平日朝子供向け番組戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:13 UTC 版)
日本最初の視聴率戦争 この視聴率争いは、日本のテレビ番組史上初めての裏番組間に於ける本格的な視聴率争いとなり、前述の「土曜夜戦争」が開始されるまでの間は、この視聴率争いが日本のテレビ史上最大規模の視聴率競争であった。ただし、そのほとんどの期間が一部時間帯のみでの視聴率争いであり、また後述するが、途中2度の休戦期間が存在する。1965年11月より、日本テレビで朝の子供向け番組『おはよう!こどもショー』(以下『こどもショー』)が月曜日 - 土曜日の間で放送を開始し、開始からわずか1か月で10%の視聴率を記録した人気番組(当時は生放送であった)となったが、続いて翌1966年10月にはフジテレビで『ママとあそぼう!ピンポンパン』(以下『ピンポンパン』)が放送を開始した(『こどもショー』と異なり、当時は平日のみ放送)。『ピンポンパン』放送開始当時は両番組の間で放送時間が重複していなかったが、2年後の1968年4月に『ピンポンパン』が番組枠を5分拡大して45分番組になると同時に放送時間を8:00 - 8:45となり、一部時間帯で『こどもショー』と重複したことで視聴率争いが始まった。しかし、『ピンポンパン』の番組開始当時は後発だったこともあり、視聴率が3%程度に留まり、当時は人気番組だった『こどもショー』の牙城を打ち崩せない状態が、しばらくの間続いていた。 『こどもショー』は翌1969年4月に放送時間を15分拡大して全曜日で7:15 - 8:30の1時間15分の番組となり、『ピンポンパン』と重複する時間が15分から30分に拡大するも、この頃より番組が徐々に認知され始めた『ピンポンパン』に視聴者が移行したことと、生放送からVTR放送に移行したことで新鮮さが失われた部分が出たことで、『こどもショー』は重複時間帯に入った時間以降の視聴率に陰りが見え始めた。対する『ピンポンパン』は同じ1969年4月に平日と同じ8:00 - 8:45の放送時間帯で土曜日版も放送するようになり、重複時間帯のみとはいえ、視聴率争いは徐々に激化するようになった。 しかしながら、同年10月に『こどもショー』が番組編成の都合上で7:15 - 8:00に放送時間を縮小したことで一旦は『ピンポンパン』との放送時間帯の重複が解消され、視聴率争いは一旦休戦状態となった。 この間『ピンポンパン』は1970年4月に全曜日で放送時間を8:10 - 8:55に移動するも、1971年10月に再度全曜日で放送時間を元に戻し、お姉さん役も渡辺直子から石毛恭子に変更したが、放送時間を元に戻したと同時に体操コーナーの「ピンポンパン体操」が開始され、これが空前の大ヒットとなり、視聴率が一気に8%を超える日も出るなど、番組を代表するコーナーとなった。対する『こどもショー』は、1970年10月に満を持して日曜版を7:15 - 7:55の40分番組として放送するようになり、1971年4月にはその日曜版を5分拡大して7:15 - 8:00の45分番組となったが、視聴率の伸び悩みを解消するまでには行かなかった(一方の『ピンポンパン』は日曜版の放送は行わなかった)。しかし同年6月より日曜版を子供視聴者参加型歌合戦「コンちゃんのトンカチうたじまん」(司会 - 大村崑、石川牧子(当時局アナ)、審査委員長 - 山下毅雄)に変更し、1975年3月まで続く人気企画となった。 ところが1972年1月に、『こどもショー』が7:25 - 8:15に放送時間帯を移動したことで再び『ピンポンパン』と一部時間帯(8:00 - 8:15)で重複することとなり、重複時間帯における両番組間での視聴率争いが再開する。そこで日本テレビでは、「ピンポンパン体操」の大ヒットで危機感を持ったこともあり、『ピンポンパン』への視聴者流出対策として、『こどもショー』の大幅なテコ入れを実施することとなり、同年4月24日の放送より司会者を楠トシエ・石川進(1日交代)から鶴間エリに(同時に司会役の女性を『ピンポンパン』同様「お姉さん」と命名する)、マスコットをロバくん(声 - 愛川欽也→富山敬)からオットくん(声 - 雷門ケン坊)にそれぞれ変更し、番組内容も一部コーナーを廃止してその空いた枠に体操コーナーの「へんしんたいそう」や特撮コーナードラマ(通称・『怪獣コーナー』)を導入した。このコーナーは『レッドマン』を皮切りに、以後も『行け!ゴッドマン』、『行け!グリーンマン』、『行け!