共産党支配下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:56 UTC 版)
共産党の支配下となった冷戦時代、ブルガリアではチャルガは好ましくない音楽とみなされた。チャルガには共産主義に向かって前進するような要素はいとされ、1980年代の共産党の指導者トドル・ジフコフによって、トルコや西アジアからの要素を含むチャルガよりも、「純粋でスラヴ的、国粋的」な音楽が好ましいとされた。また、激しく腰を振り、好色的な歌詞も少なくないチャルガは退廃的、非道徳的なものとみなされた。また、チャルガはロマ音楽の要素を強く受け、ロマ (ジプシー) によって発展してきた側面から、ロマに対する差別意識がこうしたチャルガに対する圧迫の背景にあったともいわれている。 ブルガリアでチャルガに対する圧力の強かった時代、隣国ユーゴスラヴィアは東側陣営に属さず、より自由度の高い独自の社会主義体制がしかれており、そのため同国ではチャルガ同様の音楽ターボ・フォークが大きく発展をとげた。多くのブルガリア人は隣国から流れてくるターボ・フォークのラジオに耳を傾けた。 ギリシャでは、アナトリア半島のギリシャ人を中心に発達したメロス (Melos) とよばれる伝統音楽が現代化してライコーという音楽が誕生した。ライコーと関連の深い音楽には、Orkester Kristal などに代表される初期のブルガリアのチャルガと類似性の高いものもある。トルコのアラベスク音楽は土着の伝統音楽と中近東からの影響をミックスした音楽で、1960年ごろ成立した。
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