被告人Uと女性甲の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:28 UTC 版)
「福山市一家3人殺害事件」の記事における「被告人Uと女性甲の関係」の解説
1987年(昭和62年)1月14日ごろ、甲は当時足繁く通っていた大衆演劇場「第一劇場」(福山市東町)で、かつて下足番をしていた男性やその知人女性とともに泊まりがけで大阪へ芝居見物に出かけ、その翌日に男性の紹介で初めて男Uを知った。甲は同日夜に所持金を盗まれてしまったが、Uから宿の世話をされ、翌日には大阪から福山まで送り届けてもらったことからUに好感を持った。その後も連絡を取り合って上阪すると、Uが住んでいたアパートに泊まって芝居見物などをするうちに、情交関係を結ぶに至った。やがて甲はUを福山に呼んで一緒に暮らすことを望むようになり、Uもその誘いに応じたため、1987年2月中旬ごろから同居生活を開始したが、間もなく甲の2人の娘(長女B・次女D)はともにそれを知って反対した。Bと妹は母・甲を説得しようと、1987年2月25日ごろに「こぐま」にて4人で話し合い、2人とも「どうしても別れないなら親子の縁を切るし、今のアパートから出てもらう」などと迫ったが、甲は「Uに面倒を見てもらう」と拒否し、Uも「甲の気持ち次第」との態度を示したため、話し合いは物別れした。 1987年6月初め、Uと甲は福山市大門町内のアパートに転居した。同棲開始当初、Uは甲の身の回りの世話をするだけでなく、甲と男女の関係もあったが、間もなく甲の実年齢がわかってからはむしろ甲に母性を感じつつ、同居生活中に甲の掃除・洗濯・買い物・縫物など家事のほか、入浴・洗髪・手足の爪切りなど世話に務めていた。また、甲も娘2人(B・D姉妹)について、Uに対し「開店資金・経営資金をB・A夫婦に用立ててやったのに全く返してもらえない」「亡夫乙の墓を建造する際には自分が多くの資金を負担したのに、無断で『A建立』と刻まれた」「Dは夫の言いなりで娘としての務めを果たしてくれない」などといった不満を日常的に語り聞かせていた。 しかしその一方、甲はまったく職に就こうとしないUを疎ましく思い、次第に同居生活に飽きが出ると「Uと別れたい」と考えることもあった。1987年7月下旬、甲は「しばらく家出すれば、Uも同居を諦めて大阪に帰るかもしれない」と思いつき、家主に30万円をUに渡すよう託してUに無断で家出し、熊本県山鹿市に住む親戚宅に身を寄せたが、10日ほどして福山に戻り「第一劇場」に行ったところをUに見つかり、大門町のアパートに連れ戻された。
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