犯行を決意するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:28 UTC 版)
「福山市一家3人殺害事件」の記事における「犯行を決意するまで」の解説
Uは1988年(昭和63年)1月ごろからパチンコ店へ頻繁に出入りするようになり、しばしばその資金を甲に出させていたほか、甲から見て得体のしれない男をアパートに連れ帰って止めたり、時には同衾していることがあった。そのため、甲はUに嫌気が差すことが多くなり「Uと別れたい」という気持ちを強めていったが、「正面から別れ話を持ち出しても到底聞き入れてもらえないどころか、逆に激昂させてしまうかもしれない」と懸念したため、穏便に別れられる方策を思索するようになった。その1つとしてかつて大阪に同行し、Uが気に入っていた知人女性にUの関心を向けさせることで、自分への執着を逸らさせることを思い立ち、1988年3月下旬にはその知人女性を呼び寄せてUと3人で同居生活を始めたが、約10日後に女性が広島へ逃げ帰ってしまったため失敗した。一方で甲は、次女Dに対しても「Uと別れたい」と訴えて助力を求めた。Dはかつて甲が自分たちの強い反対を押し切ってUと同居したため、当初はその頼みを相手にしなかったが、次第に切実な訴えを聞き入れてやむなく協力する気持ちを固め、別れるための方策を相談するようになった。 1988年5月12日ごろ、甲は「まもなく亡夫乙の7回忌が来るから、夫の実兄(甲の義兄)が墓参りに訪れてアパートに滞在する」という架空の事柄を告げ、Uを一時的に大阪に帰らせ、その不在中に転居して姿を隠す方法を思いついた。甲はその計画をDと協議した上で「6月4日に転居する」と定めて実行に移し、「義兄がアパートに来る」という趣旨をUに話して「6月4日から2,3日留守にしてほしい」と頼んで信じ込ませた。また、Dも母甲の転居先を探して手配したほか、後にUが嘘だと気づいた際に亡父乙の実兄(伯父)にまで迷惑が及ぶことも防ぐため「神奈川県横浜市在住の『○○』という架空の人物(女性)が甲を連れ去った」とする偽装工作を行った。 1988年6月4日朝、甲はUに大阪行きの旅費・小遣いとして20万円を渡した上で西日本旅客鉄道(JR西日本)福山駅から大阪へ送り出し、大門町のアパート内には「○○子」の名義で「自分と夫・友人らが甲を横浜へ連れて行って世話をする」との趣旨の置き手紙を残し、同日夕方には家財道具とともに転居先の借家に入居した。しかしUは同日夜 - 翌日(1988年6月5日)朝に何度も大阪から大門町のアパートへ電話しても通じなかったため、不審に思って急いで大阪からアパートへ戻った。すると室内が全く空になっていたため、置き手紙を隣人らに読んでもらい、初めて「乙の実兄がアパートに滞在する」という話が作り事だったことを知った。同時に「『○○子』夫婦とその友人らが計画的に自分を騙して甲を連れ去った」と思い込んだため、Uは様々な手で甲と横浜の「○○子」なる人物の所在を探そうとしたが、各方面を訪ね歩いても全く手掛かりは得られなかった。また、その行動中にも文字の読み書きができないため十分な説明ができず、惨めな思いをさせられることが再三あった。 そのため、Uは甲を連れ帰った「○○子」夫婦とその友人数名や、自分との面談を拒んでひたすら追い返そうとしたB・A夫婦およびDに対し、激しい憎悪の念を募らせ、最終的には「彼ら全員を殺害して恨みを晴らそう」と考えるようになった。しかし「○○子」夫婦とその友人らは手を尽くしても所在を把握できないためひとまず除外し、「B・A夫婦とDを殺害する以外にない」と決意した。
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