プロレスの起源とは? わかりやすく解説

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プロレスの起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:25 UTC 版)

プロレス」の記事における「プロレスの起源」の解説

いわゆるアマチュアレスリングよりも歴史古く現在のプロレス歴史20世紀初頭に始まるが、19世紀には既にファンフェアバラエティ番組ストロングマン(High_striker)やレスリングパフォーマンスの前任者がいた。一方で地方伝統レスリングから19世紀発展した現代競技スポーツとしてのレスリングは、ルール整備され競争力のあるスポーツ2つスタイル、「フリースタイル・レスリング」と「グレコローマン・レスリング」(それぞれ英国ヨーロッパ大陸伝統に基づく)の形で出現していった。これらは 1896年近代オリンピック開始までに「アマチュアレスリング」という用語で出現した近代オリンピック以降は、ルールスポーツとして整えた際に大きく枝分かれをしている。1896年第1回近代オリンピックアテネ大会行われたレスリング当時のプロレスルール(現在のグレコローマンスタイル準じたもの)で行われていた。 競技レスリングショーマンシップ組み合わせるレスリング出現1830年代フランス7月王政期であるとされる。そしてエドワード“ザ・スティール・イーター(“Edward, the steel eater”「を食う男」)”、ガスタヴ・デアビヨン“ザ・ボーン・レッカー(“Gustave d’Avignon, the bone wrecker”「骨折魔」)”、ボネット“ザ・オックス・オブ・ジ・アルプス(“Bonnet, the ox of the low Alps”「アルプス山脈雄牛」)”などの名前でレスラー紹介し観客500フランで彼らをノックダウンするように要求したという 1848年フランス興行師であるジーン・エクスブロヤ(Jean Exbroyat)は、最初近代レスラーサーカス団結成。このときのレスリング腰下ホールド実行しないというルールとりきめ、これが「フラットハンドレスリング」と名付けたスタイルとなる。この新しいスタイルはすぐにヨーロッパ他の地域オーストリア・ハンガリー帝国イタリアデンマークロシアにフレンチ・レスリング、クラシック・レスリング、フレンチ・クラシカル・スタイル・レスリング(French Classical Style Wrestling)の名前で広まる。 19世紀終わりまでに、このモダンなレスリングスタイルはのちに「グレコローマン」と名づけられ、ヨーロッパで最もファッショナブルなスポーツになって1898年にはフランス人のポール・ポンズが最初プロ世界チャンピオンになったとしている。 19世紀後半米国英国普及したプロレスモダンなスタイル出現する。このレスリングキャッチ呼ばれグレコローマンとは異なっており、このために非正統的グレコより緩いスタイルであるとの認識であったグレコローマンは腰の下をつかむことを厳しく禁止しているが、キャッチレスリングはレッググリップを含めの上下のホールド認めている。その後キャッチレスリンググレコローマン両方とも人気上がり、これは完全に競技性のあるアマチュアとプロスポーツであったここから19世紀後半以降キャッチレスリングサブセクション現在のプロレス」として知られているスポーツエンターテインメントにゆっくりと変化し、その演劇性とエンターテインメント性はレスリング能力同等に認められていった キャッチ起源イギリスランカシャー地方ランカシャーレスリングキャッチ・アズ・キャッチ・キャン)にあると言われている。レスリンググレコローマンスタイル賞金マッチ行ったものがアメリカで行われていた記録もあり、もう1つプロレスルーツとなっている。 19世紀初め頃にボクシングとともにイギリス興行開始されている。有名なプライズ・ファイター」(現在のボクサー)ジェームス・フィグはベアナックル素手)、蹴り技投げ技絞め技噛み付き目つぶし髪の毛つかみのある当時ボクシングのほか、レスリングも得意であった1830年代にはアメリカレスリング勝者懸賞金与えられるという興行伝えられエイブラハム・リンカーン行っていた。キャッチ・アズ・キャッチ・キャングレコローマンミックスマッチ3本勝負混ぜる)や更に腰から下へのキック認めるというような変則的なルール各地、各試合毎に行われていた。 現在のプロレス直接つながっているのは19世紀後半アメリカ広まったカーニバル・レスリングとされる。カーニバル・レスリングは"athletic show"あるいは短く"at show"と呼ばれたいわゆるサーカス出し物一つとして行われその中では、レスラー観客挑戦受けて試合いわゆる"all comers")をしたりレスラー同士、あるいはボクサーとの模範試合披露していた。19世紀末まではレスリングのみのショー試合数が限られていたため、レスリング職業として生活するためには、このようなカーニバル・レスリングに参加する1人旅芸人として巡業する必要があった。 このためかつて大仁田厚自身設立したFMWへの批判に対して、「プロレスの起源はサーカス見世物」と反論している。大仁田とは対照的な正統派ルー・テーズも、自伝においてカーニバルレスリングと旅芸人がプロレスの起源と述べているほか、ロシアでもレスリングショーとして、サーカス組み込まれていたとしている。 1880年代には人気レスラーであり警察官でもあったウィリアム・マルドゥーン警察退職専業という意味で最初プロレスラーとなった。と同時にマルドゥーン劇場などの常設施設行われるレスリング・ショーの発展努力して後に「アメリカン・レスリングの父」とも呼ばれるうになる1890年代にはカーニバルレスリング出身のマーティン・ファーマー・バーンズがイバン・ストラングラー・ルイス、トム・ジェンキンスらとのレスリング・ショーで人気集めたその後バーンズフランク・ゴッチ始めとする多くプロレスラー育てレスリング通信教育行ったバーンズもまた「アメリカンレスリングの父」と呼ばれる

※この「プロレスの起源」の解説は、「プロレス」の解説の一部です。
「プロレスの起源」を含む「プロレス」の記事については、「プロレス」の概要を参照ください。

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