埼玉県立熊谷高等学校とは? わかりやすく解説

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埼玉県立熊谷高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 08:38 UTC 版)

埼玉県立熊谷高等学校
北緯36度9分14.9秒 東経139度22分45.4秒 / 北緯36.154139度 東経139.379278度 / 36.154139; 139.379278座標: 北緯36度9分14.9秒 東経139度22分45.4秒 / 北緯36.154139度 東経139.379278度 / 36.154139; 139.379278
過去の名称 埼玉縣第二尋常中學校
埼玉縣第二中學校
埼玉縣立熊谷中學校
国公私立の別 公立学校
設置者  埼玉県
学区 旧第六学区
校訓 質実剛健
文武両道
自由と自治
設立年月日 1895年6月1日
開校記念日 10月6日
共学・別学 男子校(全日制課程)
男女共学(定時制課程)
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D111210000021
高校コード 11102D
所在地 360-0812
埼玉県熊谷市大原一丁目9番1号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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埼玉県立熊谷高等学校(さいたまけんりつ くまがやこうとうがっこう)は、埼玉県熊谷市大原に所在する県立高等学校

概要

1895年明治28年)、埼玉県の第二尋常中学校として創設された。2010年度より埼玉県教育委員会進学指導重点推進校2011年度にはスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けた。

校風・学校生活

校風
服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一切行われない。また、愛校心が強く、生徒が自ら好んで肩を組み校歌を斉唱する習慣がみられる[1]
通称
近年では一般に「くまたか」とされていることが多い。古くは「くまこう」と呼ばれていたが、熊谷工業高校に「熊工」(くまこう)の通称が用いられるようになったため、両校を明確に区別するために次第に変化していったものである。校歌の歌詞にある「熊高」はくまこうと読むとされるが、これは伝統的にそう読まれると言われているにすぎず、正式に校歌中の「熊高」の読み方を明記する根拠文献は存在しない。応援歌では「熊高」をくまこうと読み、在校生・卒業生はくまこうと呼んでいる。
部活動
硬式野球部は、1949年1951年1982年夏の甲子園に出場しており、1951年の大会においては準優勝した[2]。このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、音楽部、サッカー部、将棋部などもインターハイや県大会に出場するなどの実績を残している。上級の大会に出場すると応援団による壮行会が開かれ、各クラスに手作りのビラが配られる。生徒は肩を組み、第二応援歌を歌って激励する。
授業
通常の文系・理系に加え、教科により少人数授業を実施している。また、土曜日の授業が隔週で行われており、夏季休業中には全50講座程度の補講があり生徒は自由に選択することができる。数学において大学の授業を先取り学習することが可能(但し、審査がある)。
設備
校舎は、各教室が集まるホームルーム棟(4階建て)、職員会議室などがある本館(3階建て)、そして各種理科室などがある理科棟(3階建て)の3つがある。このうち本館は1980年に竣工したものであるが、かつての本館(木造2階建て)は1978年3月18日に西半分を焼失した。なお、校歌に歌われている「赤甍」とは旧本館のそれを指し、現在の本館の赤甍風の屋根はそれの模倣であるが、部分的に旧本館の赤甍が使用されている。全館冷暖房完備。このほか、屋内型温水プール、記念館(図書館)、学生食堂、合宿棟などの設備があり。2009年8月には理科棟の床の張替が行われた。2016年からは埼玉県の新聞協会により無料で全国紙五紙が平日毎朝各クラスに配布されている[3]
校歌
作詞:石坂養平、作曲:山田耕筰。当時音楽教員であった荒井敬正が山田耕筰との間に交流があったことから作曲されたという経緯がある[4]
応援歌
六校応援団連盟による演技発表会「日輪の下に」や埼玉県立熊谷高等学校應援團演技発表会「勝利の伝統」があり、部活動応援で生かされる。一般の生徒がよく触れ、歌うのは応援歌は「第二」[5] 一番である。
校外交流
埼玉県立浦和高校川越高校春日部高校との交流がある。音楽部は熊谷女子高校と毎年、合同定期演奏会を行っている。近年では熊谷市の姉妹都市として締結されたニュージーランドインバーカーギル市に所在する Southland Boys' Highschool, 通称SBHS との交流がある[6]埼玉医科大学と共同研究を行っている[7]日本薬科大学と科学分野における連携協定を結んでいる[8]。令和3年、埼玉医科大学や京都大学の教授と在校生のプロジェクトの成果として作成した論文が『Current Psychology』誌に掲載された。
その他
本校には夏目漱石の『坊つちやん』のモデルとなった教育者の弘中又一や翻訳家の草野柴二が教員として在籍していた。また、田山花袋の『田舎教師』のモデルとなった郷土作家の小林秀三、戦後バスケの功労者である鈴木正三、オリガ・サファイアの夫で外交官の清水威久が生徒として在籍していた[9][10][11][12][13]。漫画『くまがヤン』(ヤングキングコミックス)において本校が描かれている。LunakateのMVが本校で撮影される。このMVには女優・モデルの白本彩奈も出演している。