牛若小太郎』とシリーズ化され、1975年4月まで続いた。これらのコーナーがかなりの好評となり、テコ入れに成功した『こどもショー』は、同年3月の視聴率は3%台(同時期の『ピンポンパン』の視聴率は7〜8%)だったのに対して、7%台に急速に回復するなどの効果が表れた。一方の『ピンポンパン』は引き続き「ピンポンパン体操」など、一部のコーナーは引き続き大好評だったものの、重複時間帯で視聴率を落とすこととなった。 その2年後の1974年4月、『こどもショー』は放送時間を7:00 - 7:45に移動して5分短縮、『ピンポンパン』も8:00 - 8:40にして『こどもショー』と同じく5分短縮したため、重複する時間が解消。重複時間帯での視聴率争いは再び休戦となった。しかしこの時期の『こどもショー』は頻繁に出演者を変更、1973年11月にはお姉さん役を海老名美どり、マスコットをニャンダ(声 - 海野かつを)にしたものの、その海老名が体操のお兄さん役の峰竜太と結婚したことで降板となり、1975年からはお姉さん役を関谷ますみに変更した(ニャンダは継続)。 1975年10月、フジテレビは同じく子供向け番組である『ひらけ!ポンキッキ』(以下『ポンキッキ』)の放送時間帯が昼から朝に移動し、『ピンポンパン』の次の番組として8:15 - 8:45の枠で放送するようになり、その影響を受けて『ピンポンパン』は、平日に限り、7:45 - 8:15に放送時間を移動した(土曜日版も8:00 - 8:30に放送時間を縮小)が、開始から3年を経過していても「ピンポンパン体操」が依然として人気であり、また同年4月より子役男性グループのビッグ・マンモスをレギュラー陣に加え、お姉さん役も酒井ゆきえを起用するなど、著しい勢いで人気上昇していた『ピンポンパン』の視聴者が、『ポンキッキ』も引き続き視聴すると言う効果を生んだ。その『ポンキッキ』では、ガチャピンとムックの斬新なキャラクターや、番組内から生まれた楽曲「およげ!たいやきくん」がシングルレコード売上450万枚を超える空前の大ヒットとなり、話題となった。なお、『ポンキッキ』は土曜日の放送は行わなかった。対して、『こどもショー』の放送時間は、この時点では従来通り7:00 - 7:45のままであったので、2番組と重複する時間帯は引き続きなかったままであったが、その『こどもショー』は同時期に内容を大幅に変更した。平日は2部に分け、2部は今までの「こどもショー」としたが、1部は「トンカチうたじまん」の後継である「こどものどじまん」の曜日別戦、そして土曜は「こどものどじまん」のチャンピオン大会、日曜は観客である子供から参加者を募って歌わせる「こどものどじまん とびいりのどじまん大会」に変更、これに伴い「のどじまん」の司会は大村崑・石川アナから横山やすし・西川きよし(後に青空球児・好児)、審査委員長は谷啓(後にハナ肇)にそれぞれ変更した。また1年後の1976年9月には日曜版を変更、番組で結成した少年野球チーム「おはよう!こどもショー モーニングス」が全国各地の少年野球チームとの試合を中継する「スポーツ・スペシャル 小学生野球大会」(実況 - 志生野温夫、解説 - 須藤豊)となった。また、『ピンポンパン』のビッグ・マンモスに対抗して、『こどもショー』では男性アイドルグループのJOHNNYS' ジュニア・スペシャルを起用するようになって巻き返しを図った。 その後、1977年4月に『ピンポンパン』が7:30 - 8:00に放送時間を10分縮小するも15分繰り上げ、『ポンキッキ』も8:00 - 8:30に連動する形で移動したが、同時に『こどもショー』も平日・土曜日版を7:45 - 8:25に移動した(日曜日版は7:00 - 7:45で不変)ことで、日本テレビの『こどもショー』の放送時間帯が、フジテレビの2番組のそれと全時間帯で重複することとなり、ここに『ピンポンパン』と『ポンキッキ』VS『こどもショー』の視聴率争いがまたも始まることとなり、しかもその視聴率争いはこれまでよりも大きいものとなった。 