ラグビー部員
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「問題ないね!?ヒデユキくん」の記事における「ラグビー部員」の解説
北高ラグビー部メンバー。キャプテンにヒデユキと和彦を足しても15人しかいない。それなりに熱血で実力も高いのだが、地味な練習を嫌う欠点がある。ひかるからは「基礎さえ積めば花園を狙えるのに」と呆れられている。
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ラグビー部員
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大木 大助(おおき だいすけ) 演 - 松村雄基 昭和54年入学。水原、内田勝、尾本の卒業と入れ替わりで川浜高校に入学(入学時の調書では「大木大介」と記載されてしまっている)。入学前から「川浜一のワル」とアダ名される程の孤高な雰囲気を持つ不良生徒で、不満があればすぐに暴力を振るうため皆から恐れられていたが、その実、母親想いで弱い者にも優しく、先代の不良たちとは一線を画していた。幼馴染の奥寺浩(イソップ)はそんな彼を慕い、彼に唆されたことがきっかけで川浜高校へ入学し、後にラグビー部に入ることになる。何度かラグビー部をやめようとは思っていたが、その都度賢治たちの説得により踏みとどまった。入学早々新番長の沢を負傷させた際、賢治を睨みつけた。森田が卒業し、次年度のキャプテンになる。渡哲也の『東京流れ者』を時々歌う。(歌ったのは、入学式で沢と対峙した時、東都体育大学4軍との練習試合に行く途中のバスの中、県大会予選の試合直前 の計3回) 「名村グループ」の商売によって父が自殺に追い込まれ、母が苦労したことから、「名村グループ」総帥・名村謙三を「父親の仇」と恨んでおり、三男の名村直とも犬猿の仲だったが、直との決闘を止めようとした加代の事故死後に両者と和解。卒業時は地元の「川浜電機」の内定を会社都合で取り消されるも、滝沢夫妻の尽力もあり、賢治が川浜高校赴任前に永井から頼まれたラグビー部監督就任を断った「東北製鉄」に見習い工として入社(後に正社員となり勤務先の仙台から千葉へ異動)する。その後、『2』で賢治と再会。自営で会社(運送業)を立ち上げていた。そして、コーチとして賢治をサポートするようになる。 「弥栄(やさか)の清悟(しんご)」「京都一のワル」と恐れられ、不良ながら高校選抜チームに選ばれ、後に教職の道へ進んだ奈良県立奈良朱雀高校ラグビー部監督の山本清悟がモデルと言われている。企画段階での役名も「山木信吾」だった。しかし、実際は山本、山田英明(山本の1年後輩で、3年時にキャプテンを務めた。後述「フーロー」の親友)、大八木淳史(山田と同期で、フーローとも親友)という、3人のキャラクターを合わせて作られた。ラグビーは喧嘩と同じであるのと、東都体育大学の四軍との練習試合の前に腹をすかせた際、賢治に節子が作ってくれた特大のおにぎりを渡されたのも山本のエピソードが元になっている。ただし、大助は母子家庭の設定だが、山本は父子家庭であった。 森田 光男(もりた みつお) 演 - 宮田恭男 昭和52年入学。川浜高校ラグビー部員で、ポジションはフランカー。東都体育大学の四軍や、相模一高との練習試合でゴールキックを決めている。下田夕子の弟で「新楽」に住んでいる。富田圭子はガールフレンド。賢治赴任当時は2年生。当初は部内でも落ちこぼれで、先輩に反抗してしごきを受けるも、それも耐え抜き、賢治との出会いを機にラグビーに対する姿勢が変わった。しかし、学年末試験で致命的な落第点を取り、3年に進級できず留年。県大会にて相模一高に109-0で敗れ、賢治に檄を飛ばされた際、「悔しいです!」と叫んだことがラグビー部を奮起させる原動力となった。1年遅れで3年に進級後は主将を務めるが、県大会決勝で敗れ全国大会出場ならず。後輩が全国大会出場を果たしたら圭子と結婚することを決意。圭子と結婚するために1日も早く一人前の社会人になりたいと考えるようになり、卒業後は地元のホテルにフランス料理のコック見習いとして入社。 モデルとなった小畑道弘は建設会社を経営しており、母校である伏見工業高校のグラウンドの施工をした。また、少年ラグビーチームのヘッドコーチを務めている。 奥寺 浩(おくでら ひろし) 演 - 高野浩和 昭和54年入学。全日本代表時代の賢治のプレースタイルに感銘し、監督に着任した賢治を慕って川浜高校へ入学。