部活動

運動部
  • 硬式野球
  • 軟式野球
  • サッカー
  • 水泳
  • スキー
  • 山岳
  • ソフトテニス
  • 硬式テニス
  • 卓球
  • バスケットボール
  • バドミントン
  • バレーボール
  • ハンドボール
  • ラグビー
  • 陸上競技
  • 弓道
  • 剣道
  • 柔道
  • 應援團
文化部
  • 物理
  • 化学
  • 生物
  • 地学
  • 音楽
  • 将棋
  • 書道
  • 吹奏楽
  • 美術
  • 文芸
  • 新聞
  • 社会科研究
愛好会
  • 囲碁
  • 映画
  • 英語
  • クイズ研究
  • 軽音楽
  • 現代文化研究会
  • 茶道
  • ダンス
  • 秩父支部劇
  • 鉄道
  • 特殊撮影
  • パソコン
  • フットサル
  • ファンタジー
  • 未来創造
最高戦歴(判明分のみ)
世界大会出場
  • 水泳
全国大会出場
  • 囲碁
  • 硬式野球(全国2位)
  • 自転車競技(全国1位)
  • 将棋(団体全国ベスト8、全国新人大会3位)
  • 書道
  • スキー
  • ソフトテニス
  • バレーボール
  • 陸上競技【ハンマー投げ】(全国11位)
  • 陸上競技【110MH】
関東大会出場
  • 音楽
  • 弓道
  • 剣道
  • サッカー
  • 山岳
  • 柔道
  • 軟式野球
  • ラグビー
  • 陸上競技【やり投げ】
  • 陸上競技【8種競技】
  • 陸上競技【4×400m】
県大会出場
  • 硬式テニス
  • 卓球
  • バドミントン
  • バスケットボール
  • ハンドボール
應援團について
2008年公開の映画『フレフレ少女』や2012年放送のドラマ『放課後はミステリーとともに』の応援指導を本校の應援團や應援團OBが行った。

定時制

定時制の日課表
熊谷高校定時制では、1時限は「17:25~18:10」、給食は「18:10~18:35」、2時限は「18:35~19:20」、3時限は「19:25~20:10」、4時限は「20:15~21:00」となっている。
部活動
ハンドボール女子が、1953年に全国4位、1954年に全国3位になっている。

学校行事

40キロハイク
5月中・下旬ごろに行われる行事。戦前に熊谷から秩父の間で行われていた「剛健行軍」を再現したもので、1975年から実施されている[14]。熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを完歩する[15]
熊高祭
毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称。文化祭に関しては、仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行う。また、應援團による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。体育祭に関しては、2024年度から熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で開催されることになり、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、全校での「騎馬戦」といった伝統的な種目が見られる。また、過去には水泳やタイヤ引きなどを連続して行い、体力と気力を試す個人競技「鉄の男」が実施されていた。
クロスカントリー大会
毎年11月頃に熊谷スポーツ文化公園で行われ、公園内10キロメートル走るという行事。通称「クロカン」。完走後に参加賞としてりんごが配られることが通例となっている。近年は実施されていない。
修学旅行
2年次の11月頃に行われる。大まかな行き先を学年で関西地方や九州地方、北海道などから選択する。また宿泊地をグループ毎に各自選択することができる。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。

このほかにも各種スポーツ大会(1年次:バレーボール・ラグビー、2年次:柔道・バスケットボール、3年次:テニス卓球・サッカー)や、百人一首大会(1年次)、水泳大会(各学年別)などがある。

生き生き仕事人
医師研究者弁護士社長など本校の卒業生による進路選択の為の講演会。その他にも医学部医学科、東京大学京都大学東北大学早稲田大学慶應義塾大学防衛大学校等の教授や在校生による講演会がある。

