人気低迷とカムバック
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しかし、人気に伴う多忙さから体調を崩しがちになり、当時芸能界で蔓延していたヒロポンにも手を出すようになって、人気に陰りがみえ始める。 1954年(昭和29年)には、デビュー以来専属だったキングレコードを辞めてフリー宣言(日本マーキュリーと本数契約を結んでいる)するも ヒット曲にめぐまれず、人気は低迷する。それでも妻や旧友・上原げんとの支えを受けて、1955年(昭和30年)にはコロムビアの専属となり、上原の作曲による「逢いたかったぜ」で再出発を果たす。 だが、間もなく過労のため再び病床に伏し、糖尿病から白内障を併発してしまう。1962年(昭和37年)に再度キングレコードの専属となる が、1965年(昭和40年)には上原げんとの急逝という不幸に見舞われる。 それでも舞台に立ちたい執念で、1968年(昭和43年)に放送を開始した歌番組『なつかしの歌声』(東京12チャンネル(現:テレビ東京))へ頻繁に出演し、往年のヒット曲を披露した。長年の闘病生活で、身体は痩せ往時の美声も失われるなど悲壮な姿だったが、ファンの声援を受け、彼もそれを支えに最晩年まで歌い続けた。最後のステージは文京公会堂で収録され、昭和45年3月30日に放送された。そのステージでは上海の花売娘を歌った。
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