フーリエ、トゥスネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)
「反ユダヤ主義」の記事における「フーリエ、トゥスネル」の解説
フランスの反ユダヤ主義は、フランス革命の後遺症とみなすこともできるとポリアコフはいう。なかでも、フランスの社会主義者はサン=シモン主義者を唯一の例外として反ユダヤ主義に染まっていった。 1808年、社会思想家シャルル・フーリエは人々を破産に追い込み稼いだユダヤ人についての教訓話を書き、ユダヤ人がフランスに拡散すると、フランスは巨大なシナゴーグになると論じた。1829年、フーリエはユダヤ人解放政策は金儲け精神の助長であり悪政であるとして「高利貸しの民族」であるユダヤ人は文明化を遂げていないと論じた。しかし、フーリエは1838年には『偽りの産業』でロスチャイルド家を旧約聖書のエズラ、セルバベルになぞらえ、ダビデ、ソロモンの王を復活させ、ロトシルト(ロスチャイルド)王朝を創始できると称賛しており、ポリアコフはフーリエはロスチャイルド家の共感をとりつけようとしたのではないかと指摘している。しかし、フーリエの思想に共鳴したフーリエ主義者は第二共和政時にユダヤ人議員クレミューが司法省にいることは脅威であるといったり、ドレフュス事件では反ユダヤ主義を標榜し、またフーリエから影響を受けたロシアの小説家ドストエフスキーもユダヤ嫌いであった。 1845年、フランスでシャルル・フーリエの弟子アルフォンス・トゥースネルが『ユダヤ人、時代の王 - 金融封建制度の研究』を刊行した。トゥスネルは産業革命のもとで生じた7月王政期の議会の腐敗や社会不安について、フランスが道徳的に無気力に陥り堕落したのはユダヤの金融資本家を中心とした「金融的封建支配」のせいだと主張し、大臣たちはフランスをユダヤ人に売ったと非難し「貨幣の貴族支配」を除去するため王と人民との結合を主張した。トゥスネルは「ユダヤ人」を「他人の資材と労働を食い物にしている通貨の取引人すべて、みずから生産に従事しない寄生者のすべて」といい、ここにプロテスタント、神の意思を読み取るのにユダヤ人と同じ書物を読むイギリス人、オランダ人、ジュネーヴ人も指し示しているという。トゥスネルのこの本は、ドリュモンの『ユダヤ人のフランス』(1886)が登場するまでは反ユダヤ主義の古典となった。 1846年、キリスト教社会主義のピエール・ルルーはトゥースネルと同じ題の『ユダヤ人、時代の王』をものし「ユダヤ人」とは高利貸し、貪欲に金を稼ぐことに熱意を示す人間すべてを意味するが、ユダヤ人の病は人類の病であり、投機売買と資本によってイエスは磔刑に処されていると論じ、敵は「ユダヤ的精神」であり、個々のユダヤ人ではないといった。 プロイセンのフェルディナント・ラッサールはユダヤ人の社会主義者・労働運動指導者だったが、奴隷として生まれついたユダヤ人に対して正しい復讐がわかっていない、と自己指弾し「私はユダヤ人のことをまったく好きになれない」と述べた。
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