プロレスにおけるリング禍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:27 UTC 版)
「リング禍」の記事における「プロレスにおけるリング禍」の解説
プロレスにおけるリング禍は、その競技の特性上などからマット禍という表現が用いられることも多い。 プロレスの場合、それぞれ投げ技・打撃技・関節技などお互いの技の攻防が中心であり、プロレスラーは身体を徹底的に鍛え抜き、「受身」の技術も含めて、技による打撃・衝撃に耐えうる様に訓練していることや、試合中の選手相互の間合い、そして相手選手の身体に過剰な負担が掛かる危険な技は頻用しないという暗黙の了解によって、1980年代後半までは、試合中において選手生命に影響する深刻な受傷があったとしても、死亡に至る事故は非常に少なかった。 古くは、外国人でキラー・バディ・オースチンやオックス・ベーカーがリング禍を「起こした」側として有名であるが(オースチンの場合はフィクション)、こと昭和期の外国人レスラーに関する限り、オースチンやベーカーのほか、スタン・ハンセンによる「ブルーノ・サンマルチノ首折り事件」やキラー・コワルスキーによる「ユーコン・エリック(英語版)耳そぎ事件」など、死亡事故に至らずとも、(たとえ不測の事故であったとしても)起こした側の武勇伝という形で興行団体に商業的に利用されていたのが、プロレス特有の業界事情ではある。 しかし、1990年代以降、全日本プロレスを中心としてより過激なパフォーマンスを求める方針として、受け身の取りにくい非常に危険な技が数多く考案され、多用される風潮が強くなってきた。これらの過激な技の応酬によって身体へのダメージが着実に蓄積され、深刻な後遺症を与えることも少なくない。また、本来ならばリングに上がることは到底無理な健康状態であったにもかかわらず、団体の運営・興行上の都合や選手自身の経済面の問題などから、リングに上がり技を受け続け、致命的な事故に繋がった可能性を考えなければならない事故例も見られる様になった。後述する三沢光晴の死亡事故についても、「過激な技を長年受け続け、身体(特に首)へのダメージが深刻なまでに蓄積されていたにもかかわらず、ノア社長兼同団体のトップ選手としてリングに上がり続け、大きな負担の掛かる技を受けなければならなかった」ことを遠因の1つとして見る向きもある。 また、日本においては、小規模会場などで比較的容易に興行を行える様になり、道場やトレーニング機材を持たないなど充実した練習環境を持たないインディペンデント団体やプロモーションが乱立する様になった。練習に専念できる機会に乏しいために絶対的な練習量が足らず、受け身が取れない様な素人同然のレスラーが安易にリングに上がることも多々見られる。インディペンデント系以外の団体においても演出上、芸能人など本職のレスラー以外がリングに上がり戦う(ハッスルなど)などプロレスラーのボーダーレス化が進んだことで、予期せぬ事故が発生することもあり得る様になった。迅速な救命・救急措置に欠かせないリングドクターについても、資金面の問題などを理由に一部の大手団体以外は常駐しておらず、一部のレスラーやレフェリーなど関係者が救命術など講習する動きなどはあるものの、リング禍防止への取り組みは未だ鈍いのが現状である。
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