ローカル枠・プライムタイムへの移行、そして深夜枠へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:29 UTC 版)
「全日本プロレス中継」の記事における「ローカル枠・プライムタイムへの移行、そして深夜枠へ」の解説
ジャパンプロレス崩壊後でなおかつ「'88チャンピオン・カーニバル」シリーズ中の1988年4月からは日曜22:33 - 23:26(22:30 - 22:33は予告番組)に放送時間が変更されたと同時に、以降は再度ローカル枠での放送と同時に録画中継となり、再度プロ野球中継で放送時間が左右されることも無くなった(プロ野球中継延長の際は放送時間繰り下げ)。同時期に土曜夕方に移行した『ワールドプロレスリング』共々ゴールデンタイムや実況生中継で放送されるプロレス中継は消滅した。しかし、「'90チャンピオン・カーニバル」シリーズ中の1990年4月に、海外ドラマの放送を2年ぶりに再開したため、放送時間も日曜24:30 - 25:25に変更された。 しかしながら馬場をはじめ、三沢、川田利明、田上明、小橋健太のプロレス四天王や秋山準、高山善廣といった、後年団体を牽引する選手たちをこの番組から育て上げた。また、日本武道館における興行も1989年以降は札止めが続き、1990年には天龍や谷津嘉章などの大量離脱があったものの、巧みなマッチメイク、木村のマイクパフォーマンス、「プロレスニュース」で番組を乗り切った。 馬場自身は、第一線を退くとともに、解説者として放送席に座ることが多くなった。
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