第2計画案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 03:43 UTC 版)
しかし、当時のハプスブルク宮廷の苦しい財政事情では第1案のように壮大な宮殿を建設することは現実的に困難だったため、計画は大幅に縮小されて、遥かに簡素な第2案が設計し直された。 第2案は、宮殿を丘陵に建設するのは諦めてその下に建設し、主建築に両翼をつけるというものだったが、それも直ちには実現されなかった。マリア・テレジア治世下の1750年頃、エルラッハの第2案を骨子として、ニコラウス・フォン・パカッシー(ドイツ語版)によって完成された。 外壁は金を塗る計画であったが、マリア・テレジアが財政状況を考慮し、黄金に近い黄色にした[要出典]。これを「テレジア・イエロー」という[要出典]。
※この「第2計画案」の解説は、「シェーンブルン宮殿」の解説の一部です。
「第2計画案」を含む「シェーンブルン宮殿」の記事については、「シェーンブルン宮殿」の概要を参照ください。
- 第2計画案のページへのリンク