ラグビーにはとても向いていない貧相な体格で、イソップ物語の痩せたキリギリスから「イソップ」のニックネームがつく。川浜高校への入学時に、自分の弱さを克服するために敢えてラグビー部に入部した。彼のラグビーに対する直向きな姿勢は荒んだ大助の心をゆり動かす。大助とは幼馴染であり、皆が怖がる大助に唯一意見を述べられる人物でもある。同時に大助にとっての心の支えである。また、マネージャーの加代に恋心を抱いていた。 運動能力は低く、試合にも出られない補欠部員であったが、他の部員が嫌がる下準備やボール磨きに取り組み、賢治からも立派なラガーマンとして認められている。寛大で自由な雰囲気の家庭に生まれ育ち、ラグビー部でも屈指の人気者であった。ラグビー部のライジング・サン(賢治が命名)のマークと新ユニフォームは彼のデザイン(このジャージは番組終盤まで使われたが、花園での全国大会の前にクリーニング店の火災でほぼ焼失し、決勝では昔の赤いジャージで挑むことになった)。1年次に脳腫瘍にかかり、余命数か月であることを知ったため、自殺を考えたり、死の恐怖を紛らわすためにトルエンを吸ったりもした。相模一高との練習試合の前日に突然倒れ、二回手術を受けたが、その甲斐なく危篤状態に陥り、昭和56年10月4日、16歳で死去(第13話)。 誰よりもラグビーを愛し、誰よりもひたむきに短い人生を駆け抜けていったこの少年の名前は、川浜ラグビー部に関わったすべての人の心に刻まれている。 内向的で穏やかな少年だが、大助を庇って不良に掴みかかったり、大助から威嚇されても全くひるまないなど、度胸の据わっているところがあり、大助にとって自分の胸の内を明かせる、唯一の心の友だった。 モデルとなった人物も実際に脳腫瘍で亡くなっており、当時のニックネームは似たような体格をしたフランスの名選手「フーロー」から。企画段階でのニックネームもそのまま「フーロー」だったが、脚本家の大原清秀の発案でイソップに変更された。最初の予定ではあくまで脇役的立場で、出演も3 - 4回程度だったが、イソップ人気が高まっていったのに合わせて、出来るだけ出演時間も引き伸ばし、出演シーンも増やしていった。 尾本 輝正(おもと てるまさ) 演 - 鈴木秀一 昭和51年入学。賢治が川浜高校に赴任した年のラグビー部キャプテン。水原らグレた連中と一緒に悪さをしていたが、森田が落第したことをからかい、逆上した森田に凶器で襲われた後に改心して森田にラグビー部を任せ、卒業後は更生して消防士になる。不良であったがラグビー部に誇りを持っており、部が花園で優勝した際、涙を流していた。 モデルとなった荒木邦彦(1977年卒業)は、中学校時代には番長として鳴らした人物であった。また、後に消防士となった元部員はかつて教師の服に火をつけたこともあった。 内田 勝(うちだ まさる) 演 - 宮田州 昭和51年入学。内田玄治の長男。自作とされる「御意見無用」と書かれたラガーシャツがトレードマーク。賢治赴任当時3年生。水原や尾本らと共にラグビー部内の不良グループで悪さをしていたが、「お前は自分さえ無事に卒業できれば、後はどうなっても良いのか?」と賢治に諭され、更生の道を歩みつつ、学校への誇りを持つようになる。卒業後は父の建設会社に入り、その傍らで川浜ラグビー部に協力するようになる。ラグビー部にいた頃に破壊したゴールポストの修理を申し出た。 弟の治男がタックル恐怖症で部を退いた時には練習相手を買って出た。父の玄治と仲が良く行動を共にすることが多いが、とかく親バカぶりを発揮する玄治とは一線を画しており、治男の処遇を巡って賢治に干渉したことはない。自らが現役の時はレイトタックル(ボールを放した選手にタックルをする反則で、森田は脳震盪になり、賢治たちにより新楽まで運ばれた)も知らず、後輩をいじめていたが、更生してからは森田と和解した。以後、浜っ子クラブでも活動。 玉川 成治(たまがわ せいじ) 演 - 佐藤弘 尾本が卒業し、賢治がラグビー部監督になった頃のキャプテン。 田村 二郎(たむら じろう) 演 - 片桐肇 森田と同期のラグビー部員。提出した日記を読んだ賢治にスタミナ不足を指摘され、翌朝タイヤ引きの練習を始める。 和久田 澄夫(わくた すみお) 演 - 並木信三 森田と同期のラグビー部員。 丸茂 良三(まるも りょうぞう) 演 - 松本誠一 昭和54年入学。大助、イソップと同学年。メガネと巨漢がトレードマークの自称「川浜ラグビー部一のお調子者」。新楽の餃子10人前に釣られて入部。両親は八百屋を経営。一度親に部を辞めさせられそうになったが、後に復帰。