人気作家としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 人気作家としての意味・解説 

人気作家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:00 UTC 版)

中上健次」の記事における「人気作家として」の解説

1976年『岬』の続編として、自身初の長編小説代表作となる『枯木灘』を上梓する。本作は『岬』の土着的世界に、父と子対決という構図前面出してオイディプス的な神話的相貌与え、また雑賀孫一伝説取り入れ歴史的な重層性を持たせることで、格段にスケール大きくした作品で、高い評価獲得した同作品で毎日出版文化賞芸術選奨新人賞受賞する1977年紀伊半島全域旅して巡るドキュメント紀州 木の国根の国物語』を『朝日ジャーナル』に連載する。この旅行作家にとって自らの文学背景である紀州熊野というトポス再発見する機会であった以後路地」や紀伊半島舞台として実母モデルにした小説で、『岬』の前日譚にあたる『鳳仙花』(1980年)や、「淫蕩歌舞音曲好きの澱んだ血」筋により愉楽満ちた生を送り一方で引き換え早死に宿命づけられた、高貴な血を引く若者たち短い生涯描いた短編連作千年の愉楽』 (1982年)と長編奇蹟』(1989年)などを発表していく。 『枯木灘』の続編にあたる『地の果て 至上の時』(1983年)では地区改良事業による「路地」の消滅主題とされ、その後長編日輪の翼』(1984年)『讃歌』(1990年においては路地消滅後故郷捨てて流浪する若者の姿が描かれた。 中上単なる純文学作家であることにとどまらず文化的な寵児となった人的な交流幅広く作家批評家以外にも、文化人(例:坂本龍一唐十郎など)、芸能人(例:都はるみビートたけし宇崎竜童など)、学者(例:阿部謹也中村雄二郎上野千鶴子など)らと時代世相思潮文化、歴史など多岐ジャンルにわたる対談座談数多く行った。それらのほとんどはのちに発言集対談集に編纂されている。 中上文学高く評価した批評家である柄谷行人蓮實重彦交流 があったこともあり、1980年代流行した思潮であるニュー・アカデミズム大きな関心示し言及頻繁におこなっている。ニュー・アカデミズム属すとされる思想家山口昌男栗本慎一郎四方田犬彦 など)との活動対話おこなった1986年にはパリポンピドゥ・センター開かれた前衛日本 」展に柄谷行人蓮實重彦浅田彰参加しポスト構造主義思想家ジャック・デリダ公開対談をおこなっている。 文芸誌限らず若者向け週刊誌情報誌への連載旺盛おこなった1978年週刊プレイボーイ』誌 『RUSH』 、198485年BRUTUS』誌『野性火炎』、198485年平凡パンチ』誌『Heat Up』、1986年Hot-Dog PRESS』誌 『KENJI' S MAGICAL TOUR IN U.S.A.』 、199092年週刊SPA』誌『大洪水』)。 映画火まつり』(1985年) において、自作脚本映画化するとともにインタビュー本(『火の文学』)、原作小説(『火まつり』)を出版するというようなメディアミックス試みおこなったり 、荒木経惟(『物語ソウル1984年)、篠山紀信(『輪舞する、ソウル。』 1985年)といった人気写真家とのコラボレーション作品発表したりした。野外劇のための台本『かなかぬち ちちのみの 父はいまさず』を外波山文明のために書き下ろした本作1979年浅草稲村劇場での初演以降、場所を変えて何度も上演された。1986年には故郷熊野本宮大社の上が行われている。 多忙な執筆傍ら中上頻繁にアジアアメリカ、ヨーロッパ各地訪れたり、滞在したりしている。長期滞在主要なものは初の長期滞在となった単身でのニューヨークハーレム地区滞在1977年)、『鳳仙花執筆時の家族でのロサンゼルス滞在1979年) 、『地の果て至上の時』起筆時の単身ソウル汝矣島滞在1981年)、アイオワ大学のインターナショナル・ライターズ・プログラム客員研究員としてアイオワ滞在1982年) 、コロンビア大学客員研究員としてのニューヨーク滞在1986年)である。海外での見聞多数エッセイ(『America, America』『輪舞する、ソウル。』『スパニッシュ・キャラバンを捜して』 など)、創作(『町よ』 『物語ソウル』『野生火炎』『火ねずみの恋』 など)の素材ともなった故郷へ思い強く郷里文化振興のため、吉本隆明 らを招いた連続公開講座開催1978) したり、地元文化交流組織である「熊野大学」の開設1989) をするなどの文化的なオーガナイザーとして活動おこなった1984年1989年文學界新人賞第58回から第68回)、1984年1987年新潮新人賞第16回から第19回)、1988年1991年三島由紀夫賞第1回から第4回)の選考委員それぞれ務めた1990年永山則夫日本文藝家協会から死刑囚であることを理由入会断られた際、この決定抗議して柄谷行人筒井康隆とともに協会脱会している。1991年湾岸戦争への自衛隊派遣抗議し柄谷行人津島佑子田中康夫とともに湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した

※この「人気作家として」の解説は、「中上健次」の解説の一部です。
「人気作家として」を含む「中上健次」の記事については、「中上健次」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「人気作家として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「人気作家として」の関連用語

人気作家としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



人気作家としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中上健次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS