福山市一家3人殺害事件
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福山市一家3人殺害事件(ふくやましいっかさんにんさつがいじけん)とは1988年(昭和63年)6月12日朝に広島県福山市瀬戸町で発生した殺人事件[1][2]。
注釈
- ^ a b c 共犯者のうち1人は広島県豊田郡瀬戸田町(現:尾道市)出身の男(事件当時23歳)で、もう1人は愛媛県松山市出身の男(事件当時40歳)だった[1]。
- ^ a b 事件現場となった福山市瀬戸町は福山西署の管轄区域内[14]。
- ^ 6人兄弟で[18]、母親の名前は不詳[6]。
- ^ Uは学校教育をほとんど受けておらず、家庭でも知的教育の機会を与えられないまま成長したため、本件犯行当時は自分の氏名以外をほとんど読み書きできなかった[18]。しかし勾留中に文字の読み書きをかなり勉強し、控訴審判決 (1998) では「被告人Uが自ら提出した上申書からは、漢字を含む文字の読み書きについてかなりの進歩を遂げている」と認められている[18]。また、2003年の正月までは弁護人宛てに年賀状を届けていた[19][20]。
- ^ 1979年6月には最高裁第三小法廷で、恐喝未遂事件の有罪判決が確定している[21]。
- ^ 1983年(昭和58年)2月25日に大阪地方裁判所で強盗未遂罪により懲役2年6月に処され〔昭和57年(わ)第4729号〕、1985年11月11日に刑の執行を受け終わった[22]。
- ^ a b 本事件前にUは弟の経営する会社の自動販売機を壊し罰金刑を受けたことがあり、犯行を行う前に被害者Aに対し、自身の弟や彼が経営する会社の名前・電話番号を紙片に書かせたが、その理由について捜査段階で「自分がやった事件であることを明らかにし、弟に迷惑を及ぼそうとした」と供述した[23]。
- ^ 2004年時点で既に取り壊されており現存しない[5]。
- ^ 被害者男性Aは1932年(昭和7年)5月15日生まれ[24]。
- ^ 被害者女性Bは1933年(昭和8年)11月22日生まれ[24]。
- ^ 被害者女性Cは1910年(明治43年)8月23日生まれ[24]。
- ^ 女性甲は1907年(明治40年)9月9日生まれ[24]。
- ^ 甲の次女D(Bの妹)は結婚後に夫・長女とともに福山市大門町で生活していた[24]。
- ^ 当初は福山市蔵王町内のアパートに住み、次いで1980年(昭和50年)5月以降は同市大門町のアパートに移住した[24]。
- ^ 第一審判決 (1991) では「昭和61年(1986年)1月」となっているが、控訴審判決 (1998) では「昭和62年(1987年)1月の明白な誤記」と認定されている[18]。
- ^ 甲は生計面でも亡夫の年金やそれまでの貯金で余裕があり、日ごろ芝居見物を楽しみにして「第一劇場」に通っていた[24]。
- ^ 広島市在住の主婦[4]。
- ^ その理由について、『読売新聞』は「甲の家族らは『母親(甲)がやくざ風の男と暮らしている』と聞いて激しく反対した」と報道している[25]。
- ^ また、『読売新聞』は「Uが甲に暴力を振るうこともあった」と報道している[25]。
- ^ 5月中旬ごろには「6月から入居予定」として借家(福山市東深津町内)を借り、引っ越し業者なども手配して転居に備えた[4]。
- ^ 旧知の女性(横浜市在住)に依頼して「横浜市港北区・○○子」なる差出人名義の封書を書いていったん女性方へ送り、大門町のアパート宛てに投函させた[4]。
- ^ その際、Uの衣類・外国人登録証明書・印鑑などはUの義兄宛てに宅配便で送った[4]。
- ^ 大門町内の派出所に家財道具の盗難を届け出たり、甲の娘たち(長女B・次女D)や家主方を訪ね回るなどしたが、B・Dとも「母甲とは縁を切っており関係ない」と相手にせず、両名方とも押し問答の末に通報を受けたパトロールカーが駆け付ける騒ぎになった[4]。翌日(1988年6月6日)もUは甲と取引していた大門郵便局・福山市農業協同組合大門出張所に出向き「甲から住所の変更届などは出されていないか?」と尋ねたり、福山市役所で甲の転居先を尋ね、係員に頼み込んで「○○子」の住所を調査させるなどしたが、結局甲の所在は発見できなかった[4]。
- ^ 凶器の牛刀(押収番号:昭和63年押第29号の1)は刃体の長さ約24 cm・最大幅約5.5 cm・重量約419 g[4]。
- ^ Uは犯行直前まで、凶器の出刃包丁を他人の目に触れないよう管理していた[26]。
- ^ Uは捜査段階で「遺書」と称している[4]。
- ^ UはX・Yに対し何度もA・B夫婦だけでなくDについても「決着をつける」「とどめを刺す」などと話していたが[27]、X・Yは「Uが3人を殺害しようとしている」とまでは知らず、「何らかの危害を加えようとしている」との認識にとどまっていた[4]。
- ^ Uは朝食時にビールを飲んだが、その後の行動に支障を来たさないよう飲酒量は少なくしていた[26]。
- ^ Xはインターホンで「横浜の○○子ですが、お母さん(甲)から預かった大事なものを持ってきました」と口上を述べたが、これを不審に感じたDは「警察に行ってください」と言い、門扉を開けなかった[29]。
- ^ この時、UはCを「弁当を注文しに来た客だ」と認識していた[29]。
- ^ Aの受傷は右内頸静脈切断、上大動脈・右肺静脈・右腎臓・肝臓右葉の各損傷[28]。
- ^ Cの受傷は左右総頸動脈・左内頸動脈・気管・右鎖骨下動脈の各切断、右肺上葉損傷など[28]。
- ^ Bの受傷は左上腕動静脈切断、左肺貫通、胃・脾臓・腸間膜・小腸・結腸の各損傷など[28]。
- ^ 致命傷を受けたAは厨房から洗面所・風呂場の方へ逃げ、風呂場の窓から下の農道に至って倒れた[29]。
- ^ 被害者は3人とも即死状態で、玄関からは血液の一部が外へ流れ出していた[30]。
- ^ a b ウェクスラー修正知能検査(WAIS-R)による[33]。
- ^ 刑事訴訟法第245条。刑事訴訟法第241条で「告訴又は告発は、書面又は口頭で検察官又は司法警察員にこれをしなければならない」と規定されているが、第245条では「自首についても第241条の規定を準用する」と規定されている。
- ^ 田川は1997年に岡山地方裁判所所長を最後に退官したが、本判決が36年間の裁判官生活で唯一の死刑判決だった[35]。また当時は喉頭がんを患って声がほとんど出なくなり、結審後に入院していたが、結論が極刑であったため「他人に(代読を)任せるわけにはいかない。初公判から3年近く被告人Uと向き合ってきた自分が判決を言い渡すことで被告人に納得させねばならない」と考え、1泊だけ外泊許可を得て判決言い渡しに臨んでいた[35]。
- ^ 甲の次女Dは母・甲が被告人Uを騙して転居する計画をしたほか、A・B夫妻もその計画を認識して側面から協力していた点を「落ち度」として挙げた[36]。
- ^ 広島高裁 (1998) は「A・B夫婦は甲の計画そのものには関与せず、単にDからその報告を受けていたにすぎず、Dも母親である甲から懇請され、母を思う気持ちから協力したに過ぎない」としている[10]。
- ^ 刑事訴訟法第314条では「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない」と規定されている(参照)。停止期間は無期限で、書面審理(法律審)が中心である最高裁で公判停止決定が出された事例は珍しかった[19][20]。
- ^ 『読売新聞』では「夕食をのどに詰まらせた」と報道されている[45]。
- ^ 刑事訴訟法第339条第1項第4号では「被告人が死亡した際、裁判所は決定で公訴を棄却する」と規定されている(参照)。
出典
- ^ a b c d e f g 『読売新聞』1988年6月13日東京夕刊第二社会面18頁「別れ話の仲裁を逆恨み 無職男が3人刺殺/広島」(読売新聞東京本社)
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- ^ a b 広島地裁福山支部 1991, 事件名.
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- ^ a b c 年報・死刑廃止編集委員会 著、編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘 / 深田卓(インパクト出版会) 編『オウム事件10年 年報・死刑廃止2005』(第1刷発行)インパクト出版会、2005年10月8日、134頁。ISBN 978-4755401572 。
- ^ a b c 『中国新聞』1991年6月26日朝刊第15版第一社会面31頁「食堂経営者ら3人刺殺 「心神耗弱なし」と死刑 地裁福山支部」(中国新聞社)
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- ^ 広島地裁福山支部 1991, 累犯前科.
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- ^ 『毎日新聞』2004年7月23日大阪朝刊総合面27頁「広島・福山の3人刺殺:死刑被告の公判を停止--最高裁が決定」(毎日新聞大阪本社・記者:小林直)
- ^ 『読売新聞』2004年7月23日大阪夕刊第一社会面19頁「福山の3人殺害事件 公判停止決定、2日後にU被告が急死/広島」(読売新聞大阪本社)
- 1 福山市一家3人殺害事件とは
- 2 福山市一家3人殺害事件の概要
- 3 概要
- 4 事件発生
- 5 刑事裁判
- 6 脚注
- 福山市一家3人殺害事件のページへのリンク