第一幕 くノ一紅騎兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 04:18 UTC 版)
関ヶ原の戦いの前年、京の遊郭に集った上杉家の豪傑達は、陽炎という名の美女を愛でていた。しかし、彼女は大の男をもねじ伏せる技前を見せた後、自分は「大島山十郎」という男だと告げ、直江山城守に仕えたいと申し出る。議論の末、この申し出は受け入れられ、一行は越後へと。山十郎の目的は上杉謙信から愛姓であった山城守に伝えられたとされる衆道の奥義の伝授であった。 やがて、山十郎は上杉景勝の目に留まり、景勝の小姓に取り立てられ、関係を持つ。数か月後、山城守は一人の赤子を抱いて景勝の前に現れ、赤子が景勝と山十郎の子だと伝えた。衆道が極まると、背孕みとして男も妊娠するのだと。赤子は山城守が預かることになったが、すぐに赤子が攫われたと伝えてきた。山十郎は実は信州上田真田家に仕える者だったと置き手紙を遺していた。 真田家は豊臣方で反徳川の筆頭。それまで徳川と正面切って敵対することに躊躇していた景勝であったが、嫡子を取り戻すためにも反徳川の旗色を鮮明にせねばならなかった。直江状によって激怒した徳川家康は上杉征伐の兵を出した。 東西から徳川を挟撃するはずが、関ヶ原の戦いで豊臣方のあまりにも早い敗北から、上杉方は追撃する徳川方を退けながら退却戦を行う。その直前に、上杉方に白馬に乗った若武者が現れた。胸には赤子を抱き、手には薙刀。旗指物は、真田の六紋銭。大島山十郎であった。山十郎は景勝に赤子を返すと共に、自らが真田のくの一であり本名を陽炎だと告白する。 退却戦の最中、徳川兵に討たれる寸前の山城守を救ったのは、自らの血と返り血で真っ赤に染まった白馬と陽炎であった。山城守に別れを告げると陽炎は追手の大軍に向かって単騎で駆けて行き、やがて幻のように消えて行った。
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