プロレスに関するエピソードとは? わかりやすく解説

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プロレスに関するエピソード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:43 UTC 版)

藤波辰爾」の記事における「プロレスに関するエピソード」の解説

本人曰く自分喧嘩をしたこともないほど暴力的ではない性格であり、家族周り暴力的ではなかったとのことそれだけに戦う仕事であるプロレス惹かれ理由自分でも全く分からない自伝述べたことがある。 「プロレスは、相手との信頼関係があるからこそ、やれるんです。」という藤波の言葉が表すように、相手選手長所引き出すことに長け名勝負製造機とも言われた。その技量フレアーマードックベイダー長州天龍前田蝶野武藤といった多く選手たちから絶賛されている。また、ストロング・スタイル正統派レスラーと見なされているが、流血乱入といった荒れた試合自然にこなせる力量兼ね備えていた。 新日本設立直後に、当時日本プロレス事務所斜め向かいにあった新日本事務所に、「猪木藤波山本はどこだ」と言わんばかりにグレート小鹿林牛之助が、日本プロレススポンサーから預かっていた日本刀コート隠して殴り込みにやって来た。藤波は奥の部屋隠れていため、山本小鉄営業行っていたためそれぞれ難を逃れたが、その際山本その場にいたら大変なになっていた。プロレスイメージが地に堕ちる寸前だった」と述べている。 カール・ゴッチ指導受けていた頃、ゴッチ自宅にはマット無く庭の芝生の上で練習をしていた。ゴッチ課すスープレックス練習ロビンソンと名前がついたサンドバッグ抱えてとにかく反り投げ動作繰り返すというもので、固い芝生後頭部強打し続けた藤波連日脳震盪起こしこのままでは俺は技を憶える前に頭がおかしくなる」と内心心配になってしまったという。ちなみにロビンソンという名称はゴッチビル・ロビンソン嫌いだったからだという。 アメリカ修行中はカール・ゴッチ弟子ということで、シューター壊し屋ではないか、と警戒された。マディソン・スクエア・ガーデン試合ドラゴン・スープレックス決めて控室に戻ると、中にいたレスラーから冷たい視線浴びたという。また、当時はドラゴン・フジナミを名乗っていた事と細身引き締まった肉体から「君はブルース・リー親戚か何かか?」と転戦先でプロモーター記者達に必ずといっていいほど質問されたそうである。 藤波新日本若手WWWFジュニア時代若手伸び盛りである1979年頃、ホープである藤波盛り上げようとするイベント蔵前国技館であり、テレビ朝日中継した。そのイベントでは番組公募の子供達がリング上でサンドバッグ体当たりするという催しがあったが、そのサンドバッグ押さえる役だったのが長州力であった。また同イベント歌謡ショーもあり、藤波の大ファンだと本人デビュー当時から公言していた、当時アイドルだった井上望(現在エド山口夫人)がこのショーゲスト一人で、この藤波の応援イベント出演感激しきりで泣いてしまう一面もあった。 相手必殺技を盗む「華麗な盗人と言われ、「名勝負数え歌と言われ長州力戦でみせる長州力得意技サソリ固め”を逆に仕掛ける姿は、当時の実況担当古舘伊知郎をして“掟破りの逆サソリ”と言わしめた。 古館伊知郎がディファジオ・メモリアルと呼んでいた、2個の大きな赤いルビーバックル部分取り付けられ初代WWFジュニアヘビー級ベルトチャボ・ゲレロ戦での10防衛功績から永久保持認められた。二代目ベルト変更された際にWWFから藤波寄贈され2011年現在藤波家応接間飾られてある。 両足揃えたまま完全な仰向け状態にジャンプして放つ昔ながらのドロップキックスタイルは、失敗するバックドロップ受けたように背中から後頭部にかけてをキャンバス強打一人バックドロップ)するため、「ジバック(自爆ドロップキックと言われファン失敗期待させた。また、藤原喜明限定ブレーンバスターをしかける→脇固め返される逆エビ固めをしかける→レッグシザース返される、対マードック限定リング内に入ろうとするマードック半ケツ状態にする、というお約束ムーブ持っていた。 1985年5月17日熊本大会で、スーパー・ストロング・マシンに「お前、平田だろ!?」とマイクアピールをした。他のレスラーオリジナルの技を真似してはいけないのと同様に覆面レスラー正体明かすのはタブー」というのが当時プロレス界の暗黙マナーエチケットであり、しかもその試合は「ワールドプロレスリング」で生中継されていた。長州に対しての逆サソリ同様、藤波はここでも「掟破り」をしたわけであり、言われ平田は「思わず後ろ受け身取りそうになった」というほどの衝撃だったという。ちなみにこの発言藤波のおとぼけであるという説と、平田マスク脱がせたかった会社藤波代弁させたという説がある(2009年9月19日放送の「タモリ倶楽部」や2012年12月12日の「たまむすび」では「マイク向けられ時に話すことが無いのでつい言ってしまった」と発言している)。なお、この発言のずっと後に平田マスク脱いで正体さらしたが、その後素顔試合出場する一方で魔界1号」「ブラック・ストロング・マシン」と名前を変えながら覆面レスラーとしても出場することもあり、その時には観客から「お前は平田だろ〜」という声を浴びている。また2ちゃんねるプロレス板における名無しネーム“お前名無しだろ”は、この発言由来となっている。 