7月王政期(1830年 - 1848年)
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「オルレアニスム」の記事における「7月王政期(1830年 - 1848年)」の解説
オルレアニストたちは「神意」に基づく王権という考えを嫌う反面、民主主義をも恐れていた。独裁主義への反転やボナパルティスムへの回帰を引き起こすと確信していたのである。オルレアニストは中産階級の代表者が拠る議会を基盤とした立憲君主政体を採用するイギリスの自由主義政府を理想と考えていた。彼らは絶対君主主義と民主主義の「中庸」(juste-milieu、ジュスト・ミリュー)を追求していた。オルレアニスト政府はフランスにおけるイギリスの中産層選挙民に相当する「法定人口」(pays legal)は25万人程度と決め(実際の有権者は17万人程度)、この枠内から漏れた圧倒的大多数の人々は「事実上は国家を代表している」とした。ギゾーはこの原則を断固たる厳密さをもって解釈し、国政に適用した。 オルレアニストによる7月王政は完全に中産階級のためだけの政治を展開したため、「法定人口」から漏れた大多数の国民は、政府を特権階級の集まりと判断した。政治から排除された国民たちは政府を攻撃しようとはしなかったが、オルレアニスト政府に魅力を感じることはなくなり、貴族政治や昔の王政と変わらないと考えていた。
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