『ポンキッキ』の時間移動効果もあり、フジテレビの2番組に視聴者が移行したことで急速に視聴率が激減した『こどもショー』側では、フジテレビに対抗する形で、1975年より1977年にかけてコーナーのリニューアル短期間のうちに幾度か実施し、古くなったコーナーを廃止したりする反面、新たに番組のオリジナルソングを制定した上で、その楽曲を歌うコーナーなどを新設したり、ピンク・レディーの小学生版との触れ込みで、当時双子の女子小学生歌手であり、後にチャイドルと言われるようになる低年齢アイドルの先駆けとなったリトル・ピンクを同年6月27日放送分よりレギュラーで起用するなどのテコ入れを図ったものの、ガチャピンとムックの人気キャラクターや人気楽曲を徐々に輩出するようになる『ポンキッキ』と、人気を引き続き維持していた『ピンポンパン』の前には、もはやチャイドルの起用だけでは視聴率向上の方策としては旨味に欠ける状況となり、『こどもショー』は次第に歯が立たなくなるようになった。またこの時期になると、『こどもショー』の出演者も、ディスクジョッキーで人気が出たつボイノリオや、男性アイドル歌手の太川陽介が出るようになり、お姉さん役も同年10月より関谷に代わってデビュー間もない女性アイドル歌手の大場久美子へと交代し、「けでんと17号」のコーナーの主役として出演するようになったが、人気アイドル歌手へのお姉さん役の交代も功を奏さず、また短期間で何度もテコ入れを繰り返して迷走状態になったこともあり、視聴率の低下に拍車が掛かった。 『こどもショー』に追い打ちをかけるように、『ピンポンパン』は「にっこり町」を舞台にしたコメディのコーナーをメインに据えるようになり、『ポンキッキ』も徐々にではあるが、歌以外のミニコーナーも充実させるようになった。この当時の『ポンキッキ』は『ピンポンパン』より視聴者が少なかったとはいえ、5%台の視聴率で推移した。それどころか『こどもショー』は、1978年4月より放送時間をフジテレビの2番組と全く同じ7:30 - 8:30となり、完全に競合してしまう。一方の『ピンポンパン』は同じく1978年4月より土曜日版の放送時間を平日と同じ7:30 - 8:00とし、さらなる攻勢を掛けてきたことで、平日版を含めて、この時間帯の『こどもショー』の視聴率をフジテレビの2番組はおろか、他のキー局の番組のそれにすら届かずに、キー局最下位にまで転落してしまう事態となった。 この時、人気が著しく落ちたものの、一部の親子での視聴者からはまだ支持されていた『こどもショー』に対して、再リニューアルも多数要望されていたが、上記の視聴率最下位にまで没落したことや、他のジャンルの番組との編成バランスの関連や、当時の日本テレビでは『こどもショー』以外の子供向け番組の縮小を実行に移していた事情などもあり、再リニューアルを見送り、終了することとした。平成以降であれば子供番組を夕方への放送時間枠の移動が検討されることもあるが、当時においては夕方の時間帯は『ピンポンパン』の再放送を例外とすれば、あったとしても子供向けの番組はアニメ及び特撮以外はあまり存在していなかったことや、当時の夕方の枠では1時間番組が編成しにくかったこともあり、見送られた。 『こどもショー』は、フジテレビの2番組に敗れる形で、まず1979年3月2日に平日版を終了。最終日は14年間の総集編を放送した。次番組は子供向け番組から一転して大人向けの情報番組『ズームイン!!朝!』(以下『ズームイン』)となった。同年の翌3月3日には、土曜日版は日曜日版と同じ7:00 - 7:45に移動したものの、コーナーは「おはよう!のどじまん」程度しか設けられず、日曜日版も「小学生野球大会」を放送する程度までに整理されたことで、これらの版でも著しく視聴率が落ち、遂に1980年、『こどもショー』は番組を終了した。 平日版終了後も、日曜版のみ『おはよう!サンデー』が『こどもショー』の後継番組となったが、これもコーナー縮小の後、1987年に終了する。それと入れ替わるように、夕方に『とんでけグッチョンパ』を放送していたが、これも大きな人気を得るまでには至らず1988年9月で終了して、日本テレビは子供向け番組より一時撤退した。 1988年10月以降は放送枠(月曜17:00)の後継番組『それいけ!アンパンマン』(以下『アンパンマン』)がアニメとして、途中何度も放送曜日や時間を変更しながら、撤退した子供向け番組枠を実質的に継承することになる。その後、2002年7月から、毎週金曜夕方に人気女性アイドルグループのモーニング娘。や、その妹分にあたるハロー!プロジェクト所属の女性アイドルを起用した『ティンティンTOWN!』を開始して子供向け番組に再参入し、2004年3月まで放送された。なお、『ティンティンTOWN!』の放送時間は『アンパンマン』の直前枠であり、連結放送されていた。同番組が終了して再度子供向け番組より撤退した。 