上告中に病死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 08:36 UTC 版)
「岩手県種市町妻子5人殺害事件」の記事における「上告中に病死」の解説
弁護人・服部耕三は判決後、「死刑を違憲とするこちらの主張が認められず残念だ」と述べ、Kは翌日(6月5日)に最高裁へ上告した。このため、事件の決着は死刑制度の是非論も含めて最高裁の判断に委ねられることとなったが、被告人Kは1992年10月6日夜に拘置先・宮城刑務所仙台拘置支所で体調を崩して国立仙台病院(宮城県仙台市)へ入院し、同月16日午後に同病院で死亡した(45歳没)。このため、刑事訴訟法に基づき本事件は公訴棄却されることとなった。
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上告中に病死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:28 UTC 版)
「福山市一家3人殺害事件」の記事における「上告中に病死」の解説
被告人Uは1991年5月(第一審判決前)から広島拘置所に収監されていたが、上告中の2002年(平成14年)11月に同拘置所内で、脳梗塞により寝たきりの状態になり、拘置所内の病室で治療を受けていた。最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)は2003年(平成15年)10月に被告人Uの精神鑑定実施を決定し、提出された鑑定結果などを踏まえ、2004年(平成16年)7月20日付で「被告人Uは心神喪失状態で訴訟を続けることが不可能である」として、公判手続を停止する決定を出した。 しかし、被告人Uは最高裁決定から2日後となる2004年7月22日(16時10分ごろ)、夕食の牛乳を飲んでいたところ容体が急変し、17時16分に搬送先の病院(広島市中区内)で死亡が確認された(73歳没 / 死因:急性心不全)。このため、最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)は2004年9月8日付で公訴棄却の決定を出し、本事件の刑事裁判は確定判決を待たず終結することとなった。
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