作家と作品
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天路歴程英国の牧師で小説家であるジョン・バニヤンの寓話。聖書から取った簡潔な言葉と変化のある人物と場面がいきいきと描写されて近代小説の母胎としての意義が大きい。朝鮮では1895年にイギリスの宣教師ゲールによって朝鮮語に翻訳されて広く読まれた。 鉄世界(철세계 1897年)李海朝が作った翻案小説。フランスの作家ジュール・ヴェルヌの "Les Cinq Cents Millions de la Bégum" (『インド王妃の遺産』、1879年)を翻案したもので科学の驚きと近代文明の啓蒙を図った小説。森田思軒の日本語訳(1887年)からの重訳。 瑞士建国誌(서사건국지 1907年)朴殷植の翻案で毎日申報に連載された長編小説。文章は漢文にハングルの送り仮名(토)をつけた程度で、内容はフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲『ウィリアム・テル』を中国の鄭哲寛が改作したものから重訳敍述したもの。 具然学(구연학)新小説作家。1908年に『雪中梅』を発表して開化期小説に大きい影響を与えた。若干の政治論説も発表した。 雪中梅(설중매 1908年)日本の末広鉄膓が開化・啓蒙思想を鼓吹するために書いた政治小説『雪中梅』の翻案。 趙重桓(ko:조중환 1863年 - 1944年)新小説作家。ソウル生まれ。号は一斎。新小説『菊の香』、『断腸録』、『飛鳳潭』など、翻案小説として『長恨夢』、『不如帰』、『双玉涙』などを出した。たいてい日本作品を翻案した。尹白南と劇団「文秀星」を創立し、朝鮮最初の戯曲『病者三人』を1912年に『毎日申報』に連載した。 長恨夢(장한몽 1913年)日本の尾崎紅葉の『金色夜叉』を翻案したもの。恋愛小説で韓国で流行して愛に対する新しい風潮を起こし、男女の主人公である李守一と沈順愛の名前が広く知られた。 不如帰(불여귀 1912年)日本の徳冨蘆花の家庭小説『不如帰』を翻案・改作したもので、1910年代新派劇の台本として舞台で上演された。 双玉涙(쌍옥루 1912年 - 1913年)日本の菊池幽芳の『己が罪』(1899年 - 1900年)を翻案・改作したもので、『毎日申報』に連載された。演劇台本として舞台で上演された。 李相協(이상협 1893年 - 1957年)言論人・小説家。号は何夢。日本の慶應義塾大学に学んだ。初期には毎日申報社記者として活躍した。『海王星』、『貞婦怨』、『再逢春』などを翻案し、『涙』、『貞操怨』など新小説も創作した。 海王星(해왕성 1916年 - 1917年)『毎日申報』に連載された。アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』の翻案。日本の黒岩涙香が翻案した『巌窟王』(1901年 - 1902年)をさらに翻案したもの。 貞婦怨(정부원 1914年)『毎日申報』に連載された翻案小説。日本の黒岩涙香の『捨小舟』の翻案。 再逢春(재봉춘 1912年)渡辺霞亭の『想夫憐』を翻案したもので、演劇として舞台で上演されもした。 閔泰瑗(민태원 1894年 - 1935年)小説家・翻訳家・言論人。号は牛歩。忠南道瑞山生まれ。作品に翻案小説『鉄仮面』、『西遊記』、『浮萍草』(『家なき子』の翻案、1925年)、『哀史』(1918年、『レ・ミゼラブル』の翻案)などがある。 鉄仮面(무쇠탈)フォルチュネ・デュ・ボアゴベイの『鉄仮面』の翻案。
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作家と作品
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1970年頃の里中満智子・一条ゆかり・池田理代子・萩尾望都らのドラマチックなストーリーの漫画に対し、『りぼん』で1970年に田渕由美子、1972年に陸奥A子がデビューし、柔らかいタッチの絵柄で、アイビー風のファッションや、日常的な会話、小物などを取り入れた、読者である少女達と等身大の感性が表された恋愛漫画を描き、徐々に人気を集めた。陸奥A子は1974年「たそがれ時に見つけたの」、田渕由美子は1975年「マルメロ・ジャムをひとすくい」などで特色を現す。太刀掛秀子は1973年にデビュー、コメディー要素はさほど多くなく、1975年「P.M.3:15 ラブ・ポエム」などが人気となる。他に1972年デビューの篠崎まこと、佐藤真樹らもこの路線で活躍。それぞれ1980年代前半頃まで同誌の人気作家として活動した。続いて、小椋冬美、高橋由佳利なども同路線でデビューするが、徐々に独自の個性を発揮していった。これらの作品は読者に支持される一方で、内気、ドジ、容姿のコンプレックスなどの性格を持ちながら、男の子に好きだと言われるという自己肯定的な展開、また編み物、手作りお菓子、洋風の出窓といった小物類、眼鏡を外すと美形、白馬の王子様が現れるのを信じている、登校中の曲がり角で転校生と衝突といったお決まりのギャグなどの、ステロタイプ化されたイメージも育てていった。 