キュステンディルとは? わかりやすく解説

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キュステンディル【Kyustendil/Кюстендил】

読み方:きゅすてんでぃる

ブルガリア西部都市首都ソフィア南西90キロメートル、オソゴボ山の麓のバンスカ川沿い位置する古代ローマ時代より温泉地として知られ2世紀から3世紀頃の浴場遺跡がある。現在も多く温泉サナトリウムがある。


キュステンディル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 20:24 UTC 版)

座標: 北緯42度17分 東経22度41分 / 北緯42.283度 東経22.683度 / 42.283; 22.683

キュステンディル
Кюстендил
キュステンディルの市章
キュステンディル
ブルガリア内のキュステンディルの位置
 ブルガリア
州(オブラスト) キュステンディル州
基礎自治体 キュステンディル
自治体全域の人口 74884 人
(2005年7月5日現在)
町の人口 51331 人
(2005年7月5日現在)
ナンバープレート KH
標高 513 m
標準時 EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3

キュステンディルブルガリア語:Кюстендѝл / Kyustendil)はブルガリア西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。キュステンディル州に属し、その州都である。キュステンディルはキュステンディル渓谷南部にあって、ソフィアから90キロメートルである。中世のセルビア人の統治者であるコンスタンティン・ドラガシュ(Константин Драгаш / Konstantin Dragaš)にちなんで命名された。

地理・観光

キュステンディルはブルガリア有数の温泉観光地であり、標高は500メートル程度である。キュステンディルはオソゴヴォ山(Осогово Osogovo)のふもとにあり、バンスカ川(Banska)の両岸に広がり、温泉療法と果物の生産の町となっている。町のトラキア語でのかつての呼称はパウタリア(Pautalia)であり、泉の町を意味する。

キュステンディルには40を超える鉱泉がある。温泉の成分には亜硫酸塩化合物が含まれる。それらは運動器系や、婦人病などの疾患に効用があるとされる。観光地帯には複数の温泉や、温泉療養の施設などがある。

ブルガリアの首都ソフィアから90キロメートル、ブラゴエヴグラトから69キロメートル、北マケドニア共和国との国境から22キロメートルのところにある。ローマ人によって築かれた要塞がある。バシリカとモザイクの床が発掘された。

歴史

古代

トラキア人紀元前5世紀ないしは紀元前4世紀ごろから居住しており、要塞、保養地、交易の拠点として栄え、紀元1世紀ローマ人からパウタリア(Pautalia)と呼ばれた。これはトラキア語で泉、源泉を意味する語に由来している[1]

ヒサルラカ(Hisarlaka)要塞は4世紀に立てられ、東ローマ帝国の皇帝バシレイオス2世の時代の1019年には、スラヴ語ヴェルブジドВелбъжд / Velbužd、ラクダを意味する)として記録されている[1]

中世以降

コンスタンティン・ドラガシュによる支配領域(右下)

カロヤンКалоян / Kaloyan)の時代に、町は第二次ブルガリア帝国の一部となった。16世紀に、かつて町を支配したコンスタンティン・ドラガシュにちなんで現在の町の名前となった[1]

11世紀には町はヴェルブジドとして知られていた。1330年7月28日、町の近郊でブルガリアとセルビアによる大規模な戦闘が起きる。(ヴェルブジドの戦い)およそ1355年ごろ、町はコンスタンティン・ドラガシュが支配する半独立的な封建領土ヴェルブジド大公国の一部となる。

15世紀、コンスタンティン・ドラガシュにちなんで町はキュステンディルと呼ばれるようになる。1372年、トルコ人に征服され、オスマン帝国の一部となる。キュステンディルの住民はブルガリア民族復興運動の一部を担い、ブルガリア民族復興期には、町は工芸と交易で栄えた。町は1878年1月29日オスマン帝国の支配から解放された。

町村

キュステンディル基礎自治体(Община Кюстендил)には、その中心であるキュステンディルをはじめ、以下の町村(集落)が存在している。

姉妹都市

ギャラリー

参考文献

  1. ^ a b c Adrian Room, "Placenames of the World" ISBN 0-7864-2248-3 McFarland & Company (2005)

外部リンク



キュステンディル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 02:14 UTC 版)

キュステンディル州」の記事における「キュステンディル」の解説

州都のキュステンディルは州南部のキュステンディル平地位置している。キュステンディル市全域での面積は923平方キロメートル人口73,346人をかぞえ、うち51,300人はキュステンディル市街住んでいる。キュステンディルへは、マケドニア共和国スコピエブルガリアソフィアを結ぶスコピエ-ソフィア幹線道路走っており、セルビアからはニシュからニシュ-ボシレグラード-キュステンディル幹線道路が、ドゥプレニツァとキュスティンデル間を結ぶ街道イスタンブールアドリア海地方を結ぶ歴史的な交易路一部形成している。キュステンディルは歴史環境文化遺産保存努めてきた。現在ではブルガリア28州のうちのひとつであるキュスティンデル州の中心都市となっており、今後文化観光、および温泉保養リゾート施設開発力を入れ見通しである。

※この「キュステンディル」の解説は、「キュステンディル州」の解説の一部です。
「キュステンディル」を含む「キュステンディル州」の記事については、「キュステンディル州」の概要を参照ください。

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