加害者・元死刑囚Aとは? わかりやすく解説

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加害者・元死刑囚A

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:29 UTC 版)

練馬一家5人殺害事件」の記事における「加害者・元死刑囚A」の解説

加害者不動産鑑定士の男A(逮捕当時48歳東京都杉並区成田東一丁目在住加害者Aは1935年昭和10年3月9日秋田県秋田市楢山明田65番地住所当時)にて6人姉弟長男として生まれ2001年平成13年12月27日法務省法務大臣森山眞弓)の死刑執行命令により収監先・東京拘置所死刑執行された(66歳没)。本事件当時妻の実家にて義母大学卒業直後長女大学生長男と5人で生活していた。 Aの一族秋田市内市場養豚業精肉業を経営していた資産家一族で、Aの父親秋田駅前で行商人たちを取り仕切って市場経営していた地元顔役だった一方喧嘩早い性格でもあり、地元暴力団真夜中に自宅押しかけ家を壊された際には竹槍抵抗し相手拳銃発砲させるほどの暴れん坊だった。 Aは秋田市立中通小学校秋田市久保田中学校1947年3月入学)を経て1950年昭和25年4月秋田県立秋田高等学校夜間部入学したが、Aの父親青年期から出稼ぎ日本各地渡り歩いていた際に暴力団との関係持っていたことから凶暴な性格で、喧嘩の際に出刃包丁日本刀振り回したり、妻(Aの母親)と夫婦喧嘩になった際には殴る・蹴るなどドメスティック・バイオレンスDV)を加えるなどしていた。Aはそのような父親絶対服従させられるような形で生育し高校時代父親命令で好きでもないボクシング習わされたり、駅前にあった市場場所代回収に歩かされたりなどしていた。 ボクシング部バンタム級入部経緯は、Aの父親地元有力者だった秋田県アマチュア・ボクシング連盟理事長日本大学出身)に依頼してのことだった。Aは1953年昭和28年10月愛媛県八幡浜市行われた国民体育大会国体)に補欠選手として参加したが、手足短かったため頭脳を使うタイプ選手相手には全く太刀打ちできなかった。 また当時父親はほとんど家に帰ってこず愛人の家に寝泊まりして家族差し置いて自分たちだけ贅沢に暮らし、たまに帰宅してきては妻(Aの母親)を殴る蹴るなどしていた。Aはそのような家庭状況で「自分長男として父親代わり務めなければならない」と父親愛人宅から米を盗んで弟たち食べさせていた一方父親命じられ屠畜場豚の屠畜させられていた。高校時代のAは「父親反抗したとがない気弱な少年」で、周囲からも「普段口数少なく目立たない少年」という印象抱かれていたが、前述のような場所代取り立て滞る血相変え高校生ながら「命に代えてでも金を払え」などと容赦なく相手怒鳴りつけて脅迫するなど「父親そっくりな二面性」も持ち合わせていた。 Aはそのような家庭環境の中で家業手伝いつつ高校卒業すると、1954年昭和29年4月には日本大学法学部法律学科入学した。しかしこれはA本人には大学進学意思がなかったにかかわらず父親が「長男なので何とか大学入れたい」と前述ボクシング連盟理事長コネ用いて裏口入学させたものだった入学後最初前期試験で「カンニングペーパー教室持ち込み弁当米粒答案用紙そのまま貼り付ける」という不正行為行い1か月停学になり、日大教授からは「お前の学力では授業出て仕方がないから下宿して1人勉強しろと言い渡されるような有様で、大学生活苦痛だった。 1958年昭和33年3月日大法学部卒業した卒業する経済学部3年編入学したが直後退学した。Aの妹は「兄は幼いころから父親期待押し付けられ押しつぶされるような毎日送っており、東京での学生生活以外は自由な生活ができなかった。父が健在だったころは『俺はもう秋田には帰らず東京で暮らす』と言っていたが、結局秋田帰ってきた」と述べている。 なおAは大学時代には法医学に関して勉強しており、後の事捜査の際には捜査本部からその知識死体解体生かした推測された。 Aは在学中下宿先の娘だった1歳年下の妻と知り合い大学卒業後の1959年昭和34年4月に妻と結婚した結婚直後会社員務めていたが同年交通死亡事故起こして辞職し長女誕生した。 翌1960年昭和35年5月には父親病気死去した同年秋ごろには一家帰郷し姉婿とともに父親会社継いだが、遺産処理をめぐって身内同士で争うようになったそれまで父親言いなりだったAは父親の死きっかけに、父親生まれ変わりのように豹変したともいわれ、同年12月、Aは宴会席上以前から不仲かつ地元でも有名な乱暴者だった弟と口論になり、出刃包丁で弟の胸を刺して全治10日間の怪我を負わせた。 