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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 06:58 UTC 版)
1950年、彼はマックス・レヴォルの一座レ・ブルレスク・ド・パリのピアニスト兼役者であった。サシャ・ギトリによって『La Poison(毒) (1951)』、『Je l'ai été trois fois(私はそこに3度いた) (1952)』、『パリもし語りなば Si Paris nous était conté (1955)』といった映画で様々な端役の仕事を与えられ、また特に『La Vie d'un honnête homme(正直者の生涯)』 (1953)では「へつらってずる賢く悪巧みをしていそうな」味のある召使いを演じた。この映画で彼の個性は洗練されていき、「しかめ面も付け髭も無く自然に」そうした役どころを演じた。また、後に多くの映画でド・フュネスの夫人役を務めるクロード・ジェンサックと初めて共演した。1952年、ロベール・デリーとの出会いが二人を大きく変化させたにもかかわらず、彼の一座ブランキニョルに参加した。また評論誌『ブブート・エ・セレクション Bouboute et Sélection』にデビューする。 1952年、父はフェドーの『La Puce à l'oreille(耳の中の蚤)』を演じた。・・・公演の終わりに彼は小さなヴェルネ劇場の舞台の上を走り回り、それがブブート・エ・セレクション誌のスケッチに載った。それから彼はメトロに乗り、浮浪者を演じるキャバレーに向かった。--オリヴィエ・ド・フュネス Aknin 2005, p. 44 それから1953年に、ド・フュネスは『Ah ! les belles bacchantes(ああ!美しい口ひげ)』で主役を演じた。この公演は大成功し2年に渡って公演され、彼の名を一躍有名にした。喜劇に特化した一座に参加した経験から、彼の技術は磨かれていた。その翌年に掛けては、Jean Loubignac, やJean Drévilleの『バルテルミーの大虐殺 La Reine Margot(女王マルゴ)』といった最初期のカラー映画に出演した。同じ年、ジャン・ルビニャックの『Le Mouton à cinq pattes(5本脚の羊)』でフェルナンデルと共演し、またジル・グランディエの『Poisson d’avril(エイプリルフール)』でブールヴィルと初共演した。先に『Sans laisser d'adresse(書き残されなかった住所)』 (1951) および 『Agence matrimoniale(結婚紹介所)』 (1952)に端役で出演していたJean-Paul Le Chanois監督からは、『Papa, maman, la bonne et moi (パパ、ママ、良い娘と僕)』 (1954) とその続編『Papa, maman, ma femme et moi (パパ、ママ、妻と僕)』 (1956)で準主役のM. Calomel役を与えられた。1954年から数えて18本以上の映画で、彼は準主役だけを与えられ続けた。 1956年、クロード・オータン=ララClaude Autant-Lara監督の『パリ横断 La Traversée de Paris』で食料品店員ジャンビエJambier役を演じた彼は広く知られる事となった。ジャン・ギャバンおよびブールヴィルと共演した。強いギャバンの前では弱々しく、繊細なブールヴィルの前では怒りっぽく演じ、対等に張り合う姿は、のちの彼の個性を予見させた。今日ではカルト映画と見なされているにもかかわらず、彼はその「両面感情による絶え間ない演説」によって人々に記憶されている。その翌年からは、モーリス・ルガメイが『Comme un cheveu sur la soupe (スープに浮かぶ髪の毛のように)』で彼をメインキャストに抜擢した。この自殺する作曲家の役で、彼は最初の賞となる1957年の喜劇俳優大賞を獲得し、「滅多に見かけない気取りの無い役柄で、この映画に長期興行をもたらした」との評を得た。同じく1957年、Yves Robertの『Ni vu, ni connu(見た事も聞いた事も無い)』で主役の密猟者ブレローBlaireau役に抜擢される。フスという犬を連れた農村のお調子者の彼は、密漁監視人から常に逃げることをやめ、心変わりして彼らに立ち向かう。映画は素晴らしい成功を収め、週刊誌『フランス日曜日 France Dimanche』の1957年第20号の見出しに次のように書かれた。 「ルイ・ド・フュネス、フランスで最も滑稽な俳優」--France Dimanche, Jelot-Blanc 1993, p. 109 また1958年にはAndré Hunebelleの『Taxi, Roulotte et Corrida』のスペイン公開では254万2千人もの集客を数えた。しかしながら、ここで彼の成功は一旦足止めとなり、暫くの間は余り重要ではない役ばかりを演ずるようになる。
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