長島又男とは? わかりやすく解説

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長島又男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 16:07 UTC 版)

長島 又男(ながしま またお、1904年1月 - 没年不明)は、日本ジャーナリスト機関紙連合通信社設立者、日本機関紙通信社元理事長

来歴・人物 

埼玉県北足立郡小谷村(現・鴻巣市)に生まれる[1]旧制埼玉県立熊谷中学校[2]を経て、早稲田大学政治経済学部に進学した[1]。しかし、大山郁夫に絡んで[1]、在学中の1927年に大学を中退する[3]

1929年、新聞連合に加入する[4]1936年同盟通信社に入社し、南方部長を務める[4]

1945年の日本の敗戦後、同盟通信社はGHQの指令により解散となる[5]。長島は、解体に伴って設立された共同通信社に移り、解説委員長となる[6]。同年、民報社を設立して取締役となり[1]東京都第二次世界大戦後最初に創刊された夕刊紙である[7]『民報』を創刊して主筆を務めた[3]

廃刊後の1948年、機関紙連合通信社を設立して『連合通信』を創刊したが、GHQにより発刊停止とされる[3]。その後、日本機関通信社理事長、日本ジャーナリスト会議評議員、日ソ協会常任理事などを務める[3]

脚注

  1. ^ a b c d 人事興信所 編『人事興信録第15版下』1948年https://dl.ndl.go.jp/pid/2997935/1/100?keyword=%E9%95%B7%E5%B3%B6%E5%8F%88%E7%94%B7 (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 埼玉県立熊谷中学 編『埼玉県立熊谷中学校一覧大正10年2月』埼玉県立熊谷中学、大正10年https://dl.ndl.go.jp/pid/910429/1/28?keyword=%E9%95%B7%E5%B3%B6%E5%8F%88%E7%94%B7 (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b c d 長島又男”. 近代文献人名辞典(β). 2024年11月15日閲覧。
  4. ^ a b 外務省情報部 編『昭和二十一年版 新聞要覧 日本ノ部』外務省情報部、1946年https://dl.ndl.go.jp/pid/1140582/1/152?keyword=%E9%95%B7%E5%B3%B6%E5%8F%88%E7%94%B7 
  5. ^ 通信社の歴史と同盟通信社 - 新聞通信調査会
  6. ^ 外務省情報部 編『昭和二十一年版 新聞要覧 日本ノ部』外務省情報部、1946年https://dl.ndl.go.jp/pid/1140582/1/81?keyword=%E9%95%B7%E5%B3%B6%E5%8F%88%E7%94%B7 (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ コトバンク長島又男”. 2024年11月15日閲覧。

関連文献

  • 吉田健二『戦後改革期の政論新聞『民報』に集ったジャーナリストたち』文化書房博文社〈ソキウス研究叢書〉、2002年8月。ISBN 978-4-83010982-9 



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