第2試合(アイルランド戦)
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「ラグビーワールドカップ2019 日本代表」の記事における「第2試合(アイルランド戦)」の解説
9月28日16:15 日本 19 - 12 アイルランド小笠山総合運動公園エコパスタジアム, 袋井観客動員数: 47,813人審判: アンガス・ガードナー (オーストラリア) トライ: 福岡堅樹 58' cコンバート: 田村優 (1/1) 60'PK: 田村優 (4/5) 17', 33', 39', 71' レポート トライ: リングローズ 13' mカーニー 20' cコンバート: カーティー (1/2) 21' Japan Ireland FB 15 山中亮平 50分 RW 14 松島幸太朗 OC 13 ラファエレティモシー IC 12 中村亮土 LW 11 レメキロマノラヴァ FH 10 田村優 SH 9 流大 56分 N8 8 アマナキ・レレィ・マフィ 31分 OF 7 ピーター・ラピース・ラブスカフニ (c) BF 6 姫野和樹 RL 5 ジェームス・ムーア LL 4 トンプソンルーク 64分 TP 3 具智元 54分 HK 2 堀江翔太 LP 1 稲垣啓太 64分 控えメンバー HK 16 坂手淳史 PR 17 中島イシレリ 64分 PR 18 ヴァルアサエリ愛 54分 LK 19 ヴィンピー・ファンデルヴァルト 64分 FL 20 リーチマイケル 31分 SH 21 田中史朗 57分 FH 22 松田力也 WG 23 福岡堅樹 50分 コーチ ジェイミー・ジョセフ FB 15 ロブ・カーニー 68分 RW 14 キース・アールズ OC 13 ギャリー・リングローズ IC 12 クリス・ファレル 61分 LW 11 ジェイコブ・ストックデイル FH 10 ジャック・カーティー 61分 SH 9 コナー・マレー N8 8 CJ・スタンダー OF 7 ジョシュ・ファンダーフリーアー BF 6 ピーター・オマホニー 55分 RL 5 ジェームズ・ライアン LL 4 イアン・ヘンダーソン 66分 TP 3 タイグ・ファーロング 61分 HK 2 ローリー・ベスト (c) 61分 LP 1 キアン・ヒーリー 46分 控えメンバー HK 16 ショーン・クローニン 61分 PR 17 デイヴ・キルコイン 46分 PR 18 アンドリュー・ポーター 61分 LK 19 タイグ・バーン 66分 FL 20 リース・ラドック 53分 SH 21 ルーク・マクグラス 66分 FH 22 ジョーイ・カーベリー 61分 FB 23 ジョーダン・ラーマー 61分 コーチ ジョー・シュミット プレイヤー・オブ・ザ・マッチ堀江翔太 (日本) アシスタントレフェリージェローム・ガルセス (France)マシュー・カーリー (England)テレビジョン・マッチ・オフィシャル:ベン・スキーン (New Zealand) 備考 イアン・ヘンダーソンが、この試合で代表50キャップを達成した。 日本がアイルランドを初めて下した試合である。 アイルランドがワールドカップのプール戦で敗北したのは、30–15でアルゼンチン代表に敗北した2007年ラグビーワールドカップ以来となる。 アイルランドがティア2の国に敗北したのは、40–25でサモア代表に敗北した1996年の試合以来となる。 アイルランドは、試合後半にポイントを全く獲得できなかった。これは、2016年のシックス・ネイションズにおけるフランス代表戦以来となる。
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第2試合
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「2010 FIFAワールドカップ・アジア5次予選」の記事における「第2試合」の解説
第2試合はサウジアラビアのキング・ファハド国際スタジアムで開催された。前半12分にサウジアラビアがナシル・アルシャムラニのゴールで先制するも、前半40分にバーレーンがジェイシー・ジョンのゴールで追いつく。この段階で、2試合の合計得点では1 - 1で並んでいたものの、アウェーゴール数によりバーレーンが優位に立っていた。 しかし後半アディッショナルタイム1分、サウジアラビアのヤセル・アル・カフタニのクロスをハマド・アル=モンタシャリがヘディングで合わせ勝ち越し。これで2試合合計2 - 1となり、サウジアラビアが逆転勝利を掴んだかに見えた。ところが更に後半アディッショナルタイム3分、バーレーンのサルマーン・イーサのコーナーキックをイスマイール・アブドゥラティフがヘディングで合わせ、再度同点に。このゴールでバーレーンが再逆転し、大陸間プレーオフへの切符を掴んだ。 {{{team1}}} v {{{team2}}} 2009年9月9日22:15 UTC+3 サウジアラビア 2 - 2 バーレーン ナシル・アルシャムラニ 12分ハマド・アル=モンタシャリ 90+1分 レポート ジェイシー・ジョン 40分イスマイール・アブドゥラティフ 90+3分 キング・ファハド国際スタジアム( リヤド)観客数: 50,000人主審: ラフシャン・イルマトフ 試合終了後、バーレーン代表の監督・ミラン・マチャラは、「最初の同点ゴールによって、選手がよい精神状態で戦えた」と語っている。またサウジアラビア代表の監督・ジョセ・ペセイロ(英語)は、「前半に得点のチャンスが多くあったものの生かせなかった」と語っている。 なおこの試合の実況は、「バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件」という空耳動画でインターネット上で有名である。
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第2試合
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「1908年ロンドンオリンピックのポロ競技」の記事における「第2試合」の解説
第2試合は第1試合よりも明らかに一方的な試合となった。Roehamptonが第1ピリオドに2得点し、第2ピリオドにMillerが3点を加えた。アイルランドは試合終了直前に唯一のゴールを決めたが、そのときすでに8-0であった。 6月21日 GBR Roehampton 8 - 1 GBR アイルランド Hurlingham Grounds
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第2試合
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「1900年パリオリンピックのラグビー競技」の記事における「第2試合」の解説
10月28日 フランス 27–8 イギリスパリ、ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌ観客動員数: 6,000人審判: M.T.B. Potter Report イギリスは前半で得点することができず、フランスはドイツ戦の後半で経験した集中得点を続けた。Serradeは2回トライし、今大会の通算トライは5回になった。Joseph Olivier, Jean Collas, Jean-Guy Gauthierもそれぞれ1回トライを決めた。コンバージョンはなかったがAndré Rischmannが2度ペナルティを決め、合計21点となった。 後半にはイギリスは8-6でフランスより多く得点をしたが、追い付くチャンスはほとんどなかった。Joseph Wallisがトライを決め、J. Henry Birtlesがコンバージョンとペナルティを決めた。Reichelが大会2回目のトライを決め、Léon Binocheが1回トライを決めフランスが27-8で勝利した。 ロイターの報告によると、イギリスの選手たちは試合の日の朝にパリに到着したため、その敗北の原因はそれによる疲労が一部にあったと思われる。1万人のファンがこの試合を観戦した。
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第2試合
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第1試合終了から23分後の18時44分に第2試合が開始された。当時のパ・リーグは(9回で打ち切りとなるダブルヘッダー第1試合を除き)9回終了時点で同点の場合、最大12回までの延長戦を行うとしていたが、「試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了をもって打ち切り(ただし、8回完了前に4時間を経過した場合は、9回終了まで続行)」という規定もなされていた。 試合はロッテが2回裏に先頭打者ビル・マドロックの本塁打で1点を先制。しかし、試合中度々ストライクの判定をめぐって近鉄監督の仰木彬や(NPBの試合規定では審判への抗議を認めていない)近鉄ヘッドコーチの中西太がベンチから飛び出し抗議するなど、球場内に不穏な空気が漂いながら試合は進んでいった。愛甲によると、第1試合に4安打を放ちながら、第2試合が始まった直後(1回裏1死)に近鉄の先発投手・高柳出己の投じたシュートが左手首に当たって動けなくなった佐藤健一に対して、仰木が聞こえよがしに「痛かったら代われば?」と声を掛けたことが、ロッテ側の憤激につながったという。また、第2試合の球審を務めていた前川芳男は、「佐藤が相当痛がっていたので、(患部の)治療に時間が掛かった。そこへノコノコやってきた仰木が、『もっと早く(治療を)やれないか』と余計なことを言った。有藤は(佐藤を)心配して来ているので、『言わなきゃいいのに』と思った。