1985年11月1日に、入場テーマ曲であったエディ・グラントの「Boys In The Street」のカバー曲である「マッチョ・ドラゴン」というレコード発売している。しかし歌唱力に関してお世辞にも良いとはいえず、コサキンソングとしても取り上げられた。関根勤も「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」で(ユリオカ超特Qが行った「マッチョ・ドラゴンPVモノマネ見て)「小学生歌ってみたいなんだよね」とコメントしている。その後藤波本人CD化断ったこともあり、永らくその存在封印されていたが(入場テーマ当初は歌入り版を使用していたが、後にインストゥルメンタル版変更した)、2005年のG1でケンドー・カシン入場曲に歌入りバージョン使用し再び脚光を浴びたB面曲テレビ朝日の子供向け番組パックンたまご挿入歌の「ドラゴン体操であった。なお、作詞森雪之丞である。2010年6月に「めちゃ×2イケてるッ!」の「歌がへたな王座決定戦スペシャル」に出演し井上陽水の『夢の中へ』を歌唱した。歌詞にある「うふふ」の部分歌った際、会場大爆笑となり、審査員務めた小林幸子に「歌の上手い歌い手多くいても、あの味は誰にも出せませんよ」と評された。 なお、この「マッチョ・ドラゴン発売について当時タッグパートナーであり、先に「らしくもないぜ」というレコード発売していた木村健悟より「(歌唱力でも売上枚数でも)片手片足、さらに口を半分閉じハンディがあったとしても藤波選手には絶対負けない」と酷評されたが、この発言聞いた猪木が「うまさと人気はまた別だから」と予言した通り歌唱力はともかく売上大差藤波の勝ちだった。 頻繁に引退宣言をしては撤回することが多い。本来、引退へカウントダウンだがカウントアップしており、この点において師匠アントニオ猪木回数上回っている。 藤波長年ライバル視していたジャンボ鶴田は、引退会見藤波とのシングル対決がついに幻になったに対して藤波君はいつもマスコミ使って対戦主張してくる。僕はそれが大嫌いだった馬場さんも彼とのシングル対決承諾してくれていたんだし、直接僕か会社全日)に電話なりしてくれればよかったのに」と発言しており、また鶴田最初からヘビー級藤波ジュニアヘビー級出身ということもあり「元々体格が違うから」とも発言し鶴田自身藤波とは積極的に対戦したかったわけではないようだ。だが後日鶴田藤波に「失礼な発言をしてしまった」と、FAX謝罪したまた、その鶴田と共に上田馬之助から「ガツーンと来るものがないデビュー当時からの『爽やかお兄チャン』のイメージを、いまだに捨て切れてない」と批判された事もあった。ただ、藤波24歳鶴田26歳時に別冊ゴング行われた対談では「プロレスラーは怖いオジサン達の集まり、というイメージ僕ら変えていこう」という考え意気投合している。 社長時代2001年東京ドーム大会橋本真也vs長州力戦において、橋本長州とも互いにフォールしようとせず打撃技のみのKO勝ちを狙おうとしたため、試合中TV解説席から藤波リング上のタイガー服部レフェリー両手を×の字にクロスして試合中止を決めた。この一件試合中継していたテレビ朝日放送席にて同席していた解説者山崎一夫が、橋本長州凄惨な戦いぶりに「二人とも潰れちゃいますよ! 藤波さん、止めなくていいんですか! 藤波さん!」と何度も呼びかけて、おもむろにストップさせたものであった。そしてリング上でマイク持ち観客向かって「我々は殺し合いをしているんじゃない!分かってください!」と叫んだ。この行動は後に「ドラゴン・ストップ」と呼ばれるようになった。このドラゴン・ストップについて藤波は、2017年スポーツ報知インタビューで「すっきりした攻防じゃなく、続けていたら看板選手潰れてしまう、後味の悪い結果になっていただろう。だから自分悪役になってでも止めたのだ」として、「あの時判断今でも間違っていない」と語っている。 ビッグバン・ベイダー戦でバックドロップによって腰を痛めて長期欠場と言われていたが、実は長年腰痛原因椎間板ヘルニアであり、それでベイダーバックドロップ仕掛けたのが決定打になったというのが真相らしい。 温厚な性格で、1982年2月14日メキシコにおけるブッチャーとの試合で、ブッチャー凶器攻撃をされ血だらけになりながらも、試合ブッチャー襲いかかった観客見てブッチャー救出したことがある。 飛龍革命の中で猪木張り手食らった後に猪木張り手打ち返した際、何かを叫んでいたのだが、後にビビる大木VTR見せながらなんと叫んでいたのかと尋ねたが、藤波は「俺もわかんないんだよね」と言ったため、真相解明されずにある。 川田利明小橋健太獣神サンダー・ライガーと、彼に憧れてレスラー成った人物も多い。 1986年昭和61年9月12日その日試合のあった山形県体育館から隣の山形県武道館訪れたそのとき合気道家白田林二郎高校生の部に稽古をつけていたのをしばらく見学していたが、何を思ったその場入門願い出た白田は「プロレスとは違うから」と入門断ったものの藤波小手返し投げ二教など指導した藤波はその技の数々驚嘆したという。その模様東京スポーツ9月14日付)に取り上げられ上半身裸の藤波白田二教抑えられている写真掲載された。 新間寿一部関係者からカンピオンというニックネーム呼ばれている。カンピオンとはChampionスペイン語読みである。 座右の銘アメリカ修行時代にランニングコースで知り合った日系老人から教わったNever Give Up」。ちなみに当時ニックネームドラゴンもその老人から考えてもらったという。

