石島雉子郎とは? わかりやすく解説

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石島雉子郎

読み方いしじま

俳人救世軍士官埼玉生、東京住。名は亀次郎雉子郎は号。川島奇北岡本癖三酔高浜虚子師事する俳誌浮城』を発行著書に『雉子句集』『京日俳句鈔』がある。昭和16年1941)歿、55才。

石島雉子郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 23:43 UTC 版)

石島 雉子郎(いしじま きじろう、1887年8月26日 - 1941年4月18日[1])は、日本俳人救世軍大佐。本名は亀次(治)郎で、雉子郎は俳号である[1][2]。郷土史家で、田山花袋の「田舎教師」に登場する石川機山のモデルでもある石島薇山は兄[3]

来歴・人物 

埼玉県北埼玉郡行田町(現・行田市)の青縞問屋に生まれた[1][2]埼玉県立熊谷中学校時代から俳句に興味をもち、川島奇北から俳句の指導助言を受ける。後に中学は中退[4]。また、高浜虚子ホトトギスの会にも参加し、その後虚子に師事した[2]

1910年救世軍士官学校に入学する[2]山室軍平の認めるところとなり、1913年、姪の恵子と結婚[2]。同年秋朝鮮半島への伝道活動のため京城府に赴く[2]。京城では『京城日報』の選者として活動する[2]

1921年に東京に戻り、川島奇北の句集『田園』に跋文を寄せた[2]。俳誌『浮城』を発刊した[要出典]

救世軍清瀬療養所事務所長を務めた[要出典]

急病により、1941年に死去した[2]

死去から20年後の1961年に行田市俳句連盟の手により句碑が建立された(のち行田市下町の公園内に移設)[2]

作品

  • 思い沈む父や端居のいつまでも
  • 此巨犬幾人雪に救ひけむ
  • 蝉鳴くや日落ちてしばし燃ゆる雲[5]
  • 落日を望めば冬木枝細か[6]

脚注

  1. ^ a b c 『新編埼玉県史 通史編 5 (近代 1)』埼玉県、1988年、p.1081
  2. ^ a b c d e f g h i j 市報ぎょうだ歴史系譜 (PDF) 』行田市、2002年11月、p.97(「第92話 行田の人物志28 石島雉子郎」)
  3. ^ 『行田市史 下巻』行田市、1964年、p.1064
  4. ^ "石島 雉子郎". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2024年5月16日閲覧
  5. ^ 学校法人須磨学園俳句の知識 2024年5月16日閲覧[要文献特定詳細情報]
  6. ^ 石島雉子郎肉筆俳句短冊「落日を望めば冬木枝細か」大正10年京城にて 2024年5月16日閲覧[要文献特定詳細情報]


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