ターボ・フォークとは? わかりやすく解説

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ターボ・フォーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 10:23 UTC 版)

ターボ・フォークセルビア・クロアチア語:Турбо-фолк、ラテン文字表記Turbo-folk)はバルカン半島発祥の流行音楽のジャンル。20世紀末の旧ユーゴスラヴィア諸国で興り、セルビアボスニア・ヘルツェゴビナモンテネグロがその主な中心であるが、クロアチアマケドニア共和国スロベニアといったほかの旧ユーゴスラヴィア諸国でも盛んである。

概要・特徴

詳細

ターボ・フォークの語は、ランボ・アマデウスによって、1980年代に冗談めかして語られたのが始まりである。アマデウスは、多くの音楽のスタイルを混合してそれらの要素を併せ持った、自身の音楽のスタイルについて語る中で出てきた言葉であり、進歩した現代的なイメージの「ターボ」と、伝統や保守を想起させる「フォーク」を結びつけたものである。

1991年ベオグラード北部のノヴィ・ベオグラード地区には違法ラジオ局がいくつかあった。その中のひとつは DJ W-ICE なる人物によって運営され、そこでは民俗音楽とダンス・ミュージックをミックスして放送していた。W-ICE は後に、ゾリツァ・ブルンツリク英語版はじめ、民俗音楽のビデオ・クリップに登場するようになった。

実際には、ターボ・フォークという語が登場してから、それが真剣に取り扱われるようになるまでには数年の年月がかかった。1993年、ユーゴスラヴィアは瓦解し紛争が始まり、旧ユーゴスラヴィア各国の経済状態は悪化した。国際的な経済制裁を受けたセルビアなどでは極度のインフレーションを経験した(ユーゴスラビア・ディナールも参照)。この時、多くの人々が商業的民俗音楽に癒しを求めていた。

このような商業的民俗音楽は低俗であると見なされつつも、その需要は伸び、セルビアなどの地域の音楽シーンのトップに躍進した。その中心となったのは享楽的で挑発的な有り様のものであった。

  • ミタル・ミリッチ英語版の「Ne Može Nam Niko Ništa」は、男女の愛があらゆる困難に打ち勝つ内容を歌ったものであり、暗にセルビアの国際的孤立の哀感を表したものである。
  • 1994年イヴァン・ガヴリロヴィッチセルビア語版の曲「200 na sat」(毎時200回)は疾走するスポーツ・カーを歌った内容であり、ターボ・フォークの方向性を確立する内容となった。この曲はクロアチアのロック・バンド、Vatrogasci英語版 によって「Nema Ograničenja」のタイトルでカヴァーされ、そのコーラス・ラインの中では「ターボ・フォーク」の語が登場する。

やがて、ターボ・フォークはひとつの確立した音楽としてその名前で知られるようになり、ツェツァミラ・シュコリッチセルビア語版ドラガナ・ミルコヴィッチらは脚線美を強調したパフォーマンスや禁忌を破る内容でこのジャンルに入り込み、大スターへと成長していった。露出度の高い女性たちによる扇情的な舞台パフォーマンスと歌詞は、セルビアにおいてパフォーマンスとテレビ放送の回数を押し上げる確実な方法であった。

ターボ・フォークは、ユーゴスラヴィアの商業的民俗音楽を強く受け継いでおり、その商業的民俗音楽そのものは、ユーゴスラヴィアでは1970年代から既に大変に人気のある音楽であった。そのため、いつの時代までが商業的民俗音楽で、いつの時代からがターボ・フォークと呼ぶべきものなのかははっきり区分けすることは難しい。

音楽的には、ターボ・フォークと商業的民俗音楽は大変に似通っている。それらは共にロマ音楽中近東の音楽、トルコの流行音楽、ギリシャの流行音楽、セルビアのブラス・バンドなどの混合であり、ロックや現代の電子音楽などの要素を併せ持っている。

