加害者・元被告人U
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:28 UTC 版)
「福山市一家3人殺害事件」の記事における「加害者・元被告人U」の解説
本事件の主犯格である男U・K(事件当時57歳)は1931年(昭和6年)4月7日に大阪府中河内郡柏原町(現:柏原市)で生まれた。被告人として起訴された加害者Kは一・二審にて死刑判決を受けて最高裁判所へ上告し、広島拘置所(広島県広島市中区)に収監されていたが、2004年(平成16年)7月22日に広島市中区内の病院で死亡した(73歳没)。 Uは韓国籍(在日韓国・朝鮮人)で、養豚・養鶏業を営んでいた父の長男(第2子)として出生したが、幼少時から乱暴を働いては父親から暴力的な制裁を受けていた。6歳のころには一時韓国の叔父の許に預けられ、帰国後に地元の国民学校へ入学したが、学業を嫌い1年で登校しなくなった。実父母方に戻って家業を手伝ったりしたが、厳しい父親との間がうまくいかずに家を飛び出して不良仲間と交わり、次第に非行に走るようになった。 1949年(昭和24年)6月に大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役1年6月・執行猶予3年の刑に処されたことを始めとして、同年ごろ - 1987年(昭和62年)ごろまでの間に窃盗・傷害・恐喝・強盗未遂などの犯罪を繰り返し、本事件で逮捕・起訴されるまでに前科20犯(懲役刑15回・罰金刑5回)・服役期間は通算20年(宣告刑の合計は27年あまり)だった。特に、大阪刑務所で服役していた1955年(昭和30年)には口論になった受刑者の頭部を天秤棒で殴打し、その受刑者を脳挫傷により死亡させ、看守も殴打して負傷させる事件を起こし、翌1956年(昭和31年)11月には殺人・公務執行妨害などの罪で懲役8年の刑に処されていた。服役していない間は一時沖仲仕として働いたことはあるが、ほとんど正業には就かず、賭博(サイ本引きなど)で生活の糧を得ていた。また、父親が死亡してからは家業の養豚・養鶏業を継承したが、使用人をうまく使うことができずに事業を手放し、その際に手に入れた約240万円は博打により短期間で費消した。 1985年(昭和60年)11月に最後の服役を終えて刑務所を出所したが、当時は弟・姉妹との間も疎遠となっており、単身で大阪市都島区内のアパートに居住し、それまでと同様に賭博を主な生活手段としていた。
※この「加害者・元被告人U」の解説は、「福山市一家3人殺害事件」の解説の一部です。
「加害者・元被告人U」を含む「福山市一家3人殺害事件」の記事については、「福山市一家3人殺害事件」の概要を参照ください。
- 加害者・元被告人Uのページへのリンク