) 男のおしやれ(平凡通信 1964年12月) 反貞女大学(産経新聞 1965年2月7日-12月19日) 法学士と小説(学士会会報 1965年2月) ロンドン通信・英国紀行(毎日新聞 1965年3月25日・4月9日-10日) 私の戦争と戦後体験――二十年目の八月十五日(潮 1965年8月) 太陽と鉄(批評 1965年11月-1968年6月) をはりの美学(女性自身 1966年2月14日-8月1日) 「われら」からの遁走――私の文学(講談社 1966年3月) - 『われらの文学5 三島由紀夫』収録。 わが育児論(主婦の友 1966年4月) 二・二六事件と私(河出書房新社 1966年6月) - 作品集『英霊の聲』付録。 闘牛士の美(平凡パンチ 1966年6月10日) 私の遺書(文學界 1966年7月) 私のきらひな人(話の詩集 1966年7月) ビートルズ見物記(女性自身 1966年7月18日) 私の健康法――まづボデービル(読売新聞 1966年8月21日) 年頭の迷ひ(読売新聞 1967年1月1日) 男の美学(HEIBONパンチDELUXE 1967年3月) 紫陽花(あじさい)の母(潮文社 1967年10月) - TBSラジオ「母を語る」活字化。 いかにして永生を?(文學界 1967年10月) 青年について(論争ジャーナル 1967年10月) - 万代潔との出逢いを語る。 インドの印象(毎日新聞 1967年10月20日-21日) 「文芸文化」のころ(番町書房 1968年1月) - 『昭和批評大系2 昭和10年代』月報 日本の古典と私(秋田魁新報 1968年1月1日) F104(文藝 1968年2月) - F104戦闘機試乗体験記。 電灯のイデア――わが文学の揺籃期(新潮社 1968年9月) - 『新潮日本文学45 三島由紀夫集』月報1 軍服を着る男の条件(平凡パンチ 1968年11月11日) 怪獣の私生活(NOW 1968年12月) ホテル(朝日新聞PR版 1969年5月25日) 「人斬り」出演の記(大映グラフ 1969年8月) 劇画における若者論(サンデー毎日 1970年2月1日) 独楽(辺境 1970年9月) 愛するといふこと(女の部屋 1970年9月) 滝ヶ原分屯地は第二の我が家(たきがはら 1970年9月25日)
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