人気作家に
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1972年4月、長編第3作『たった一人の反乱』を刊行し話題となる。12月、同作品で第8回谷崎潤一郎賞受賞。以後ほぼ10年に1作のペースで長編小説を刊行する。1973年4月、評論『後鳥羽院』を刊行し翌年読売文学賞受賞。これ以降の著作は歴史的仮名遣いを使用。1975年、「四畳半襖の下張事件」において、被告人野坂昭如の特別弁護人として出廷。1978年から日本文藝家協会理事、日本近代文学館理事。 ジョイス生誕100年の1982年にダブリンなどを旅行、8月に長編第4作『裏声で歌へ君が代』刊行。1984年4月から10月まで、東京大学文学部講師をつとめる。1985年、評論『忠臣蔵とは何か』を発表し、忠臣蔵における御霊信仰とカーニバル性について国文学者、諏訪春雄と論争を行う。同作品はこの年の野間文芸賞を受賞した。1988年、『樹影譚』で川端康成文学賞受賞。1991年、種田山頭火を扱った『横しぐれ』の英訳(デニス・キーン訳、『RAIN IN THE WIND』)がイギリスのインディペンデント外国小説賞特別賞受賞。 1993年1月、長編第5作『女ざかり』を刊行、ベストセラーとなる。翌年には吉永小百合主演で映画化。同年『紅葉全集』の編集委員の1人となる。1995年、鶴岡市名誉市民に推戴される。1998年、日本芸術院会員に選出。1999年、評論『新々百人一首』が刊行し翌年に大佛次郎賞受賞。 2003年11月、長編第6作『輝く日の宮』が第31回泉鏡花文学賞を受賞。2004年1月、2003年度朝日賞を受賞。2006年10月27日、文化功労者に選ばれる。2010年2月、ジェイムズ・ジョイスの『若い藝術家の肖像(改訳版)』が読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞。また2010年2月に胆嚢癌の手術を受け、退院後から翌年にかけて、最後の長編小説となった『持ち重りのする薔薇の花』を執筆。その後はクリムト論の執筆を進めていた。また「中村真一郎の会」の会長も務める。2011年に文化勲章を受章し、11月3日の皇居での授与の際、5人の受章者のうち最年長だったため、最初に勲章を受け取り「お礼言上」する役を勤めたが、その際に用意された文面を自分流に改稿して読み上げた。 2012年7月17日、山形県の名誉県民の称号が贈られる。2012年8月には「歴代の担当編集者を招く会」を開催。10月8日の桐朋学園音楽科60周年記念コンサートの祝賀会挨拶を控えた前日の10月7日、体調を崩し入院、同月13日に心不全のため東京都内の病院で死去。87歳没。夫婦のお墓は鎌倉霊園にあり、墓碑銘は岡野弘彦が生前に依頼されていた「玩亭墓」で、碑の裏には夫婦の略歴と「ぱさぱさと 股間につかふ 扇かな」(大岡信『新 折々の歌』所収)の句がある。没後『文藝春秋』12月号に小説「茶色い戦争ありました」が発表された。 叔母にデザイナーの笹原紀代がいる。野球が好きで、プロ野球は大洋ホエールズ時代からの横浜ベイスターズファンであった。
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