プロレスの東スポ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:31 UTC 版)
1980年代半ばまでは、赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られたが、1面に来るのはたいてい男子プロレスの記事だった。女子プロレスは最大手興行団体の全日本女子プロレスがデイリースポーツ(神戸新聞社)の支援を受けていたこともあり東スポでは1990年代中頃まで扱っていなかった。 詳細は「全日本女子プロレス#概要」および「デイリースポーツ#格闘技」を参照 男子プロレスが新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体だった時代には、「プロレスのテレビ中継は東スポが独占しろ」の社命のもと、キャップの桜井康雄がテレビ朝日『ワールドプロレスリング』、デスクの山田隆が日本テレビ『全日本プロレス中継』、記者の門馬忠雄が東京12チャンネル(現:テレビ東京)『国際プロレスアワー』の解説をそれぞれ担当していた。1974年(昭和49年)にはプロボクシングの表彰制度に倣って男子3団体の発展に貢献した人物を表彰し、年間最高試合を決めるプロレス大賞を設けた。 「プロレス大賞#過去のMVP受賞者」も参照 東京スポーツにおいてプロレス記事が多い理由は、夕刊紙であるが故に、野球などの記事での試合速報は他社と勝負にならないことと、プロレスは八百長疑惑もあり、デイリー以外の朝刊スポーツ紙が扱わなかったためであった。その後「紫色のにくい奴」「リングを染める鮮血の赤から、王者の風格のパープルへ」をキャッチフレーズに、青紫の見出しの紙面に刷新。 詳細は「プロレス#マスコミにおける取り扱い」を参照 1986年、元横綱の輪島大士が全日プロ入りすると同時に、東スポが印刷を委託していた日刊スポーツも「バトル面」を設け、プロレス報道に新規参入。東スポの優位性は低下した。 1988年、全日本プロレスや新日本プロレスがゴールデンタイムの中継から撤退するなどしてプロレスがマイナー化すると、芸能ゴシップなどが1面に掲載されることが多くなる。 詳細は「全日本プロレス中継#ローカル枠・プライムタイムへの移行、そして深夜枠へ」および「ワールドプロレスリング#ゴールデン撤退、夕方・深夜枠へ」を参照 全女の経営が傾きかけた1995年(平成7年)以降、プロレス大賞に女子の部が設けられるなど、東スポの女子プロレスに対する扱いも変化してきているものの、2000年代には女子プロレスという種目そのものの衰退に伴って最高賞である「女子プロレス大賞」が5年連続で該当者なしとなるなどの問題も抱えている。 詳細は「女子プロレス#現状」を参照
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