さらに1961年昭和36年9月10日朝、当時26歳実家経営していた会社「A産業」の専務取締役務めていたAは秋田市広面野添財産争いを巡るトラブルから実弟事件当時19歳)を出刃包丁切り付け頭部左側4か所に最大11センチメートルcm)の切り傷を負わせ、出血多量意識不明重体になるほどの重傷となった事件経緯は以下のようであった。弟が元から気に入っておらず父親の死後に嫌がらせ続けていた長姉の婿に『お前とAで一族の財産山分けするつもりだろう』と言いがかりをつけていきなり首を絞めるなど暴力振るったため、自分より体格良く素行の悪い弟に脅威感じたAは『まともにけんかしたらこちらがやられてしまう』と考え、『いつまでこのような状態では危険だ。あいつを少し脅かしてやろう』という思い出刃包丁風呂敷包んで弟が母親同居していた家を訪れた母親に『弟を甘やかからこうなったんだ。素行改めさせてほしい』と説得していたところに弟が帰宅し、Aは口論の末に出刃包丁で弟を切り付け、左目を刺して失明させた。Aはこの殺人未遂事件起こした直後11時ごろに秋田警察署自首して殺人未遂容疑現行犯逮捕された。 Aは逮捕後は取り調べ対しカッとなって刺した」と自供したほか、起訴後弁護人菅谷瑞人に対し「殺すつもりなら初めから心臓を狙う。喧嘩の手相手の目を刺すのは殺す意思がない時だ」と主張して殺意否認した。しかし実際に凶器包丁風呂敷包んで用意した計画的犯行だったため、単なる傷害罪ではなく殺人未遂罪が適用され被告人Aは1962年昭和37年8月7日殺人未遂傷害罪秋田地方裁判所から懲役3年の実刑判決受けた。この判決を受けAは1963年昭和38年5月 - 1965年昭和40年5月24日仮出所)まで2年間にわたり千葉刑務所習志野作業場服役した。なお服役前の1962年昭和37年春に長男誕生している。 Aはこの殺人未遂事件により親族とは絶縁状になったが、刑務所出所した後は再び上京して家族とともに更生することを誓い一時銀行員務めた一方殺人未遂事件保釈中から意欲的に再起図って不動産鑑定士資格取得志し仮出所後不動産鑑定事務所勤めつつ苦し家計を妻に助けられながら勉強続け不動産鑑定士資格取得した。Aは1976年昭和51年7月自宅事務所とし、妻に事務関係を任せて不動産鑑定事務所設立した。その堅実な仕事ぶりから信用得て仕事順調に発展し事務所設立数年後には事務所自宅鉄骨2階建てプレハブ住宅建て替えたほか、1981年昭和56年)には東京都新宿区四谷四丁目新宿御苑近く)にマンション購入して新し事務所開き、また東京地方裁判所鑑定委員選出されるなど、生活も安定向かっていた。 しかし1982年昭和57年)ごろからは重な労苦漸く疲労覚え不動産鑑定業務は労力の割に多額収入望めないばかりか年を取り病気になれば仕事ができなくなる」などと不安・焦燥を抱くとともに折りから不調訴えて入院した妻が病院の中でまで事務取っている姿を見て長く苦労をかけた妻にも楽をさせてやりたい2人の子供の結婚就学費用必要になる」と考えたその中で「父から相続した秋田県内の不動産売却できて2500万円ほどの資金ができたことから、それを元手不動産取引行いまとまった利益上げよう」と思い立ち、その準備として1982年4月には父が経営していた会社の事業目的不動産取引業務を加えとともに商号を「株式会社XX鑑定事務所」に変更して手ごろ物件物色開始したが、その最初取引として選んだものが本事件被害者一家居住していた土地家屋だった。 『中日新聞1983年6月29日朝刊加害者Aの当時人柄に関して夫婦仲今でも妻を愛称で呼ぶほど良好子煩悩性格近隣住民からは『いつも物静か整った服装胸を張って歩く羽振りいい人』という評判だったが、その本性は外面穏やかさの裏残忍さ秘めた多重人格者だった」と報道した龍田はAの人物像を以下のように表現推測している。 「Aの過去事情知らない人たちにとっては『凶暴な側面』の存在など想像すらできなかっただろうが、Aは家を新築するときに塀を作る際に『ここは自分土地だ』と言い張り強引に土地境界線ぎりぎりまで塀を作らせたほか、事務所訪れた客が喫煙しようとした際には『ここは禁煙だからやめてほしい!』と血相変えて怒鳴りつけたこともあった」 「Aの半生に凶悪犯萌芽』があったことは事実だ。それが凶暴な父親影響か否か定かではないが、犯罪者犯行に至るまでの経緯判断能力性格幼児期少年期環境など様々な要因いくつも重なり合い影響しあっている」

※この「加害者・元死刑囚A」の解説は、「練馬一家5人殺害事件」の解説の一部です。
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