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プロレスに関するエピソード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 05:54 UTC 版)

辻よしなり」の記事における「プロレスに関するエピソード」の解説

古舘伊知郎降板後のメイン実況としてワールドプロレスリング担当するが、当初何かと古舘との比較をされ、視聴者ウケ悪く非常に悩んだと言う。しかし徐々に彼の実況スタイル視聴者受け入れられるようになり、1970年代舟橋慶一1980年代古舘伊知郎と並ぶ、1990年代代表する実況アナとなった。 特に強く感情込めて実況をするのが特徴であり、ワールドプロレスリングにて実況担当であった先輩アナウンサー古舘実況スタイル模倣していると言われている。 長州力尊敬し、「古舘さんにアントニオ猪木がいたように、私には長州力がいたんです」と自ら語り彼についての著書がある。2019年6月26日後楽園ホール行なわれた「POWER HALL2019」メインイベント長州力引退試合において、放送行なったFIGHTING TV サムライ実況行なったワールドプロレスリング実況行っていた間、辻と新日本プロレス切り離せない関係とも言え数々名文句残したマサ斎藤を「獄門鬼」「戦うネロンガ」、橋本を「破壊天子」「爆殺シューター」、蝶野を「熱血バタフライ宣言」「極悪バタフライ」、武藤敬司を「プロレスファンタジー」「セクシャルターザン」「Sir.promenade」「ときめきのバージンレッド」、野上彰を「ムササビ殺法」、越中詩郎を「戦う白袴」「ド演歌ファイター」「ダイヤモンドより堅い尻」、大谷晋二郎得意技「スワンダイブ」、小島聡の「日本一のラリアッター」「コジマカッター」(後に「コジコジカッター」で現在も定着)、高岩竜一得意技餅つき式パワーボム(エンドレスパワーボム)」、佐々木健介の「マッスルエリート」「マッスルボルケーノ」、といった命名は辻のオリジナルよるものである。

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