井上栄一_(実業家)とは? わかりやすく解説

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井上栄一 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 02:24 UTC 版)

井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年[1])は、日本の実業家赤城乳業の設立者。

「味覚の天才」といわれていた[2]

略歴

埼玉県大里郡深谷町(現在の深谷市)に生まれる[1]1930年旧制熊谷中学校を卒業した。

1938年、父である井上徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。

広瀬屋商店は天然氷を商いとしており、特に夏場の氷の需要が多かった[2]。栄一は、天然氷の商いにとどまらず、1949年には冷菓製造に乗り出し、1960年には合資会社赤城乳業と社名を変更した。1961年には組織変更して株式会社赤城乳業を設立した[2]

1964年、『赤城しぐれ』を開発した[3]

1961年から1987年まで社長を務めた。その他にも深谷市議会議員を務め、1963年から1964年の間は議長を務めた[1][4]

人物

  • 商品開発部が試作したアイスがあまりにもおいしくなかったため、窓の外に投げ捨ててしまったことがある[3]

出典

  1. ^ a b c 井上栄一(いのうええいいち)”. 深谷市 (2023年3月27日). 2024年4月14日閲覧。
  2. ^ a b c 寺田薫 (2020年7月3日). “「ガリガリ君」4億本も売り上げたモンスターアイスの誕生秘話”. 現代ビジネス. p. 2. 2024年4月12日閲覧。
  3. ^ a b 倒産寸前の会社を救った「ガリガリ君」生みの親が明かす誕生秘話”. MAG2NEWS. p. 2 (2017年1月25日). 2024年4月12日閲覧。
  4. ^ 井上家(赤城乳業社長・井上創太・井上秀樹の家系図)”. 閨閥学. 2024年4月12日閲覧。[信頼性要検証]
先代
-
赤城乳業社長
1961年-1987年
次代
井上秀樹



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