現に有藤は、(自分が)制止する前に、ものすごい剣幕で『あんた(仰木)に言われる覚えはない。(第2試合は)絶対に負けないから』と言い返した。この一件が後々まで尾を引いた」と述懐している。 ロッテの先発の園川一美に5回まで2安打に抑えられていた近鉄は、6回表二死一・二塁からベン・オグリビーの適時打で同点に追いつく。続く7回表には、一死から吹石、二死から真喜志がいずれもソロ本塁打を放ち2点を勝ち越した。一方、ロッテも7回裏、先頭打者の岡部明一の本塁打、その後、近鉄が投手を高柳から吉井に交代すると、二死から西村徳文の適時打で同点に追いついた。 8回表、近鉄は一死からブライアントがソロ本塁打を放ち4対3とし再びリードを奪った。 近鉄は8回裏から第1試合に続いて阿波野を起用した。しかし、一死から高沢秀昭が阿波野の決め球スクリューボールを捉えて左越ソロ本塁打を放ち4対4の同点となった。打たれた阿波野はマウンド上で下を向いて膝に両手をついて体を支えていた状態で、その直後の試合展開の記憶がないという。捕手の山下のサインはストレートであったが、阿波野自身はストレートの調子が悪かったとこれを拒否していた。阿波野は「なぜ山下さんがサインを出してくれたストレートを……信じられなかったのか」と後悔したという。なお、高沢は後に「ストレートを待って右翼方向に打とうと準備していたところにスクリューボールがきて、バットがうまく返った」と述懐している。9回表、近鉄は二死後、大石が二塁打を放ち二死二塁とした。次打者新井の打球は三塁線を襲うも三塁手水上の好守に阻まれ無得点。テレビ朝日系列で急遽全国中継になり朝日放送(ABC)制作のテレビ中継で実況を担当していた安部憲幸(当時は同局のスポーツアナウンサー)が「止める!水上! This is プロ野球!! まさに、打ちも打ったり新井! よく止めた水上! 白熱のゲームが、好プレーを演出!」と絶叫したことによって、このシーンや「This is プロ野球!!」というフレーズが後年まで語り継がれるようになった。 9回裏、ロッテは先頭打者古川慎一が出塁。続く袴田の犠牲バントの打球を阿波野と梨田が一瞬譲り合い交錯、内野安打となり無死一・二塁となった。ここで阿波野は二塁へ牽制球を投じた。牽制球は高めに浮き、大石が三塁寄り方向にジャンプして捕球。その体勢のまま、二塁走者の古川と交錯しながら触球。二塁塁審の新屋晃は、「触球の際に古川の足が二塁から離れていた」としてアウトを宣告した。この判定に対して、古川が新屋に抗議。さらに、ロッテ監督の有藤通世がベンチを飛び出した後に、「大石が古川を故意に押し出した」として大石の走塁妨害を主張した。 大石は以上のプレーについて、現役引退後の取材で「古川の足がベースに着かないように、(古川への)タッチ(触球)と同時に(古川の身体)を押した」と認めながらも、「古川の足がベースに着いている状態で押したであれば『悪いプレー』(と思われてもやむを得ないの)だが、これだけの大一番で(新屋に)誤審して欲しくなかったので、足がベースに着いていないことを確かめたうえで(念のために)押した。これが事実」と明言。自分の近くで展開された有藤の抗議については、「(自分が古川の身体を)押そうが押そまいが、(古川の)足がベースに着いていないのだからアウト(に変わりはない)。実際には押したことがはっきりしているので、抗議に出るのは仕方がないとしても、『早く(ベンチに)帰ってくれ』『ベースに着いていないことを審判も(有藤に)はっきりと説明してくれ』とは思った」と語っている。 有藤が審判団への抗議を始めた時点で、試合時間は3時間30分を過ぎていた。近鉄ベンチから仰木が飛び出し有藤に迫り、客席からも罵声や怒号が飛び交うなど騒然とする中、有藤の抗議は9分間に及んだ。仰木は、自著『燃えて勝つ』で有藤の抗議を「信義に悖るものだった」と振り返っている。対する有藤は、後年のインタビューで、前述した佐藤の死球が抗議の伏線になったことを繰り返し明言。「仰木監督が佐藤に謝るどころか、『もう休め』と言ったことがきっかけで、仰木の人間性を疑った」と語っている。栗橋茂も近鉄のヤジがロッテを怒らせた要因の一つだと後年振り返っている。結局判定は覆らず一死一塁から試合再開となる。その後ロッテは西村の二塁打などで二死満塁としたが、愛甲が打った詰まった飛球を、左翼手の淡口憲治が地面スレスレで好捕し、勝負は延長戦に突入した。 延長10回表、この回先頭のブライアントの二塁ゴロを捕った西村の送球を、ベースカバーの投手の関清和が後逸し出塁を許す。近鉄は代走に安達俊也を送る。続くオグリビーは三振で一死。羽田耕一の打球を、二塁手の西村が捕球。そのまま二塁を踏み、一塁へ送球、併殺打で三死となり、近鉄の攻撃は終了した。 西村のこの時のプレーについて、仰木は「西村が定位置で守っていたら羽田の打球は中前に抜けていただろうが、西村が二塁ベースよりに守っていた」と振り返っている。