三沢光晴の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:00 UTC 版)
2009年6月13日、三沢は試合でバックドロップを受けた際に頸髄離断を発症して死亡した。 小佐野景浩や日本の複数のプロレス団体でリングドクターを務める林督元によると、技自体は危険なものではなく受け身もとれており、三沢の死は事故であったが、プロレス関係者やファンの中からは過激な試合を繰り返したことで蓄積したダメージによって引き起こされたものであり、「頭から落とす四天王プロレスの帰着点」であると捉える者が少なからず現れた。 また、元プロレスラーの前田日明は上記の三沢の死を受けて「危険な技の応酬を年間百試合以上繰り返す内に、選手もレフェリーも技に対する危機意識が薄れてしまった」「プロレスにおけるストーリー的要素(アングル・ギミック)を構築出来る選手が少なくなり、観客を満足させるために危険な技を繰り出すしか無い」といった現代のプロレスが抱える問題点を指摘し、「これから(三沢の事故死以降)も同じような事故は起こりうる」と警鐘を鳴らしている。
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