柿原謙一
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柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年8月19日 - 2000年1月16日) は、日本の実業家。六代目秩父鉄道社長。日本民営鉄道協会副会長。
来歴
秩父市で6人兄弟の長男として生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1937年、東京商科大学卒業。謙一自身はこれで学校は終わりだと思っていたが、陸軍経理学校に入学させられた。
大学卒業後、一年半ばかり家業を手伝っていたが、1934年に補充兵で応召。その後9年間兵役に従事。大尉となる。
戦後、秩父鉄道に入社。1947年に取締役経理部長となり常務取締役を経て、1969年に六代目社長に就任。社長退任後会長となる[1]。
2000年1月16日、秩父市内の病院で急性呼吸不全のため死去[3]。
人物
脚注
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