『りぼん』誌上でこうした作品が人気を得たのは、同誌がふろく付き雑誌であったことが大きい。各号につけられるふろくにおいて、陸奥・田渕・太刀掛たちは、ふろくのイラストとして、作品のキャラクターとは別の、人物画や風景画を作画していた。大塚英志は著書(参考文献(1))や、田渕作品の文庫本の解説のなかで、これらのイラストによって喚起される風景は、1980年代の消費社会を予告したものだと述べている。 『りぼん』以外の雑誌でのこの傾向の作品としては、大島弓子が『少女コミック』(小学館)で1975年「いちご物語」、『月刊セブンティーン』(集英社)で1977年「バナナブレッドのプディング」などを発表。『週刊マーガレット』(同)では岩館真理子、『別冊マーガレット』(同)ではくらもちふさこなどが活躍。『りぼん』と近い年代を読者層とする『なかよし』(講談社)にはたかなししずえなどがいたが、全体には少ない。少年的な主人公でありながら同様の自己肯定性を持つ高橋亮子「つらいぜ!ボクちゃん」(1974年)も『少女コミック』で人気があった。 同時期の『りぼん』ではラブコメディーとして、弓月光、金子節子、山本優子、坂東江利子らも人気作家だったが、乙女チック路線とは見なされていない。また『りぼん』出身で同じように柔らかな絵柄のしらいしあいは、少女のリアルな性を扱った作品を『セブンティーン』で発表し、一世を風靡した。
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作家と作品
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アルナルド・ジンナとブルーノ・コッラ(イタリア) メアリー・ハロック=グリーンウォルト(アメリカ) - 手描き。おそらく彼女の発明したカラーオルガンのために製作。 マン・レイ『Emak-Bakia』(1926年、フランス) - 一部フィルムに直接露光 レン・ライ(英語版)(ニュージーランド) ノーマン・マクラレン(カナダ) ハリー・スミス(アメリカ) ホセ・アントニオ・システィアガ(スペイン) スタン・ブラッケージ『MOTHLIGHT』(1963年、アメリカ) - 16mmフィルムの蛾の羽や花びらを貼り付ける ピエール・エベール(カナダ) キャロライン・リーフ「姉妹」(1990) スティーブン・ウロシェン ルーサー・プライス『Sodom』(1989) - 穴を開けたフィルムに別の映像を貼り付ける ナオミ・ウーマン『Removed』(1999) - ポルノ映画のフッテージを加工
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作家と作品
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1961年にディーノ・リージは、現在ではカルトムービーとなった『追い越し野郎』を撮り、その後『困難な人生』(1962年、日本未公開)、『怪物たち』(1963年、日本未公開)、『イタリア人民の名において』(In nome del Popolo Italiano, 1971年、日本未公開)、『女の香り』(Profumo di donna, 1974年、日本未公開)を監督した。 モニチェリの作品には、『戦争・はだかの兵隊』(La grande guerra, 1959年)、『明日に生きる』(I compagni, 1963年)、L'armata Brancaleone (1966年、日本未公開)、Vogliamo i colonnelli (1973年、日本未公開)、『人気小説』(Romanzo popolare, 1974年、日本未公開)、そして『私の友だち』(Amici miei, 1975年、日本未公開)がある。 同ジャンルにおける有名な映画作家には、エットーレ・スコラ、ルイジ・コメンチーニ、ステーノ(ステファノ・ヴァンツィーナ)、アントニオ・ピエトランジェリ、ナンニ・ロイ、あるいはリナ・ウェルトミューラーがいる。 脚本家には、アージェ=スカルペッリ、レオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベルナルディ、ロドルフォ・ソネゴ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、セルジオ・アミディらが該当する。イタリア特有の集団的脚本執筆の方式から生まれた監督も多く、監督としてのデビュー前に脚本を量産した例にディーノ・リージ、エットーレ・スコラがいる。 また、劇伴音楽にすぐれたものが多く、作曲家も多く生まれた。また現在日本においても「イタリア式コメディ」作品のサウンドトラックは、映画そのものが未公開作品であっても人気である。作曲家の固有名詞については下記作品リストを参照のこと。
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