セルビアの音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/04 01:56 UTC 版)
伝統音楽
伝統的なセルビア民俗音楽の演奏には、バグパイプ類、笛、角笛、トランペット、リュート、プサルテリー、太鼓、シンバルといった種類の楽器が用いられる。セルビア民俗音楽で使用される主な楽器には以下のようなものがある:
- フルラ(Frula)
- ガイデ(Gajde)
- ズルレ(zurle)
- ディプレ(diple)
- ドゥドゥク(Duduk)
- タンブラ(Tambura)、タンブリツァ(Tamburitza)
- グスレ(Gusle)
- カヴァル
- タパン(Tapan)
- シャルギヤ(Šargija)、ブズーキ
- タラブカ
この分野の音楽には、歌唱のある物もない物もある。歌詞はセルビアの民話やキリスト教(正教会)に関するものである。
オーストリア=ハンガリー帝国やユーゴスラビアの時代、セルビアの伝統音楽が聴かれる頻度は落ち、商業音楽に取って代わられた。セルビアの民俗音楽は、類似した楽器や旋律を使用するブルガリアの民俗音楽やマケドニア共和国の民俗音楽とよく似ている。
セルビア民俗音楽に根ざした音楽の良く知られた例としては、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2004でセルビア代表として歌ったジェリコ・ヨクシモヴィッチの「Lane Moje」が挙げられる。
バルカニカ(Balkanika)、バルカノポリス(Balkanopolis)、スロボダン・トルクリャ(Slobodan Trkulja)、ベロ・プラトノ(Belo Platno)、テオドゥリヤ(Teodulija)、クリン・バン(Kulin Ban)などは、セルビアの楽器や伝統を踏襲した音楽グループとして知られる。
コソボ
コソボについて言及したセルビアの伝統音楽の楽曲は、オスマン帝国の支配下で苦しみを耐えたコソボのセルビア人を表現している。コソボのセルビア人の伝統音楽は、わずかにギリシャの影響が見られ、ステヴァン・モクラニャツの12番目の曲「花輪」(セルビア語:Руковет)は、コソボのセルビア人の音楽に着想を得たものである。
セルビア民俗音楽
今日の商業的なセルビア民俗音楽(Novokomponovana、「新しく作られた音楽」)は地方のものも都市部のもの(スタログラドスカ・ムジカ Starogradska muzika)もあり、2ビートの舞踊コロ(kolo)などがある。コロは腰より上をほとんど動かさない円舞であり、ほとんどの場合はアコーディオンで演奏されるが、フルラ(伝統的なリコーダーの一種)、タンブリツァ、ハーモニカなどが用いられるものもある。コロはおよそ5分から13分程度にわたって続く。
バナト地域のセルビア人の民俗音楽はヴラフ人(Vlach、この地方のヴラフ人とはルーマニア人)と相互に影響を受けている。
叙事詩
叙事詩を歌うことは、何世紀にもわたってセルビアやバルカン地域の音楽の特徴であった。モンテネグロでは、典型的にはグスレと呼ばれる1弦の楽器の演奏を伴って、長編の小説の弾き語りが行われてきた。その内容は、オスマン帝国の支配などによる彼ら自身の立場を憂うものや、コソボの戦いなどの戦いに関するものなどがある。クロアチア(主にクライナ地域)では、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下に置かれた当地のセルビア人の気持ちを表現したものがある。
バルカン・ブラス・バンド
ブラス・バンドは、特にセルビア中部、南部では大変盛んである。このブラス・バンドの伝統はセルビアに固有のものであり、セルビア国家の誕生以来、戦争のときも外国の支配を受けたときも、その歴史のほとんどを共にしてきた。この音楽は1804年のカラジョルジェ蜂起の時、トランペットが初めてセルビアにもたらされたときから始まっている。カラジョルジェ蜂起は、400年に及んだオスマン帝国の支配に反抗したセルビア人のカラジョルジェ・ペトロヴィッチ(黒ジョルジェ)が率いた武装蜂起であった。この時、トランペットは兵士らを起こし、集め、戦いの合図をするための軍事用の楽器であり、また休息時間の娯楽でもあり、兵士らは有名な民俗音楽をトランペットで演奏していた。蜂起が終わり、兵士らが故郷に帰るとき、トランペットの音楽が一般市民社会にもたらされた。ちょうどその時、ロマ(ジプシー)たちもこの伝統に加わり、より複雑なリズムや旋律を加えていった。これによって、より繊細で旋律的な西部セルビアの楽隊と、より複雑で舞踏的な、ジプシーの影響を受けた南部セルビアの楽団という2つの潮流が生まれた。
良く知られたセルビア・ブラスのミュージシャンには、ファイェト・サイディッチ(Fejat Sejdić)、バキヤ・バキッチ(Bakija Bakić)ボバン・マルコヴィッチ(Boban Marković)などがいる。グチャで行われるドラガチェヴォの集いでは、毎年30万人を超える観客が世界中から集まる。
チョチェク
チョチェクは19世紀初頭にバルカンで興った音楽とベリーダンスである。チョチェクは、当時のブルガリアやセルビア、マケドニアなどに広がったオスマン帝国の軍楽隊の音楽に由来している。直後から現地化し、民族ごとの特色ある多様なチョチェクが生まれた。セルビアのチョチェクは、より東洋的なブルガリアのキュチェク(チョチェクのブルガリア語での呼称)とは異なっている。
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