ボボフ・ドルとは? わかりやすく解説

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ボボフ・ドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 19:46 UTC 版)

座標: 北緯42度22分 東経23度1分 / 北緯42.367度 東経23.017度 / 42.367; 23.017

ボボフ・ドル
Бобошево
Boboshevo
ボボフ・ドル
ブルガリア内のボボフ・ドルの位置
 ブルガリア
州(オブラスト)キュステンディル州
基礎自治体ボボフ・ドル
自治体全域の人口12894 人
(2005年7月5日現在)
町の人口6725 人
(2005年7月5日現在)
ナンバープレートKH
標高694 m
標準時EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3
ボボフ・ドル火力発電所

ボボフ・ドルブルガリア語: Бобов дол / Bobov Dol [ˈbɔbovˌdɔɫ])はブルガリア西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。キュステンディル州に属する。コチェリノヴォおよびリラに近接している。地理的にバルカン半島のほぼ中心にあり、炭鉱火力発電所の町として知られている。町はキュステンディル州ではキュステンディルドゥプニツァに次いで3番目の人口規模を持っている。

山岳地帯に位置しており、4方向をコニャヴォ山脈(Конявска / Konyavska)に囲まれており、ゴログラフスキ・リド(Гологлавски Рид)が北から東へ走り、火山様のコロシ峰(Колош / Kolosh)が西に位置している。町の南にはラズメタニツァ平原(Разметаница / Razmetanitsa)がストルマ川Струма)まで広がっている。町の名前は「豆の谷」を意味しており、元の町のあった渓谷(現在のフリスト・ボテフ地区)が豆の形であったことによる。西にも町は広がり、より新しいミニョル地区は1954年以降に開発され、ほとんどは高層住宅である。

ボボフ・ドルには1575年オスマン帝国の徴税所ができて誕生した町であるが、かつて古代にはトラキア人が居住しており、後にはブルガリア帝国東ローマ帝国の一部となった。1830年には地理学者のアミ・ブーエ(Ami Boué)が訪れ、地元の石炭の埋蔵について調査した。ブルガリア解放の後ほどなくして1891年に石炭の掘削が始まった。1967年9月30日に、ボボフ・ドルの村は町に昇格した。ボボフ・ドル火力発電所は、町から10キロメートルのゴレモ・セロに1973年から1975年にかけて建造された。共産党支配下では、ボボフ・ドルは大勢の労働者を受け入れ、経済成長と人口増加を経験した。1980年代、遠くはニカラグアからも労働者が訪れた。

地元出身の著名人には、サッカー監督のゲオルギ・ヴァシレフ(Georgi Vasilev)、金融大臣のプラメン・オレシャルスキ(Plamen Oresharski)らがいる。地元のサッカー・クラブ、PFCミニョル・ボボフ・ドル(PFC Minyor Bobov dol)はブルガリア2部リーグに属している。

町村

ボボフ・ドル基礎自治体(Община Бобов дол)には、その中心であるボボフ・ドルをはじめ、以下の町村(集落)が存在している。

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