第一帝政〜7月王政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:17 UTC 版)
第一帝政期から復古王政、7月王政期には、軸上に多くの記念碑的建造物が設けられた。 ナポレオン・ボナパルトは1800年、現在のルーヴル美術館中庭に位置するカルーゼル広場を拡張し、ここに1806年から1808年にかけてイタリアでの勝利を記念する凱旋門(カルーゼル凱旋門)を建てた。またシャイヨーの丘でも1806年からエトワール凱旋門の建設が始められたが、これはナポレオン存命中には完成せず、7月王政下の1836年にようやく完成した。 7月王政期には建築家ジャック・イニャス・イトルフの設計によりコンコルド広場の整備が行なわれた。1831年にはエジプトのムハンマド・アリーから寄贈されたルクソール神殿のオベリスクが広場中央に設置された。 イトルフは続いてシャンゼリゼの整備も担当し、通り沿いに劇場、レストラン、カフェなどが建てられた。
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