調査旅行(大旅行)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:46 UTC 版)
「東亜同文書院大学 (旧制)」の記事における「調査旅行(大旅行)」の解説
1902年(明治35年)、外務省から根津一院長に対し、中国西北地方におけるロシア勢力の浸透状況についての調査が要請され、根津は第2期卒業生の5人を現地調査に派遣した。彼らの報告書に対し外務省から支払われた謝礼金を基金として、5期生以後は卒業論文のための「支那調査旅行」いわゆる「大旅行」が制度化されることとなった。学生たちは数名から5・6名のチームを組んで各地へ3ヶ月から半年までの旅行をし、その範囲は中国本土にとどまらず東南アジアにも及んだ。彼らが収集した地域情報をもとに1915年から1921年にかけて『支那省別全誌』全18巻が刊行され、1918年に研究所として支那研究部が新設されると、大旅行はいっそう組織的に実施されるようになった。しかし末期には日本軍が学生に対し情報提供を依頼するケースもあり、これらの事情があいまって大旅行を「スパイ活動」と見なす中国側の疑惑を呼んだとする見方もある。支那調査旅行、中国調査旅行とも。
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