柿原謙一とは? わかりやすく解説

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柿原謙一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/04 23:06 UTC 版)

柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年8月19日 - 2000年1月16日) は、日本の実業家。六代目秩父鉄道社長。日本民営鉄道協会副会長。

来歴

秩父市で6人兄弟の長男として生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1937年東京商科大学卒業。謙一自身はこれで学校は終わりだと思っていたが、陸軍経理学校に入学させられた。

大学卒業後、一年半ばかり家業を手伝っていたが、1934年に補充兵で応召。その後9年間兵役に従事。大尉となる。

戦後、秩父鉄道に入社。1947年取締役経理部長となり常務取締役を経て、1969年に六代目社長に就任。社長退任後会長となる[1]

1984年、春の叙勲で勲三等瑞宝章受賞[2]

2000年1月16日、秩父市内の病院で急性呼吸不全のため死去[3]

人物

脚注

  1. ^ 財界名士録:埼玉経済を担う100人のすべて、野口貢一著、頁108。
  2. ^ 電気鉄道=Erectricrailway38(6)(433)、電気鉄道協会著。
  3. ^ 交通公論 正月(187)、出版 交通公論社、頁54。
  4. ^ 財界名士録:埼玉県を担う100人のすべて、野口貢一著、頁32。



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