これらの他、1973年4月にはNETテレビ→テレビ朝日でも、日本テレビ系列からテレビ朝日系列に移動して間もない名古屋放送(現:名古屋テレビ)が制作した『ブンブンバンバン』を放送、珍しく地方局制作の子供番組で『こどもショー』・『ピンポンパン』と三つ巴の戦いになるも壁は厚く、2年で終了。また『ブンブンバンバン』と同時期に『あそびましょパンポロリン』を日曜日のみの放送にしたが、NETが1974年4月より教育専門局から一般局に変更されるのに先駆け、1973年10月より平日10時台に変更、その後は『とべとべパンポロリン』に改題したり、枠を10時台や16時台などに変えていたが、1975年10月より8:01 - 8:30に変更、『こどもショー』や『ピンポンパン』・『ポンキッキ』と2度目の三つ巴となったが、わずか半年で『とびだせ!パンポロリン』に改題して10時台や16時台で放送、その後1978年4月より2年振りに8:00 - 8:30に戻り、お姉さん役も『あそびましょ』時代からの山田美也子から竹田芳子に交代して、三度三つ巴(今度は『ピンポンパン』は関わらず)となるも、壁の厚さとお姉さんの交代がうまくいかず、またも半年で16時台に移動、同時にお姉さん役もアニソン歌手・かおりくみこに変更、1980年まで続いた。 1977年4月から2年間の直接対決では団塊ジュニア(1971年 - 1974年生)世代が幼児であり、『こどもショー』より対象年齢の低いフジテレビの勝利となったが、『ピンポンパン』『ポンキッキ』の天下は短く、団塊ジュニア世代が小学校に進学すると視聴率が右肩下がりとなり、1979年4月に開始された『おはようスタジオ』(東京12チャンネル→テレビ東京)が『ピンポンパン』『ポンキッキ』と『ズームイン』の間の世代(小中学生)を取り込んで健闘する。『ピンポンパン』は1980年3月に土曜版を終了、1981年末には同番組の人気キャラクターであったカータン(声 - 大竹宏)を卒業させ、翌1982年1月から、バビちゃん(声 - あきやまるな)に交代させるも、人気を得るまでには至らず、同年3月『ピンポンパン』は15年半の歴史に幕を閉じ、1982年4月から1988年3月までの7:30 - 8:00はアニメの再放送枠となる。一方の『ポンキッキ』は幼児向けの番組制作費やスポンサーを集約させることで少子化を乗り切る長寿番組となり、1993年10月『ポンキッキーズ』にリニューアルした。『ポンキッキーズ』は放送時間やタイトルの変更の繰り返しや、1999年10月より、月〜金の帯番組から毎週土曜日の週一放送に縮小はあったものの、地上波放送は2007年3月まで続いた(同年4月以降はBSフジへ移行)。1992年10月には、CGを多用した異色の子供番組『ウゴウゴルーガ』を開始、10年半振りに子供番組2体制に戻るも、1年半でこの番組は終了した。 平日朝子供向け番組 放送時間の変遷 フジテレビ:『ピンポンパン』、『ポンキッキ』 日本テレビ:『こどもショー』、『カリキュラマシーン』 昭和おはスタ:『おはようスタジオ』(東京12チャンネル→テレビ東京) 年月フジテレビ日本テレビ重複備考1966.10 08:15 - 08:55 07:15 - 08:15 なし 『ピンポンパン』開始 1968.04 08:00 - 08:45 15分 1969.04 07:15 - 08:30 30分 1969.10 07:15 - 08:00 なし 1970.04 08:10 - 08:55 1971.10 08:00 - 08:45 1972.01 07:25 - 08:15 15分 1974.04 08:00 - 08:40 07:00 - 08:00 なし 『カリキュラ』開始 1975.10 07:45 - 08:45 15分 『ポンキッキ』朝枠開始 1977.04 07:30 - 08:30 07:30 - 08:25 55分 1978.04 07:30 - 08:30 60分 1979.03 平日版終了 なし 『ズームイン』開始 年月フジテレビ昭和おはスタ重複備考1979.04 07:30 - 08:30 07:30 - 08:30 60分 1981.04 07:05 - 08:05 35分 1982.04 08:00 - 08:30 05分 『ピンポンパン』終了 1984.04 07:00 - 07:54 なし 1985.04 07:15 - 08:00 1986.04 07:25 - 08:15 15分 1986.07 番組終了 なし テレ東はアニメ枠に
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