また、実況を担当した安部は、西村から聞いた話として「西村は、西武よりできれば近鉄に優勝させたいとこの試合のテレビ放送のいう心境になり、羽田は右狙いだと読んで、予め二塁近くで守っていたが、結果として打球がそこに来たと言っている」旨を述べている(安部)。この時、時刻は22時41分、試合開始から3時間57分が経過していた。次の延長イニングがなくなる4時間までの残り3分で10回裏のロッテの攻撃を終わらせることは事実上不可能であったが、近鉄ナインは10回裏の守りに就いた。マウンドに上がった加藤哲郎は投球練習を省略し、少しでも試合を早く進めようとしたが及ぶべくもなく、22時44分、西武の4年連続リーグ優勝が正式に決まる。先頭の丸山は四球、代走に伊藤が送られた。続くマドロックは捕邪飛に倒れた。次打者岡部に対して近鉄は投手を木下文信に交代、ロッテは代打に斉藤巧を送る。そして木下が斉藤と最後の打者古川を三振に討ち取り4-4の同点のまま22時56分、時間切れ引き分けで試合は終了した。仰木は最後までベンチ中央に仁王立ちして指揮を執った。このイニングは「悲劇の10回裏」と称された。 試合終了後、仰木をはじめ、近鉄ナインはグラウンドに出て整列し、三塁側とレフトスタンドに陣取ったファンへ頭を下げ、挨拶を行った。そのナインの姿に観客席で観戦していた上山善紀球団オーナー代行は立ち上がって拍手を送り、ファンからは「よくやった」「ご苦労さん」などの温かい声がかけられた。試合時間は4時間12分。第1試合の3時間21分との合計7時間33分は、ダブルヘッダーの試合時間としては、当時のNPB史上歴代2位の長時間試合となった。 チーム12345678910RHE近鉄 0 0 0 0 0 1 2 1 0 0 49 0 ロッテ 0 1 0 0 0 0 2 1 0 0 411 2 (延長10回・時間切れ引き分け) 近:高柳(6回)、吉井(1回)、阿波野(2回)、加藤哲(0回1/3)、木下(0回2/3) ロ:園川(7回2/3)、荘(0回1/3)、仁科(0回2/3)、関(1回1/3) 本塁打近:吹石2号ソロ(7回・園川)、真喜志3号ソロ(7回・園川)、ブライアント34号ソロ(8回・園川)ロ:マドロック17号ソロ(2回・高柳)、岡部11号ソロ(7回・高柳)、高沢14号ソロ(8回・阿波野) 審判球審:前川塁審:高木・新屋・五十嵐外審:小林一・小林晋 試合時間:4時間12分 近鉄打順守備選手1 [二] 大石第二朗 2 [中]左中 新井宏昌 3 [左]右 R.ブライアント 走 安達俊也 左 加藤正樹 4 [指] B.オグリビー 5 [一] 羽田耕一 6 [右] 鈴木貴久 中 佐藤純一 打中 村上隆行 打左右 淡口憲治 7 [三] 吹石徳一 8 [捕] 山下和彦 打 栗橋茂 捕 梨田昌孝 9 [遊] 真喜志康永 ロッテ打順守備選手1 [二] 西村徳文 2 [三]遊 佐藤健一 3 [一] 愛甲猛 4 [中] 高沢秀昭 打 丸山一仁 走 伊藤史生 5 [指] B.マドロック 6 [右] 岡部明一 打 斉藤巧 7 [左] 古川慎一 8 [捕] 袴田英利 9 [遊] 森田芳彦 打 上川誠二 三 水上善雄 最終順位(西武と近鉄のゲーム差は0、西武が勝率差で優勝) 西武 73勝51敗6分 勝率.589(.5887) 近鉄 74勝52敗4分 勝率.587(.5873) 最終順位は1位西武、2位近鉄。最終ゲーム差0.0、勝率差は僅かに.002(一厘未満四捨五入。正確には.0014)だった。監督就任1年目にして10.19を演出した仰木は「悔しいが、これだけの粘りを見せた集団と一緒にやれた幸せをしみじみと感じる」「こんな立派な試合ができて、私自身も感動したし、ファンの方にも感動を与えることができたのでは。残念だけれど悔いはない」とコメントを残している。 近鉄関係者は、宿舎である東京都港区内のホテルに戻るときも裏方も含めて泣いており、祝勝会の準備がなされていたホテルの宴会場で、佐伯勇オーナーも顔を出して「残念会」を行った。骨折で戦列を離れていた金村義明は「みんな、すみませんでした」と土下座して見せた。またこの試合を最後に退団したオグリビーは、トイレで人目をはばかりながら涙を流していた。仰木は10.19の時のチーム一体感について、自著『燃えて勝つ』でも振り返っている。この試合に出場した近鉄の選手達が現役引退する際、「選手生活で一番印象に残る思い出は」という質問に対して、ほぼ全員が「10.19のダブルヘッダー」と答えている。 この後、時間制限や引き分け制度への懐疑論が相次ぎ、パ・リーグでは4時間の時間制限が撤廃された。セ・リーグは1990年から延長15回引き分け再試合制を導入したが、2001年から延長は12回として引き分けを復活させた。その後、2011年〜2012年に東日本大震災による電力供給不足へ対応するための特別ルールとして、セ・パ共に時間制限が再導入されたこともあった。
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