犯行グループの動きと被害者の殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:22 UTC 版)
「桶川ストーカー殺人事件」の記事における「犯行グループの動きと被害者の殺害」の解説
被害者がAからのプレゼントを返送した6月22日、Aの指示を受けたBが、風俗店店長で元暴力団員の男(以下、C)ほか1人に対し、2000万円という報酬を提示して被害者の殺害を依頼し、Cはこれに応じた。7月5日、Aは殺害の実行費用として2000万円をBに預けたうえでアリバイ作りのため沖縄県那覇市に飛んだ。この金のうち200万円は、7月13日に撒かれた中傷ビラ作成の費用として使われた。Aは沖縄において、同所で営業するテレホンクラブを閉店に追い込むために間断なく電話を掛けるという妨害活動を、2日間の一時帰京をはさんで10月24日まで行っていた。一方、殺害指示を受けたグループは10月18日に被害者の拉致を計画したが、このときは犯行に及ばなかった。10月25日、殺害実行犯となる3人と風俗店店員1人が犯行現場を下見する。 10月26日午前8時ごろ、殺害実行役のC、Cの輸送役のD、見張り役のEは池袋に集合したのち、2台の車に分乗して午前9時ごろに桶川市へ到着した。Eから被害者が近づいているとの連絡を受けてC、Dは桶川駅へ移動し、駅近くのデパート周辺でCが車から降りた。このときDは「太ももを切りつけてくれ」、「大ごとにならないよう太ももを狙ってくれ」と声をかけたが、Cは「お約束できません」と応じたとされる。そして午後0時53分ごろ、桶川駅西口前の商業施設「マイン」前の路上において、大学へ向かうため駅前に自転車を駐めた被害者は、右背部をCにナイフで突き刺され、更に振り返ったところを左前胸部を刺された。被害者は悲鳴をあげて倒れ、Cはその場から逃走した。このとき目撃者から「ひったくり」と声が上がり、付近で店を経営する男性がCを追ったが、捕らえることはできなかった。その後被害者は上尾中央総合病院へ搬送されたが、午後1時30分に死亡が確認された。死因は肺損傷に基づく大量出血によるショック死で、死亡推定時刻は事件が発生した午後0時50分とされた。 居宅中であった母親に警察から事件発生の連絡が入れられたのは、発生から間もない時刻であった。母親は警察から桶川駅へ来るよう指示され、事件現場を確認。のち警察車両のワンボックスカーの中で30分ほど待たされた。次いで上尾署へ移動し、事情聴取を受けた。この間、被害者の安否を尋ねる母親に刑事は「危険な状態だが、頑張っている」と伝えていた。母親に被害者が「いま亡くなった」と伝えられたのは午後3時ごろのことで、その直後に母親が被害者の遺体を確認、さらに母親から父親へ携帯電話を通じて被害者殺害の事実が伝えられた。のちに母親は裁判における意見陳述で、「娘が亡くなったのは午後1時30分ごろだと後で聞いた。なぜ警察は病院に行くよう言ってくれなかったのか」とその対応を批判している。 一方、殺害実行犯も混乱状態に陥っていた。事件発生直後、EはDへの電話口で「大変だ、本当にやった」などと話し、またCは事前に示し合わせた集合場所に辿り着くこともできず、車に拾われた後は「刺しました。2回刺しました。なんで、俺は、何やってんだ」、「(被害者は)大丈夫かな、もしかして、だめなんじゃないか」などと口走り、非常に狼狽していたという。同日午後5時ごろ、3人はBと赤羽のカラオケ店で落ち合い、Bは3人に逃亡を指示。Aから託されていた金の残り1800万円のうち、Cに1000万円、D、Eに400万円ずつが報酬として渡された。またBは、遅れてやってきた中古車販売業の男Fに、事件に使用された車両2台の処分も指示した。Bは全体としてCに対して非難めいた態度で接し、帰路の車中では二人きりになったFに「本当に馬鹿だね、あいつは」と漏らしたとされる。 また事件当日、BとAは計13回携帯電話でのやりとりを行った。沖縄でAと一緒にいた者の証言では、Aの様子に特に変わったところはなかったという。その一方で事件の翌日にはAが池袋の生命保険会社に電話したという記録が残されている。
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