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黒田海之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 14:17 UTC 版)

黒田海之助
くろだ うみのすけ
生年月日 1911年5月18日
没年月日 (1995-10-04) 1995年10月4日(84歳没)
出身校 東京帝国大学法学部法律学科卒業
前職 熊谷市第一助役
所属政党 無所属

当選回数 5回
在任期間 1962年5月19日 - 1982年5月18日
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黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年明治44年〉5月18日[1] - 1995年[2]平成7年〉10月4日[1])は、日本の政治家。埼玉県熊谷市長

来歴

旧制埼玉県立熊谷中学校[3]旧制松本高等学校文科甲類[3]を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業[4]。卒業後は教員を経て、住友金属工業(現・日本製鉄)に勤務した[5]1950年昭和25年)、熊谷市職員となる[5]。1957年(昭和32年)に収入役となり、1961年(昭和36年)に第一助役となった[5]

1962年(昭和37年)5月19日に10代目熊谷市長に就任した[5]

1982年熊谷市長選挙

1982年(昭和57年)の市長選挙に6選を目指して立候補したが、増田敏男ら2人に敗れて落選した[6]

※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
増田敏男 53 無所属 27,756票 39.70% -
小林一夫 53 無所属 25,164票 35.99% -
黒田海之助 70 無所属 16,995票 24.31% -

同年5月18日に市長を退任した[5]。その他、熊谷地区消防組合管理者[7]、市町村農業委員会会長も務める[8]

1985年(昭和60年)9月、熊谷市名誉市民となる[9]

家族

  • 父・黒田蔵之介(埼玉県議会議員[5]

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、105頁。
  2. ^ 熊谷市デジタルミュージアム2024年12月21日閲覧
  3. ^ a b 松本高等学校 編『松本高等学校一覧』1935年https://dl.ndl.go.jp/pid/1449052/1/36?keyword=黒田海之助 
  4. ^ 東京帝国大学 編『東京帝国大学要覧』1935年https://dl.ndl.go.jp/pid/1443658/1/153?keyword=黒田海之助 
  5. ^ a b c d e f 日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第1巻 352コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 読売年鑑 昭和58年版.[本編 41コマ]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 熊谷市消防本部の沿革2024年12月21日
  8. ^ 大蔵省印刷局 編『職員録昭和41年下https://dl.ndl.go.jp/pid/3025172/1/313?keyword=黒田海之助 
  9. ^ 熊谷市名誉市民”. www.city.kumagaya.lg.jp. 2025年6月13日閲覧。



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