沿革

  • 1895年(明治28年) - 埼玉縣第二尋常中學校(旧制)が設立される。
  • 1899年(明治32年) - 埼玉県第二中学校と改称する。
  • 1901年(明治34年) - 埼玉県立熊谷中学校と改称する。
  • 1910年(明治43年) - 渋沢栄一が講演会のため本校に訪れる。
  • 1912年 (明治45年) - 大隈重信が講演会のため本校に訪れる。
  • 1918年(大正7年) - 制服が変わる(国防色の上下となる)。
  • 1944年(昭和19年) - 群馬県小泉町にある中島飛行機小泉製作所などで人材が必要になり勤労動員体制が強化されたことにより、熊谷中学校の生徒も動員された。
  • 1946年(昭和21年) - 昭和天皇巡幸の途次に行幸(昭和天皇の戦後巡幸の一環)[16]
  • 1948年(昭和23年) - 埼玉県立熊谷高等学校(新制)と改称。通信教育部設置。寄居分校、妻沼分校、深谷分校開校。
  • 1949年(昭和24年) - 第31回全国高等学校野球選手権大会に出場。吉岡分校開校。
  • 1951年(昭和26年) - 第33回全国高等学校野球選手権大会に出場。準優勝する。
  • 1957年(昭和32年) - 通信教育部、浦高に統合される。(現・大宮中央高等学校)
  • 1959年(昭和34年) - 寄居分校独立する。(現・寄居城北高等学校)
  • 1961年(昭和36年) - 深谷分校廃校となる。
  • 1969年(昭和44年) - 制服、制帽の規制を廃し、服装自由となる。
  • 1978年(昭和53年) - 赤甍校舎が火災により焼失する。
  • 1981年(昭和56年) - 妻沼分校廃校となる。
  • 1982年(昭和57年) - 第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。吉岡分校廃校となる。
  • 1985年(昭和60年) - 熊谷中学校校歌碑が建立。
  • 1994年(平成6年) - SBHS(ニュージーランド)との交流開始。
  • 1995年(平成7年) - 創立100周年記念式典挙行される。県下公立高校初の開閉式屋根をもつ屋内温水プール竣工。くぬぎ会館建設、熊谷高校校歌碑建立。
  • 1996年(平成8年) - 埼玉県立浦和高校との百年対決を決行。
  • 2000年(平成12年) - 生き生き仕事人開始。
  • 2006年(平成18年) - 医歯薬クラス設置
  • 2008年(平成20年) - 紫雲塾講座実施。
  • 2010年(平成22年) - 埼玉県より進学指導重点推進校に指定される。
  • 2011年(平成23年) - 文部科学省より第1期スーパーサイエンスハイスクールに認定される。
  • 2012年(平成24年) - 紫雲塾講座終了。
  • 2015年(平成27年) - 熊高森づくりの会による記念植樹。金子兜太氏句碑建立。
  • 2016年(平成28年) - 第1年次生より単位制教育課程を導入。単位制の導入に伴い医歯薬クラス廃止
  • 2017年(平成29年) - 文部科学省より第2期スーパーサイエンスハイスクールに認定される。
  • 2018年(平成30年) -「坊ちゃん」、「田舎教師」記念碑建立。
  • 2019年(令和元年) - 川端康成の書簡が寄贈される。
  • 2022年(令和4年) - ペリー高校(アメリカ)との交流を開始。

交通アクセス

著名な関係者

医師・医療関連

政治・行政

経済

学者・研究者

スポーツ

音楽・美術

俳優・タレント

詩歌文芸

メディア関連

法職・士業

サブカル

その他 

教職員経験者

脚註

  1. ^ 「われら」(熊谷高校生徒会発行)第50号 17、21頁
  2. ^ 森岡浩『高校野球甲子園全出場校大事典』東京堂出版、2000年、85-86頁。ISBN 978-4490105414 
  3. ^ http://www.kumagaya-h.spec.ed.jp/zen/index.php?action=journal_view_main_detail&block_id=65&p_id=831&nc_session=3e7df04106c7456223361695fe45d61d
  4. ^ 『熊谷高校百周年誌』「甲子園大会出場と新校歌の誕生」(記:鈴木長作)606-608頁
  5. ^ 熊谷高校応援団公式ホームページ”. 2024年11月22日閲覧。
  6. ^ 国際交流”. 熊高公式サイト. 2009年2月14日閲覧。
  7. ^ umin「大学病院医療情報ネットワーク」に登録医大との共同研究2024年5月9日閲覧
  8. ^ 日本薬科大学5月21日(火)埼玉県立熊谷高等学校と科学分野における連携協定を結びました。2024年5月9日閲覧
  9. ^ 埼玉県高等学校国語科教育研究会埼玉現代文学事典編集委員会 編『埼玉現代文学事典』埼玉県高等学校国語科教育研究会、1990年、166, 258-261頁。 NCID BN06037676 
  10. ^ 埼玉県教育局. “「坊ちゃん」と「田舎教師」の記念碑除幕式”. kumagaya-h.spec.ed.jp. 2020年6月18日閲覧。
  11. ^ 出口競『校歌ローマンス』 続、実業之日本社、1919年。NDLJP:937622 
  12. ^ 日本スポーツ協会 編『日本スポーツ人名辞典』 昭和8年版、日本スポーツ協会、1933年。NDLJP:1145549 
  13. ^ 東京外国語学校 編『東京外国語学校一覧自大正13年至14年』東京外国語学校、1926年。NDLJP:941196/54 
  14. ^ 開校記念日にあたって〜熊谷高117年の歴史” (PDF). 埼玉県立熊谷高等学校 (2012年10月1日). 2016年9月7日閲覧。
  15. ^ 旬熊 40キロハイク無事終了”. 埼玉県立熊谷高等学校 (2016年5月31日). 2016年9月7日閲覧。
  16. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、91頁。 ISBN 978-4-10-320523-4 

関連項目

外部リンク





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