相模一高との練習試合で顔面チャージを受け、得点に結びつけた。全国大会優勝を決めた時、観客席で大助と抱き合っていた。 星 高彦(ほし たかひこ) 演 - 武藤大助 昭和54年入学。大助、イソップと同学年。遠山中学出身。基礎体力とラグビーのセンスは高いが、やや自己中心的な性格の持ち主。イソップを寵愛する賢治に反発して一度ラグビー部を去るも、県大会での相模一高との敗戦を目にし、イソップに謝罪しつつ再入部した。しかしその後も軽率な口を叩いて、入部間もない大助と一触即発の関係になったこともある。もともと中学時代からの名選手だけあって身体は鍛えこまれており、番長ですら叩きのめした大助の裏拳や膝蹴りを食らってもなお反撃するというタフさを持つ。 高杉 克之(たかすぎ かつゆき) 演 - 柿島伸次 昭和54年入学。大助と同期の川浜高校ラグビー部のメンバーで加代に釣られて入部。新入部員の歓迎パーティで夕子に「おばさん」「元お姉さん」と呼んで叱られる。賢治が部員を叱責している最中に漫画雑誌『少年チャンピオン』を読んで笑っていた。 平山 誠(ひらやま まこと) 演 - 四方堂亘 昭和55年入学。大助の1学年下。小松中学出身。城南工大高の曽根にライバル意識を持つラグビー部のエース。少々独りよがりなところがあり、練習やプレーに集中したいからと主将になることを一度は辞退するものの、後に先輩らに説得されて引き受けた。当初は後輩の矢木に嫉妬するなどキャプテンとして明らかに問題のある言動も見られたが、その後は主将としての自覚を持ち、チームを引っ張っていった。女子生徒から「ファンクラブ」的存在もできた。賢治からは「森田、大木(大助)に比べおとなしすぎる」と評されていたが、のち国体と全国大会で優勝という偉業を成し遂げている。 伏見工業高校 - 同志社大学 - 神戸製鋼で活躍した平尾誠二がモデル。 栗原 昭(くりはら あきら) 演 - 榊原晃 昭和55年入学。川浜高校ラグビー部の部員。学業成績は優秀だが、「勉強バカにはなりたくない」という思いでラグビーを始めた。チーム屈指の俊足で、全国大会決勝戦で決勝トライを上げた。学業と部活の両立にはかなり苦労していたようで、一度は退部を決意するも清美と明子に説得され思いとどまった。 モデルとなった栗林彰は、千葉大学工学部を卒業して、建築系のエンジニアになっている。 内田 治男(うちだ はるお) 演 - 岩本宗規 昭和55年入学。内田玄治の次男。兄の勝に負けないほどの体格の持ち主で、勝を見てラグビーを始める。大助の1学年下で、平山、栗原、清川らと同学年。恐怖心が強くてタックルができず、一度はラグビー部を退部するが、勝の協力で克服。以後ラグビー部に復帰。全国大会決勝ではロックを務める。 清川 誠一(きよかわ せいいち) 演 - 森勇治 昭和55年入学。小松中学出身。川浜高校ラグビー部の部員。家が貧しいために、朝早くから夜遅くまでバイトをしているが、いつも明るく振舞っていることで部のムードメーカーとして君臨。アダ名は「お祭りのキヨ」。しかしながら、彼の父親の作った借金でヤクザともめたことで、大三郎の命を奪ってしまった。平山とは中学時代からの盟友であり、多くを語らずとも意思を通じ合う仲。決勝では平山とのアイコンタクトで城南工大高を出し抜き、ディフェンス陣を攪乱して決勝トライへと導いた。 モデルは、ポジションだけだが1998年からの伏見工業高校ラグビー部監督である高崎利明。 矢木 純平(やぎ じゅんぺい) 演 - 近藤哲也 川浜高校ラグビー部の部員。相撲部から転部してラグビー部に入部する。平山が負傷で退場したかわりにリリーフで出場したとき、勝利に結びついたまではよかったが、矢木と同期の二宮に「この際だから、レギュラーの座をとっちゃえよ!」の言葉に「そうすっか!」と調子に乗った矢木の態度が退場された平山にとっては面白くない状況ゆえに、平山からは敵意を持たれた。その頃、試合前に愛用のスパイクが盗難に遭ったことでさらに関係が悪化するが、その後和解。全国大会ではマークの進言により、フォワードに抜擢された。ただし大木が主将だった時代には1年生ながらレギュラーとして試合に出場しており、花園でもプレイしている描写が見られる。 名前のモデルは大八木淳史とされる。 赤津 真治 演 - 増村翼 昭和55年入学。川浜高校ラグビー部の部員。平山の同期。ゴールキッカー。全国大会優勝時、決勝戦で決勝トライ時のコンバージョンゴールを外した。
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