ターボ・フォークと商業的民俗音楽の主な違いは、その視覚面と歌詞の内容の違いである。ターボ・フォークではより外見的な性的魅力を誇示し、露出度の高い服を着て、愛の歌やみだらな内容を暗喩する歌詞が多く登場する傾向にある。 そのため、ターボ・フォークは根本的に商業的民俗音楽と同一のものであり、その違いはパフォーマーの年代の違いでしかないとする見方もある[2]。このような立場からの見解はおおよそ次のようなものである。

  • レパ・ルキッチ英語版シルヴァナ・アルメヌリッチ英語版らによって支えられた1970年代の商業的民俗音楽は、とてもポップで親しみやすく一般受けするものであると自認する。
  • 1980年代にはシーンの頂点はレパ・ブレナヴェスナ・ズミヤナツ英語版らに取って代わられた。彼女らはより高い歌唱力に加え魅力的な外見を持ち、私生活など音楽以外の面でも注目されるようになった。
  • 1990年代から2000年代にかけて、ツェツァやイェレナ・カルレウシャらがその頂点に立ったことは、1980年代までの商業的民俗音楽の流れから言えば自然なことであり、より外見的なものを重視すると言う次の段階に移ったに過ぎない。

前史の歌手

1950年代

1960年代

1970年代

1980年代

主な歌手

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

2020年代

  • ウラジミール・マラス
  • オルゲンク

脚注

  1. ^ Report about turbo-folk 2022年2月28日閲覧
  2. ^ [1]

サイトブック

  • Collin, Matthew (2004) [2001]. This is Serbia calling (2nd edition ed.). London: Serpent's Tail. pp. pp. 78–84. ISBN 1-85242-776-0 
  • Gordy, Eric (1999). “The Destruction of Musical Alternatives”. The Culture of Power in Serbia. Penn State Press. ISBN 978-0-271-01958-1 

ターボ・フォーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/04 01:56 UTC 版)

セルビアの音楽」の記事における「ターボ・フォーク」の解説

「ターボ・フォーク」を参照 現代セルビアへとつながる、かつてのユーゴスラビア連邦ポピュラー音楽は、セルビア国内外高い人気があった。その後に続くユーゴスラビア解体混乱の時代興り人気得たのがターボ・フォークであった新しセルビア民俗音楽(Novokomponovana)は、土着のセルビア民俗音楽都市化結果であった。その初期の頃プロフェッショナル的に披露されるものであり、アコーディオンクラリネット演奏用いラブソングその他の単純な歌詞を歌ったしかしながら王党派民主主義反共主義テーマとした歌詞もまた地下命脈保っていた)。この分野の優れた歌手たちは、国外から持ち込まれ音楽歌いこなしたセルビア民俗音楽主な歌手には、シャバン・シャウリッチ(Šaban Šaulić)、トマ・ズドラヴコヴィッチ(Toma Zdravković)、シルヴァナ・アルメヌリッチ(Silvana Armenulić)、ミレ・キティッチ(Mile Kitić)などがいる。後期には、ヴェスナ・ズミヤナツ(Vesna Zmijanac)、レパ・ブレナドラガナ・ミルコヴィッチDragana Mirković)などの人気歌手たちは、よりポップ・ミュージックポピュラー音楽オリエンタル音楽その他のジャンル音楽の影響強く受けるようになっていった。これが、ターボ・フォークの爆発的流行下地となったユーゴスラビア紛争危機続いた1990年代は、ターボ・フォークの時代であった。ターボ・フォークはセルビア伝統的な民俗音楽商業的民俗音楽(novokomponovana)を土台にもち、ロックンロールソウルミュージックハウスUKガラージUK garage)などの影響を受けた音楽である。ターボ・フォークはアグレッシブな速い音楽であり、その代表的な歌手にはツェツァイェレナ・カルレウシャなどがいる。リムトゥティトゥキ(Rimtutituki)のように、1990年代セルビアで、音楽スロボダン・ミロシェヴィッチ抗議したミュージシャンたちもいた。また、民族主義的歌手としてはバヤ・マリ・クニンジャBaja Mali Knindža)が有名である。

※この「ターボ・フォーク」の解説は、「セルビアの音楽」の解説の一部です。
「ターボ・フォーク」を含む「セルビアの音楽」の記事については、「セルビアの音楽」の概要を参照ください。

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